恩智神社
柏原市立歴史資料館から、一挙に東高野街道に下り、北へ一路。八尾市恩智中町5-10の恩智神社へお参りしてきました。
ここも、急な中道ですので、神社の真下まで、自転車をおして上がり、階段を上り、御財印をいただいてきました。
由緒 パンフレットから
創建は大和時代雄略年間(470年頃)と伝えられ、河内の守護と民の繁栄のためにお祀りされました。
国内でも有数の古社であり、平安時代中期以前には重要な神社とされ又、同時代に編纂された『令集解』には、朝廷から特に格式高い神社として厚く崇敬されていた日本の古社八社の内の一社として記されていて、河内国では当社が、摂津国では住吉社がそれぞれ重要な社として朝廷より特別に幣帛を賜りました。
その後、河内国総社として恩智大明神の威名に相応しい神社となり、延喜式内名神大社に列されました。
持統天皇689年10月の行幸以来数回の行幸があり、994年一条天皇が4月に幣帛を奉り疫病や災等の災難除けをお祈りされて、それ以来災難除けの神社として夏祭り(御祓祭)を始め、年間数回の祓いの神事が行われて来ました。
秋祭りは「卯辰祭」と呼ばれ、901年11月の下の卯辰日に宮中祭祀と共に相嘗祭が行われたことが始まりとされています。
この秋祭りにお供えされる人形供饌(人形祓いの発祥:平安時代より年2回、夏越大祓と年越大祓に心身の災い罪咎穢れを祓い清める人形として用いられ、江戸時代より紙の人形を用いたと伝わる)は、御供所講の人々により伝統神事が受け継がれています。
日付は令和で書いた御財印をいただいてきました。
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