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シナリオ小話 15 リズム

17歳でデザイナ・構成作家としてデビューして、フリーのプランナー兼プロデューサー、そして二流の脚本家としてちょうど20年の商業作家生活を無事に送らせて頂きました「おおやぎ」が、2007年頃からMixi等で公開していた講座連載を再構成して掲載いたします。今も脚本・シナリオを学ばれるあらゆる層のかたがご笑覧くださるなら望外の幸せです。

15回目の今回は、「リズム」あるいは「テンポ」について取り上げてみたいと思います。
そもそも、どの脚本の先人・先達のお話を伺っても、『脚本にはテンポが重要である』ことには疑いの余地がないでしょう。
セリフのリズム(かけあい)、役者の動き、事件の連続・展開、描写の連続性――映像脚本は、マンガや小説と違い、時間を逆流させることがありません。
回想シーンや回想ナレーションは存在しますが、それですら「現在」において展開されている時間のひとつと捉えます。
つまり、脚本では、ある記述(セリフや行動)の次の記述は、必ず順番に起こっています。
(論説文などではしばしば「そもそも」とか「なぜかというと」と遡って述懐することができます)

・・・と、こんな当たり前のことを念頭に置いて、「リズム」について考えてみましょう。

まずボクがすぐに想起するのが、いわゆる「三段落ち」。
漫才風に言うと、

A「おまえ、将来は何になりたい?」
B「大臣」
A「ずいぶんえらい夢やなー」
B「無理やったら博士」
A「末は博士か大臣か言うもんなァ。それもすごいわー」
B「それも無理やったらニート」
A「それまたずいぶんやなァ。落ちるところまで落ちた感じやでー」

典型的な三段落ちです。
どうやら日本人は、2つを並べておいて3つ目にギャップ(オチ)があると心地好いようです。
別にギャグでなくとも、この三段落ちは、草子や浄瑠璃でも用いられる脚本技法です。
悲恋ならざるや否や、といったシーンで、

「あちきが逃げたら」「そりゃァ共に行くサ」
「○○のダンナが追って来ます」「それでも一緒に逃げるサ」
「逃げ切りゃしないワ」「ならばならば、共に死ぬまでヨ」

――と来る。
女が「どうにもならないワ」といきなり言うのではなく、やり取りの中で三段を用いて、2人の決意のほどと愛情の深さを視聴者に知らせる。これも「リズム」でしょう。
この効能は、言うまでもなく、テンポのよいやり取りの中で順々に観客に知らせていくことです。視聴者にもどこかしら予想が付く。予想が付くからこそ陳腐だとも言えなくはないけれど、やはり「リズム」の魅力があるのでしょう。

光子「今日の晩御飯はカップ麺でよいかしら」
健次朗「おいおい、そりゃあ手抜きだろう」
光子「じゃあしようがない。何か支度するわよ」

こうしてしまうと、何か物足りなくないでしょうか。単純な一往復の、何でもないやり取りですが、皆さんの日常のやり取りはこれほどドライでしょうか。
実際に日常会話を観察してみると、おおよそ「よけいな一言」が付いているものです。実はこれもボクは作劇のリズムだと思うのです。

また別の側面。

アルバート「では、今日はこれで。さようなら」
アリス「あら、もうお帰り?」
アルバート「ああ。明日も早いからね」
 と、アルバートは手を振りながら席を立ち、勘定をテーブルに置いて酒場を去る。

アルバートの行動を主眼にする時はここで終了です。キリもよいです。
しかしここで、次のドラマがアリスのシーンならば、あえて脚本家はカメラを酒場の中に残しておいて、

アリス「ふう……」
 と、テーブル上のグラスとドル紙幣をギュッと握り取り上げる。

――この一幕を書いておきます。「リズム」が少し変調し、何か後ろ髪を引かれるような気分になります。
そうすると、視聴者の心理はアリスに近付いているので、次のシーンがアリスの描写であればすんなりいきます。逆にアルバートの映るシーンだと、「おっ、あれれ?」ともたついてしまうでしょう。
彼女の「ふう」という溜め息の一幕。それが次につながる「リズム」を決定付けたのです。

ほんの一呼吸を用いることで、一定のリズムを次につなげる。
あるいは、視聴者の理解を助けるために、ホップ・ステップ・ジャンプのタイミングを利用する。
脚本の展開において、随所にこの「リズム」を利用、意識して構成していくことは大変に重要であるように思います。

やはり日常的な生活の中で感じる脚本的な事柄ということで言うと、

妻「ただいま~」
 と、夫の書斎のドアを開く。
夫「おかえり」
 と、夫は振り返らず机に向かったまま。

――で終わると、いかにも「リズム」が尻切れで“そっけない夫婦”だと言えるでしょう。

妻「ただいま~」
 と、夫の書斎のドアを開く。
夫「おかえり」
 と、夫は振り返らず机に向かったまま。
妻「うん」
 と、微笑んでエプロンの紐を結わえる。

こう来ると、“そっけなさ”は緩和されますね。
脚本家が『この夫婦は冷え切っていてそっけないのだ』と書きたいならば、

妻「・・・・・・」
 無言で顔をしかめてドアを閉める。

と、ここまで描かずに、あえてそっけない「リズム」のまま残せばよろしい。
過装飾にならないためにも、また、視聴者によけいな詮索をさせないためにも、『「リズム」をそこで切る』ことも大切でしょう。

とにもかくにも、人間の人生のごく一瞬、小さな動作、ほんの一言を描く脚本の中では、「リズム」を上手に使いたいものです。


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