おじさんは放浪が人生のゴールだ
「あの頃」の自分を取り戻すことは「生き直し」につながる
自転車の話をしだす前に、そもそもである。
精神科医の中井久夫先生の『中井久夫著作集』(みすず書房)を読んだときのことである。うろ覚えだが、こんなことが書かれていた。
人は12歳から15歳くらい(※だったと思う)に夢中になっていたことをもう一度やってみることで大いに癒やされる。(※記憶を頼りに記載)
つまりいちばん多感な時期に、無邪気に没頭したことを再現することで「生き直せる」というわけだ。
たとえば、内容はいいかどうかはわからないが、老人施設でぼけていて、活力のないおじいちゃんに、その時期に軍隊に行っていた記憶を蘇らせると、とたんに元気になるという事例もある。おじいちゃんに介護士さんがおもちゃの銃を手渡すと、おじいちゃんが背筋をしゃんと伸ばして、敬礼して、当時の話をしはじめるというだ。
私にとって、この逸話のインパクトは大きい。
私にとって、あの当時の活力も無邪気な情熱もない。抜け殻だ。
そんなみなさんもそうだろう。
毎日、macの前で、画像や動画の出来をチェックしたり、カネの計算をしたり、クライアントにお詫びのメールをする日々。
たしかに楽しいのは楽しい。それはおそらく自分が積み上げてきた経験が人生を豊かにしているからだ。
しかし、そもそも、あの当時のはちきれんばかりのパッションが蘇るとは夢にも思わない。
あの頃、夢中だったことはたったふたつ。
①ギターを弾くこと
②自転車であとでもなく、繁華街や郊外を徘徊すること
ギターはまあ、ずっと楽しみではある。いまでも仕事に疲れるとちょっと弾いてみたりして、熱くなって明け方まで下手くそなブルースを弾いたりもする。でも、満足するとささっとラックに戻して、またmacとにらめっこだ。
しかし、自転車についてはなにもやってこなかった。
地方都市に住んでいたこともあって自転車は生活の一部であった、相棒であったというに。
“I can fly!” おれは自由だ!
先日、SE BIKESのF@Eというファットなバイクを購入して、多摩川の土手で初乗りしたとき、なんだか、ふわっと地上から浮いている感じ、風に乗っている感じを覚えた。あれはなんだろう。
乗っていて、思わず笑いだしてしまった、無邪気に。
まさに、E.T.と一緒に空を飛んでいるようなファンタジーテイストの爽快感。
“I can fly!”
自分は自由だ、と感じた。
あの感覚、たしか、少年時代も感じていたはずた。
自転車さえあれば、どこまでも行ける、うっとおしい両親も学校も勉強もすべてすっ飛ばして、どこか遠くに行ってしまおう、出会うべき人たちと出会い、ときめく毎日がはじまる・・・そうだ、あの感覚だ。
個人的にいま、さまざまなことでがんじがらめである。
夜中に、「ふざけんな、この野郎。落とし前つけろっ」などと言いつつ、夜中に飛び起きることもある。
どこかに行ってしまいたいは、無意識の中の基本願望、基本衝動でもある。
できるじゃないか、それ。自転車さえあれば!
旅に出たい。ファットバイクくんと2人で、知らない街を徘徊したい。
そんな思いが湧き出てきて、多摩川の夕暮れ時の遊歩道で、ガハハハっと笑いながら、私はとてつもない期待感と高揚感を覚えた。
またやれる、もう一度出直せる、さらに輝ける!
いまの私はそれに、ポジティブにしがみつこうとしているのだ。