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好きとか嫌いとか、興味とか

ウス。6月も2日、なんなら3日になろうとしてますね。2024年も半分が過ぎようとしておりますけども、ご気分いかがでしょーか。アタシは今朝にCL決勝がレアルマドリーの勝利で完結したことで、23-24シーズンの終わりを実感しております。早く次のシーズン開幕しないかなあ〜…でも来月のEuro2024も楽しみです。がんばれドイツ!

さて、一応休学中の目標に「己を理解せよ」的なのを定めた気がするので、休学してnヶ月目の6月頭に考えを記しておこうという魂胆です。 最近のメンタルは良好、渡英以来心に余裕ができたのか知りませんけど、なんか楽しく一人でやってます。最近のテーマは「デカい心、勇気、度胸、メンタル」あたりです。これは、渡英中に夜20時くらいに暗すぎるリバプールの街外れに放り出された時に、寒さと恐怖(?)の中で捻り出したツイートに由来してます。

前にいる人が吐いてる息が寒い息なのか、タバコなのか、はたまたヤバいやつなのかわかんなくて恐怖した時のヤツ

逆算したら好きらしい

好きな○○は何?という質問は答えにくい。どれも甲乙つけ難いし、別に嫌いなものがたくさんあるわけではないから、それについて調べたりするとそれに靡く。例えば、好きな作品何?って聞かれたら答えられないけど、三国志を読んだ後には関羽が好きって答えるし、今ならスターウォーズと答える(今朝見たため)。別にこういう類の質問はいいんですよ、悩むのは楽しいし。最近の好きなポケモンはブラックキュレムかな、かっこいいから。

だが、漠然とした「君は何が好きなの?」という質問には答えられなかった。答えにくいというより、答えられない。これは「好きなの?」だけでなく、「やりたいの?」にも共通する。何が好きなのか、やりたいのかぼんやりわからない。今まで与えられたものばっかりやってきたからだね。主体性ってこういうことってワケ。
ただ、21年も生きてれば自分についてなんとなくわかってくるもんで、自分は「好きなもの、興味があるものに対しての行動が早い」ということにここ2年くらいで気づいた。たぶんね。

これは突然神から降ってきたわけではなく、経験則による。動画編集したいなあと思ってからすぐにPCを買った(最初の子であるエナドリ号、エナドリをこぼした)し、現地でサッカー見たいなあと思ってからすぐに渡英した。しかも一人で。動画編集をもっとやりたいなあと思ったら新PC(こしあん)を買った。親には「お前は腰が重いのか軽いのかなんなんだ」と言われた。俺もわからん
が、眼鏡をかけた友達には「まあ、そういうことでしょ」と言われたし、自分でも合点がいくのでそういうことらしい。
考えてみればこれ好きかも!と思っても案外しょうもなのこともあるし、やってくうちに段々好きになるプロセスにはそりゃそうじゃになる。
なんとなくだが、自分の好きの価値判断基準を得られたのはデカい!オチは?無いよ

「俺」と「俺の」

好き嫌いの話になると、割と「自分は好き?」みたいな質問に繋がることはよくある。そこからカウンセリングの怪しいセミナーに繋げられて、金を巻き上げられ…

自分は好きか、と言われればYesかNoでは答えられない。そりはそう。が、嫌い寄りではある。列挙してみよう。声、音痴、話し方、度胸がない、運動神経が悪い、などなど。基本的には自分に自信はないし、あまり自分のことを開示しようとは思わない。わざわざ嫌いなところを曝け出す必要も、曝け出したくも無いから(なお、これを書くことで矛盾する)。まあ話の出汁にする時とかは開示したりするけどネ。

で、なんか本題っぽいのがあって、それは自己開示と自己愛って難しくないか?なんなんだ?ということである。いわゆるモテる人(性別、目的問わず)っつうのは、自己開示が得意な人だ。そういう人は自分が好きなんだろうし、それを踏まえてナンタラしてる。それ即ちコミュ力が高いことに直結するような感じがする。つまり、俺はそれが下手くそということだ。自己開示と自己愛が下手くそだし、必要性を感じてないから友達が少ないし、付き合いが下手くそなんだと思う。

ホンマに彼女欲しいのか?と言われればYesとは答えられない、必要だと思ってないから。俺は必要だったりやりたいと思ったりしない限り動かないのは前述の限りだ。昨日のバキ童の動画でアキトがまずは自分を好きになることから、と言った時に俺には無理やと思ったワ(動画自体は面白い、俺に合わないだけ)。やりたくないならやらない、が今年なのでまあええかと思った(報告)

が、そんな俺でも開示したいものがあって、それは「俺が○○したもの」だ。俺が作った作品は見て欲しいし、俺が頑張った成果は見て欲しい。それは、俺の要素は入り込んではいるが、本体ではないから出てもいいと思ってるのかもしれない。俺は時折俺自身が見せる、天才的なアイデアとか努力の結晶が好きだ。自分のパフォーマンスを見たいがために自分を動かしてる節はある。なんか俺が2人いるみたいだね。

でも、俺がやってるゆーつーぶを誰にも明かしてないように、その俺が作ったものに俺本体という要素を入れ込みたくはない。俺の世界観を見て欲しいけど、それを作ったのが俺だとはバレたくない。それが捲れると、「俺本体」の要素が入り込んで汚れてしまうから。伝わりますかこの違い。俺の作ったものは見て欲しいけど、俺という要素は排除したい、でも俺の世界観は見て欲しい。矛盾だね。人は自己矛盾を抱えながら生きるのだ。これも自己開示が下手で、自分が好きじゃない、でも自分のアイデアは好きだからこその矛盾だと思う。矛盾が矛盾を生む。こんな面倒な考えをしてなかったら匿名でインターネットに謎の動画を放流してない。

おれのさくひんだけをみろ!

なんでこれを書こうとかと思ったかというと、高校の友達に就活の話になった時に「お前って面接苦手そうだよな」と言われて咄嗟に出た「うん、じゃなきゃ匿名で動画投稿なんてしない」という言葉から。やはりコミュニケーション、談笑が何かを生み出すのじゃ


以上!なんか最近元気だよってことでした

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