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【落語好きの諸般の事情】#22 ネット時代における落語プログラム共有問題

SNSで毎日必ず見かけるようになった、落語会のプログラムを記したホワイトボード。その日の演者と演目が順番通りに並んで書かれ、帰りがけの客が携帯やデジカメで撮影している光景は、近年では常識となった。
あれが普通になったのっていつ頃からだろう。私が東京に住んでいた2013年までは、大きなホールでたまーに見かける程度だった。あと両国寄席では既に始めてたっけ。

その日の楽屋のネタ帳を客にも見せるこの形式、あらかじめ演目を発表しない寄席や落語会では助かる。特に初めて聴く新作落語や固有名詞の多い講談の高座の後は役に立つ。
2000年代中盤頃、高座で落語家さんがマクラから本題に入ると、客席の常連客たちが我先にとばかりに筆記具を持ってタイトルをメモする風潮があって、あまりに多いので演者が高座から皮肉を漏らしたり、穿った落語家さんになると本題に入りかけるとみせて別のネタにそらしたり、という不思議な攻防があった。現在の状況は知らないが、客層も変わったし、当時よりは減ったのだろうか。第一、終演後に正解がロビーに掲示されているのに、高座途中で聴く耳をそらしてメモ書きするって、本人の自己満足以外どこにも意味が無い。

客層が変わったといえば、SNSやブログで毎日見かける、「寄席・落語会のプログラム+感想」というセットリストの様式は、誰が元祖でいつから現在の形に固定したのか知らないという落語ファンがいるようだ。

ネットに寄席や落語会の感想を書いてファン同士が情報共有する習慣は、ネットが普及した20世紀末にはすでに存在していた。厳密に調べればもっと古いかもしれないが、形式を定着させたということでは演芸情報誌「東京かわら版」の連載コラムでおなじみ読売新聞・長井好弘氏が最初だと思う。
長井氏は1999年5月から1年間、新宿末広亭の73興行すべての番組を観覧するという長期企画『定点観測・新宿末広亭』を情報サイト「江戸・網(edo.net)」に連載(途中病気療養で離脱したため代役が担当)、現在では誰もが見覚えのあるあの番組セットリストの様式は、この連載で使われていたものだ。これを読んだ落語ファンのネットユーザーが、自分のサイトや掲示板で真似をしたのである。
この記事は2000年12月に『新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」』(アスペクト刊)として一冊にまとめられ、演目・用語等の補足説明と橘蓮二氏の写真が加わった密度の濃い一冊になっている。新しい落語ファンは今からでもご一読を。きっと落語観が変わるはず。


さて、ここから先は今回のオマケです。
過去に拙サイト「落語別館」の日記やブログで書いた、東京時代に足を運んだ寄席と落語会の観覧記。それにちらっと説明を加えてのリサイクル公開(一部本邦初公開もアリ)。22回目は、2004~2006年の記録その12。今回は夏の浅草演芸ホール名物「住吉踊り」などなど。

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