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ビカクシダのように

もらったひと鉢を育て始めてまもなく、ビカクシダのようになりたいという願いが自分の内に生じたことは知っていた。

ヒトが、とある植物のようになりたいと思う時、「のように」にはその植物の形態から感じられる印象や、雪の中で咲く・蔓性でどこまででも伸びていく・パッと咲いてパッと散るなど植物の性質への思い入れが含まれるのであって、あのような「形」になりたいわけではないだろうと今更ながら考える。

ビカクシダ(麋角羊歯)は、コウモリランとも呼ばれ、その名の通り鹿の角の分岐やコウモリの翼を思わせる形状の胞子葉と、円形の貯水葉をもつシダ植物である。うちにいるのは、巷でよく見かける Platycerium bifurcatum(ビフルカツム)。もらった時には大きな紙袋に入れて電車で持ち帰ることができたが、今や乗車は難しい大きさだ。
育て始めて3年目、住処であるプラスチックの鉢から胞子葉が放射状に広がり、直径70センチほどになっている。今年は貯水葉の成長が著しく、いくつも折り重なって柱のように立っていたり、横の水抜き穴から生えてきて鉢の表面で円を広げていたりする。

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好評だったショートカットをいい感じに保つのに、1.5ヶ月に1回美容室に通うことにほとほと飽きたタイミングで、やっかいな感染症が世界中を旅し始めた。それを口実に私は美容室へ行くのをやめた。
夏には、乱れたカラスの尾羽のような後ろ髪をやっとくくれるようになり、ヘアゴムで頭皮をひっぱられる痛みは、成人式のために髪を伸ばし始めたあの夏の日を思い出させた。シャンプーだけで済ませてきた髪にトリートメントを施し、時々ブラッシングもするようになった。家の鏡に映るのは、不要不急の外出を控えた末にお化粧もお洒落もロクにしなくなった半世紀オーバーの姿だが、頭に手をやり指の間に伸びてきた髪を滑らせる時、その感触に少しうっとりしてしまう。今日も忘れずトリートメントをしよう。ひとりの密かな楽しみだ。
髪を背中のあたりまで伸ばしていたのは、10代の終わりから30代半ばまでだった。私の髪は太くて多くて膨らみやすく、後ろでまとめたヘアゴムを外すのは、お風呂と就寝時とセックスの時ぐらいだった。あの頃より細くなってきているとはいえ、美容師が再度髪を伸ばすことに難色を示していたはずである。9ヶ月も経つと、横は顎の先あたりまで伸び、肩につくほどになった後ろ髪はうねり、盛大に外ハネしまくっていた。外に出る際はヘアゴム必須である。
毛先だけでも切り揃えてもらおうか。でもな、と思い直す。顔が半分隠れるマスクとセルフレームの眼鏡、そして現在の私の行動範囲とその実態下では、自分の造作を誰かに見られていることを意識する必要が著しく減っているのだ。今のままでも支障はない。しかし、パサパサしてきた横髪の毛先を見るのが不快だ。

横髪があんなに分厚いだなんて知らなかった。前髪を切る時にいつも使っている小さな眉バサミ1本だけで挑んだのは無謀にもほどがあった。痛んだ毛先を少し切るはずがどんどん短くなり、とりかえしがつかなくなる予感と髪をざく切りする背徳的な喜びの間の細道をオタオタと歩き、最終的に耳たぶのすぐ下から唇を結ぶ滑らかではないラインを確保した。正面から見たら短いおかっぱで、後頭部は刈り上げてる?と思いきや後ろ髪はヘアゴムで結ばれている。
うん、これでいい。当分美容室へ行かなくて済む。手持ちの服の半分は似合わなくなっただろう。慣れるまで知人友人に見られたくないと思いながらも、この新しいヘアスタイルを意外と気に入っていたが、ある時その理由がわかったような気がして、ビカクシダの元の育て主とビデオ通話で話した。

「ツッコミ入れずに最後まで聞いてほしいんやけど、私、ビカクシダみたいになりたいと思っててんやんか」
「ほう」
相手のスマホの画面に映る私は、今のところおかっぱのはずだ。
「なってん」
髪ゴムを外す。肩に降りてきた髪がバサバサと反り返る。
「これが胞子葉な」
「せやな。毛先の不揃いなとことかな」
「で、このオカッパ部分がお鉢を覆う貯水葉で」
「お鉢、なるほど」
そして、髪をくくり直して後ろを向く。
「これが、貯水葉の基部あたりからから胞子葉が生えてきたところ」
「あぁ」
「な」

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願いがこんな風に叶うなんて。まさか形から「のように」なってしまうなんて。

最近行き始めたバイト先のロッカールームに入ろうとしたら「何なん?あの人の髪」「ほんま」いう話し声が聞こえた。そろそろ、知り合いのやってるカフェに顔を出そうかな。この髪に合う服を探しに行くのもいいし、似合わない服で出かけてもいい。頭のビカクシダと一緒に旅もしてみたい。そして、電車の中で、海辺で、高原で、そっとヘアゴムを外して胞子葉を揺らすのだ。




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