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え、いま聞いてなかった。

#5

人は無意識のうちにあらゆることを行なっているという。反射的に起こることもだし、呼吸や心筋を動かすことだってそう。呼吸は止めたり緩急つけたり制御できるが心臓を止めたりはできない。

学生の頃など、こんなことはなかっただろうか。
帰り道いつもの道を考え事をしながら帰っている。考え事をしている際、この道をいこう、次は曲がってここから行こう。とは意識的に行なっていない。

気がつくと玄関の前に立っている。
それはいつもとは逆の脳を使っていたりするのだが不思議だ。目から入った情報の処理、動かす体の処理、完全に自動運転で家に帰っていたことになる。無意識なかなかやりおるな。

意識していないところで自分の意思がない部分にまで自分の体は意識し続けている。魂がなくても生きていけるんじゃねえかと思う。

これは人工知能を搭載したロボットと生身の人間の違いみたいなものかもしれない。

意識的に処理や判断を行うのと行わない、
人工知能はアルゴリズムやプログラムで出来ているとすれば無意識のうちに処理されているはずだ

人工知能に意識があったとしたらそれは感情や環境によって左右されそう。そうなったらロボットは人間の味方をしてくれるのだろうか、、

それとも映画「アイロボット」のような反乱が起きるのだろうか。そもそも、人間同士でも同意するものと反発するものは常に存在していて、人や物に服従させることこそが間違いなのかもしれない。

会社もそう。企業がコントロールできそうにない人材はきっと採用されないし、したくないと思う。
協調性や環境に順応する力やある種の忠誠心みたいなものがあってこそ組織が機能している気がする。
嫌々働いている人も少なくないかもしれないが、自らそこで働くことを選択している場合が多い。辞めたいときに辞めていいと思うし、会社を作ったっていい。

無意識のうちに処理された仕事を積み重ねても何も生まれない。それはすでに仕事ではない「作業」だ。
意識を向け取り組む、稼ぐ、循環する。
脳死していては死ぬ直前ビビットな走馬灯を見ることはない、なんとなくぼんやりしたハイライトで終わる。

一瞬を濃く生きていないと慣習の中の作業で一生が終わってしまう。幸せの定義は人それぞれだが、死ぬ前に後悔する生き方は考え直さないといけない。
2秒後あなたは死んでいるかもしれない。

いやこの文字を打っている私はもうすでに死んでいる




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