「自動車の普及」とショッピング体験の歴史
クラフトビールと歴史をこよなく愛するオーバルギアです。
今日は書籍「2025年、人は「買い物」をしなくなる」と「業態盛衰の歴史が示唆するこれからの小売の方向性~見えてくる新たなフロンティア~ 」という資料からショッピングがどう発展してきたのかの章を読み解いていきます。
業態盛衰の歴史が示唆するこれからの小売の方向性~見えてくる新たなフロンティア~みずほ銀行 産業調査部
過去の出来事(ショッピング体験)がどのように発展してきたのか。その発展には何が関係しているのかを掴むことで、今後の発展を掴む際の糧にしたいと思います。
戦後の百貨店・個人商店
百貨店が誕生したのは1904年。
余談です!
「1904年」と入力すると予測変換で「明治37年」と出る!明治と聞くと、明治は、令和の前(平成)の前(昭和)の前(大正)の前(明治)で、「前の」をが4つも続くことに驚きます。
それとともに、昭和生まれの私には「昭和」がちょうど真ん中に位置することにも驚きを隠せません(笑)
高度経済成長とともに、衣料品から食料品までなんでも揃っている百貨店が急速に伸びていきました。「休日に百貨店にでかける」というレジャー体験。一方、個人商店は日常生活の一部として日々の暮らしを支えていました。
日常では、自転車と徒歩で個人商店へ。週末は電車・バスで百貨店へというライフスタイル。
しかし、自動車の普及によって、移動手段とともにショッピング体験が変わっていきます。
スーパーの台頭
日本で自動車が普及し始めたのは1960年代。経済成長率も10%を超えていて、次のような出来事もありました。
・1962年 首都高速道路が開通
・1964年 東京オリンピックの開催、東海道新幹線の開業
・1968年 東名高速道路の開通
さらに1970年からは労働者賃金(月額)も大きく上昇していきます。
・1970年 7万5千円
・1972年 10万
・1976年 20万〜
この時期に自動車が、一般家庭に普及し始めます。
1966年に229万台だったのが、1979年には2000万台を超えます。「一家に一台」時代の到来ですね。
これにより家族みんなで、好きな時間に行って、好きな時間に帰宅できるようになります。スーパーは、日用品から食料品までワンストップな買い物体験ができる点と、相対的低価格な点で、集客力を発揮します。
ただ、まだこの時期は個人商店も共存しています。なぜなら個人商店には専門性があり、スーパーにはない商品が並んでいたからです。
ロードサイドに専門店
自動車が普及すると、ロードサイドが商業立地として成立しはじめます。比較的地代の安いロードサイドに、カテゴリーキラーと呼ばれる専門店が集客力をもっていきます。
このときの車は「一家に一台」。免許保有者は男性が大半だったこともあり、男性消費者向けの専門店が先行します。
・紳士服専門店
・カー用品店
・ホームセンター
カテゴリーキラーと呼ばれるだけあって、特定のカテゴリーの商品を大量に集め、さらに安く提供します。それによって大きな影響を受けたのは、スーパーの非食品部門、凋落の始まりです。
この時代にはモノは広く行き渡り、より専門的な商品が求められはじめたことも寄与します。
ショッピングモールの誕生
そして、専門店を集めたショッピングモールが誕生します。
・イオンモール
・ららぽーと
ショッピングモールは大型駐車場を完備。買い物だけでなく、食事や子供が遊べるイベント・スペースも存在します。これにより百貨店の屋上にあった遊び場やイベントスペースは縮小化していきます。
専門店を集めたショッピングモールには、専門性で優位だった個人商店にも影響を与えます。この時期から個人商店から人々の足は遠のきはじめます。
その要因はショッピングモールだけではなく、同時期に時間を換価するサービスが台頭したからです。
時間を換価するサービスとは「時は金なり」を実現するサービス、コンビニです。決して商品は安くないものの、その利便性から影響力を強めていきます。
・専門店が集うショッピングモール
・利便性の高いコンビニ
個人商店は大きな影響を受け、縮小していきます。
まとめ
「自動車の普及」から展開していったショッピング体験。
百貨店・個人商店からはじまりスーパーの台頭。ロードサイドに乱立する専門店。専門店を集約し、大型駐車場や遊びスペース・イベントもあるしたショッピングモール。時を同じくして、利便性を追求したコンビニの広がり。
自動車をキーにして様々な広がりが生まれました。
近年はこの舞台に「インターネット」と「スマートフォン」がやってきます。今回は自動車の普及という観点からショッピング史をみていきましたが、次回はこのインターネットとスマートフォンというキーを軸にみていきたいと思います!