ラグビー (の撮影)を止めるな2020

7年2ヶ月の楽しかった挑戦を振り返る


Noteに久々に投稿する。今回は自分の仕事についてである。職業柄、自分のことを積極的に書くのは控えていたが、一区切りでもあり、興味がない方にはそもそも読まれもしない話題と思うので一方的にアウトプットさせてもらった。在宅ライフももうすぐ終わる初夏の週末、もしお時間と関心があれば5分ほどお付き合いいただきたい。

2020年5月31日。いまのチームとの契約が終わる。7年と少し、お世話になったチームでの仕事は楽しかった。今から思うと満足の行く結果は何一つ残せなかったが。契約最終日の今日、これからいろいろと忘れてしまう前に、ここでの活動を、感謝の思いといくつかの画像とともに振り返ってみたい。

関東に戻り、新しいチーム

私は2003年から10年間、自宅のある東京を離れ愛知のチームにいて、2013年から千葉県我孫子市を拠点とするNECグリーンロケッツに入ることができた。今でもチームに挨拶した初日の緊張を覚えている。グリーンロケッツは1985年創部の比較的新しいクラブながら、地元の我孫子市に愛され、過去に4回全国制覇を挙げるなど名門かつ人気チームであった。ここ数年は諸種の事情もあってか大型補強の他チームに押され気味だった。しかし、真面目で努力を惜しまない日本人選手とリーダーシップのある外国人選手が上手く融合し、昭和の香り残るボーダージャージも含めて多くのラグビーファンから応援されていた。私の主な役割は分析担当。映像や数値データから様々な視点でチームを分析してコーチの指導の手助けを行うことであった。

いきなりだが、当時の仕事の様子を表す象徴的な写真が残っていたので紹介する。

その名も「DVDディプリケーター」。試合や練習の映像をDVDに録画させ、マスターDVDから僅か数分で複数枚を同時にコピーしてくれる神のようなマシン。当時はアフターマッチファンクションという行事も常におこなわれていたため、試合後に23枚のDVDをコピーして、選手が帰るときに渡すことができた。


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DVDを一気に複数枚コピーしてくれるスーパーマシン。世界ラグビー遺産に申請中らしい。


試合の撮影は原則として2台のカメラを用い、コンタクトプレーに焦点を当てた「寄り」と、選手のフォーメーションのバランスをみる「引き」の2つを撮影した。現在はこれにゴール裏のエンド、逆サイド、ドローンなど6から8アングルの撮影が行われることが珍しくなくなった。まさに壁に耳あり障子に目あり、か。

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練習試合での撮影風景ー自分で撮影することにこだわった(理由は後述)


当時のヘッドコーチだったグレッグ・クーパー氏は、オールブラックスの名選手で、スーパーラグビーのコーチを務めるなど経験豊かなスマートな指導者、チームの強化計画も課題解決の実践もほとんど自分自身のなかで明確であり、一緒に仕事する点で非常に助かった。

そしてチームはなによりも「ファミリー」であることをとても大切に考えていた。練習が終わっても後輩のためにいつまでも先輩が練習に付き合う、以前から持っていたイメージ通りのいい集団だった。


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今は考えられない「3密」なチーム鍋パーティ(2013年11月)。アットホームな雰囲気が特徴的なチーム。


2013年シーズンは、序盤に当時無敵だったサントリーを撃破。順調に勝ち星を重ねたが後半やや失速、ベスト4などの目標まで届かず終わった。

大学に苦杯、そして入替戦

2014年シーズン。諸種の事情でクーパーHCが離れ、新しい体制での強化。試行錯誤を重ねながらもワイルドカードトーナメントを勝ち上がり、久しぶりに日本選手権にコマを進めた。しかし相手は当時最強を誇った帝京大学。雨が降りグラウンド状態が緩いなかで、相手の勢いを跳ね返すことができず敗戦を喫した。

隠すつもりもなんでもないが、私は以前トヨタ時代2005年に早稲田大にも大金星を許していた。社会人が学生に敗れるという大事件を2回も引き起こした張本人である。

捲土重来を喫し翌シーズンに望んだが、一度崩れたチーム強化体制は上手く行かず、2015年W杯での日本代表の大活躍に沸く裏でチームは更に下降して史上初の入替戦に回ってしまった。

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二度と経験したくない入替戦当日の旧熊谷ラグビー場(2016年1月)


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実に苦しい時期だったが楽しいこともあった。選手の結婚式でチームが誇る素晴らしい伝統芸「白鳥」たちに捕獲される

コーチ兼分析の経験

2014年シーズンから3年間は、非常に幸運なことにラインアウトプレーの指導を担当する機会に恵まれた。前のチームではスクラム指導に携わることができたが、ラインアウトは新しい挑戦。笛を持ってグラウンドで練習を動かす緊張感と達成感。ラインアウトに詳しいリーダー選手からも多くを学ぶことができた。練習メニューによってグラウンドに降りたりカメラ塔に登ったり、貴重な経験をさせてもらった。とても充実した時間だった。

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大都市のど真ん中で行う試合前のラインアウトのウォークスルー風景。選手達は常に努力を惜しまなかった

経験豊かなコーチとの再び充実した日々

悪夢の入替戦の翌年、2016年。NZから指導経験の豊富なラッセルHCを招聘し、チームの建て直しが始まった。経験豊富なラッセル、選手のモチベーションを上手く引き上げるグラントS&Cコーチ、オークランドやワイカトで若手育成を務めたディロンの3名との新しい毎日は、朝練習での眠気以外は楽しかった。


この頃、地元新潟の公立高校でラグビー部の強化に熱心な新発田高校と縁があり、月に1回程度指導する機会もいただいた。これまで社会人選手しか指導してなかったため、高校生との接点は実に新鮮で学ぶところが多かった。しかし、彼等を花園へ連れて行くことが出来ず、楽しい経験だったが難しさも痛感した。

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地元新潟でのクボタ戦(2016年10月)を前に。新潟市陸上競技場にて。トップリーグの試合前に行われた花園予選の開会式。


NECの戦いは、ラッセル氏による選手の個性の活用やバラエティに富んだ攻撃戦術が徐々に浸透していき、決して恵まれないリソースを最大限活用して、少しずつだが内容は好転していった。周到な作戦が功を奏して神戸製鋼やトヨタ、東芝といった強豪にも勝利を挙げるなど、徐々に結果も見せ始めた。


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秋田でのヤマハ戦(2017年10月)。試合は敗れたが相手を苦しめる局面もみせた


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2018年3月、地元大学施設を借りた練習の後。満開の桜と子ども達の「参加」に笑顔が溢れる


失敗を恐れず、何でもトライできるチームの雰囲気もグリーンロケッツの良いところだった。私自身、スタッフや選手も成功と失敗を繰り返し、少しずつ成長を楽しんでいった。

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ドローン使い始めの頃。練習中の迅速なフィードバック環境の実験(2018年11月)。何でも簡単にトライできるポジティブさがチームの魅力だった



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北九州での東芝戦では選手が見事に躍動し攻撃が炸裂、快勝した(2018年12月)


華やかな宴のかげで

2019年。ラッセルHCが諸種の事情でチームを去り、新しい体制がはじまった。新しい体制での新しい挑戦は常に刺激的で仕事のモチベーションになった。

3回目を開催できた新潟での新潟出身トップリーグ選手によるラグビー教室。2019年は若い選手や女性選手にも加わってもらうことができ、注目度はまだ高くはないが次世代へ貢献できることは喜びでもあった。

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2019年6月、新潟県出身者による新潟でのラグビー教室(新潟市)


数年前から始めた大学院でのラインアウト研究は、私の能力不足で順調に進めることができていない。しかしそのなかでもやっと第一歩目が発表でき、研究活動のスタート地点に立つできた。相手ボールラインアウトがスチールできる理由はなにか、どうやってそれを教えるのか。もっとラグビーを知りたいというアラフィフの素朴な好奇心は成果を出さないといけない。

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やっとスタートラインの研究発表(2019年7月)


W杯は省略する。いまさら書くまでも無く、ただただ素晴らしく華やかな宴だった。活躍した代表の選手やスタッフたちは、同じ競技に携わっているとは思えないほど遠く離れた存在にみえた。そのたび、自分も負けないよう、来たるべきトップリーグでチームの躍進に貢献したいと思った。


そしてトップリーグ・・・史上最悪の6連敗で終戦。

触れたくないが、自分の仕事の成果だ。2019年3月から一年間みっちり練習し選手は本当によく努力したと思う。しかし、満を持して迎えたつもりだった2020年1月19日の開幕戦は、準備と補強が整ったサニックスの良さを引き出させてしまい完敗、次の大阪で日野レッドドルフィンズにリーグ戦初勝利を献上。3戦目の横浜でのキヤノン戦では前半で勝負をつけられた。大阪万博ではサントリーを苦しめることができず、そして下の写真の第5戦の三菱重工相模原。相手には元NECだった選手や指導者が多かったが、そんな三菱にも勝利を与え、最下位に転落した。そして最終戦となった東京でのリコー戦。ともに不調に苦しむ者同士の戦いだったが、NECは試合の主導権を握ることができないまま敗戦、勝利は遠かった。

言い訳するつもりはないが、グリーンロケッツの選手やスタッフたちは決して怠けていたわけじゃなく人一倍努力して情熱を注いでいた。来季も今年以上に練習に打ち込むことだろう。そして、2019年の日本代表のように、国内のラグビー界の話題を独り占めするほどの復活を遂げ来季のトップリーグを盛り上げてくれると信じている。

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第5戦の相模原ギオンスタジアム。雨中の混戦も制することができずついに5連敗。



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コロナウィルスでリーグの終了が決まった2020年3月、仕事場のカメラ塔から最後の我孫子グランド。左奥ではいつものように桜が咲いていた。


最後に〜ラグビーの面白さを堪能した

7年間の我孫子生活は、くどいようだが楽しいという以外の言葉がない。次第に年齢が離れていく若い選手達との毎日は発見の連続、ワクワクと反省の繰り返しだった。少し楽しみすぎたのかも知れない。指導者としての学びは多く、関東ならでは可能な様々なトップランナーたちとの出会いも刺激的だった。

私の仕事であるアナリストの細かい業務内容は、すでに様々な記事で紹介されているので割愛する。ただ、最後に一つ、自分がこだわってきた試合でのビデオ撮影について触れたい。これについては、はるか20年前、この仕事に関わるようになってから一貫して行ってきたが、これまで自分がビデオ撮影にこだわってきた理由を上手く説明することはできなかった。しかし、最近になり、その説明となるような言説を、東大名誉教授である教育学の佐伯胖先生らの著書で見つけたのでご紹介したい。授業の反省などに用いるビデオ撮影とその活用に話題が及んだとき佐伯先生は次のように語っていた。

「おもしろがるということが、実はワークショップもそうだけれども、ビデオを写したりビデオを活用するという時の中心」
「(撮影者)本人自身が三人称的に、観察的に、記録的に撮っていると、われわれだって記録的に、観察的にしかそれを見ない。もうそこには感動もなければ、何か探求したくなることもなくなってしまうわけですよね。ビデオ撮りは語りだと、自分語りでもあり、人への語りでもあるという。語ることばとしてのビデオというものを、ぜひ一つ強調しておきましょうよ。」(佐伯胖ら、ビデオによるリフレクション入門 実践の多義創発性を拓く、東京大学出版会、2018年、p162)

佐伯先生によれば、自身が面白いと感じることを大事にしながら撮影することで、見ている人に面白さが共有されていき、学習もワークショップも効果があがるという。そして撮影することは語ることであるという。もちろん、ラグビーの分析に、プレーの面白さや撮影者の意見など無用かもしれない。もしかしたら、私自身が誰よりもラグビーの面白さをみつけたくて、人(コーチや選手たち)に語りたいから、ビデオカメラを他人に渡さなかったのかもしれない。そういう点で、トップリーグのような素晴らしい舞台で誰よりもラグビーの面白さを享受させてもらった、やっぱり感謝である。近い将来、スポーツによる映像撮影技術が更に発展することで、ラグビーの試合においても自動撮影が一般化するだろう。そのとき、上述した佐伯氏の主張や、なにより私自身の考えがどう変わっていくか、いまから非常に楽しみである。

お読みくださりありがとうございました。


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