誰が決めるのかは分からないけど君の死を決めるのは君ではない

コミ障というより単に人が怖かった。

他愛ない話にすら恐怖を覚えた。

言葉を発することを怖いと思う感性は明らかに「異常」だと思った。

この世の中で生きていくことができるのか不安で仕方がなかった。

「生きる術」のようなモノを少し身に付け、なんとか生きている。

友だちと呼べる人はいない。

かつて1人だけいた。

Qだけが友だちだった。

1歩踏み出すことができない。

人生に何の希望もない

生きている意味が分からない

人生を悲観している人も経験を積むと生きていく「コツ」のようなモノを手に入れることができると思う。

積極的な生き方を手にする人もいると思う。

でも、根っから「生きるのが苦手」な人もいる。
それこそ四苦八苦で生きていくことになるけど「生き抜く」ことはできる。

人はいつか必ず死を迎える。当たり前のことだけど若いうちは実感がないから「生きるの」のが辛くて楽に成りたい欲望に駈られたりもする。
だけど、「生きるのが苦手」なままでも「生きていく」ことはできるし苦手なままだって生きていくのは自分の自由だ。

他人が君の人生に介入してくる資格なんてない。
自分の生き方に介入できるのは自分自身だけしかいない。

しかしいつ死ぬかは他人は勿論自分自身にも決める自由はない。

生き方は自由だけどいつ死ぬかは他人は勿論、自分自身も決めることはできない。