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衒学的文体

【日日是考日 2020/10/18 #006

衒学的という言葉を用いることがすでに衒学的なのかもしれない。
それは日本語の貧相になった所為か、或いはその進歩を示すのだろうか?

さて、文体というのは筆者の意識を表す。
あまり触れてこなかった文芸論にも、これは大体前提にされていたように思う。

日頃よく目に触れるSNSやWEBの記事等は、
大抵「読みやすい」「分かりやすい」を貴重している。
筆者には、単純に記事内容を読んでほしい、という意識があるのだろう。

そういえば数ヶ月前、たまには流行りの小説も読んでみようと思い至って手をつけてみると、非常に読みやすく、スラスラ読み進められたのだが、20分ほど読んで、物語も展開の中途半端なところで飽きてしまった。
それ以来、その小説には全く手をつけていない。

それで、結局自分は小難しい、古い読みもの、
今の視点から見れば、いわば衒学的な作品が好きだということに気付いた訳だが、
その筆者の意識を揣摩するに、
全く読者のことを意識せず、良いものを追求した偶然的帰結か、
或いは、自分の才能を認めさせたいか、のいずれかである。
後者こそまさに衒学的で、それが見え透いたものを読む時には、
カッコつけていて、気障りな、またダサい印象を受ける。

ただ、人なんて大体カッコつけだろ、という意識が自分の中にあって、それ故に衒学的文体が好きなのかもしれない。
幼稚園や小学生の頃なんて、特に男なんて誰もがちょっとでも自分をカッコよく見せようと必死だった。
大人になるにつれ、カッコつけるのを見下すように成長するが、
衒学的文章は、そういう人間のありのままの姿を晒してくれているようで、めちゃくちゃダサくてカッコいいように思えるのである。

今日は自分の過去の投稿を一部読み直していた。
衒学的だと感じた。
「自分のことを賢いと思い込んでいる、とんだ勘違いヤロウだ。読みにくい文だ。きどんな、気持ち悪い。」となんか感じたが、
抑抑、人に伝えるべきことを書いていないのも然り、
やっぱり自分のこの書き方が「好きだ」と思った。

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