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義姉の「好き」に悲しまない。

義姉はとても素敵な人だ。
(※これは義姉にエアで媚を売りたいnoteではありません)

母子家庭の長子として育ち、高校生からの恋人と結婚、可愛らしい息子さんがひとり。
弟1(私の夫)の結婚式では引っ込み思案な母に代わり親戚紹介を請け負い、
妊娠中の私を気づかうLINEをたびたびくれ、マスクは足りているか、心身の体調はどうかと心配してくれる。弟1の欠点を見抜き苦労していないかと慮ってまでくれる。
母親業をこなしつつ大手企業に勤め、そこらへんのサラリーマンより稼いでいて、
それなのにそれを鼻にかけるところや、強引なところは一切なくて、ブランド品にも興味がなく堅実。

義姉はとても素敵な人なのだ。
義妹の私に良いところだけ見せていたとしても、
こんなに良いところが素晴らしいならやっぱり素敵な人だと思う。

それに比べて、と自分のことを思う。
両親に甘やかされて末っ子として育ち、
大した特技もなく
そこそこの料理(夫と知り合ってから初めてキッチンに立った)と
そこそこの掃除、
そこそこの洗濯、
そこそこの事務仕事と
微々たる気遣い
くらいしかできず、

読書と
うまくない文章を書くことと
裁縫(これだけは各種資格と知識あり)と
ファッションと
音楽と
生活空間を自分好みにしていくことと
体型をなるべく美しく保つことと、

なんていう、一銭の足しにもならない(どれも銭に変えられるほど磨かれていない)
どころか
逆に金のかかる物事ばかり好きで、
なんて経済活動の足しにならない人間なんだろう、と思う。

それでも、夏には親になる身。
好きなことがないから金にならないことはしない、
なんて甘えは許されない。
そんな自分嫌だ。
子どもが赤ちゃんから幼児になる頃にはまた、
何かしらして働きたいと思う。
社会人になってからというもの
働くことを考えるとき、いつもこのコンプレックスにぶち当たるのだった。

私はなんて経済的に無能な人間なんだろう、
父は有名な大学を出た敏腕の会社員だったし(有名な大学を出るということは、入るため勉強する努力と、卒業するため勉強する努力ができる人だと考える)、
母も若い頃から働きに出ていた頑張り屋さんだったし、
兄もクリエーターとして自分の腕一本で食べている実力者なのに。
なんで私だけこんなに無能なのだろう、と思うたび落ち込む。

人も血筋も関係ない。
努力が足りないのだと思う。きっとそれだけ。
それは重々承知。
大した努力もせずここまで生きてきてしまったことを恥じる。

義姉は私を好きだと言ってくれる。
正しいと言ってくれる。
でも私は自分では自分にそんな価値はないと感じる。
言ってもらうたびに申し訳なくなり、悲しくなる。
文学や音楽、芸術を愛でられる自分は嫌いじゃない。
そういう感性が備わっていることを嬉しく思うし、大切にしたい。
生活を楽しんだり、
日々機嫌よく生きる工夫を怠らないほうだと思う。
自分では自分のことをそこそこ好いているし、許せていると思う(これには結構時間をかけた)。
でも他人(私ではないすべての誰か)から客観的に見て、私の価値はほぼないと言って良いという自覚がずっとある。
仕事(=金を稼ぐこと)のことになると、それが如実に私の前に迫るのだった。

義姉みたいに、優しくて、有能で、堅実なら良かったのに。
義姉に会うたびそう思わざるを得ない。
義姉は模範だ、私の想像する「人間社会(職場及び家庭)で価値のある人」の。

もちろんこれからの人生で、私は私にもできる
金になることを見つけなければいけない。
諦めたわけじゃない。
このコンプレックスともっと真正面から向き合わなければいけない。
金になることは大事でそれがいちばんの目標だけど、
このコンプレックスとなんとかうまく付き合うか、
気にならないくらい小さく丸めて隅に置いておけるようにするか
しないといけないと思っている。

この生きているだけで常にほんの少しある、罪悪感を払拭するために。
義姉に好きだと言ってもらっても、悲しくならない自分になるために。

カバー画像は、これを書いて落ち込んだあとに
食べた今日のおやつです。

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孤独な私の明るい人生計画。そのうち名前をちゃんとしたい。
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