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エピローグB;天地人和楽

#15  天地人和楽

1 コロナは教えてくれた

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 さて、最終章です。
 本エッセイの上記の主題についてまず総括しておきたいと思います。
 コロナの教訓の第一は、シンプルな、身近な、日常の幸福というものに気づかせてくれたことではないでしょうか。自粛生活をせざるを得ない状況下、外出も旅行も外食や呑み会も控えなくてならなくなりました。でも、日々の生活そのものの中にいろいろの発見がありました。家族が家族らしくなった、子供といる時間の楽しさ、親といる時間のぬくもり、食事、風呂、掃除、庭の手入れ、食材の買いもの、料理をつくったり、家事を手伝ったり、近所を散歩したり、暮らしの中に小さな喜びをいくつも見つけました。子供たちにとっても記憶に残る大事な経験であり学びとなったでありましょう。

 第二は、通勤通学のバスや電車に乗ることが少なくなったことです。たまに乗れば空いていて気持ちがいいし、自転車を活用すれば、街もすっきりと風とおしがよく、自然の風物や建物の風情や庭の様子も鑑賞するゆとりができた。いつものように歩いていても、風を感じ、花を愛で、鳥の声を耳にし、季節の移り変わりを感じることができた。これまでは積んどくだけだった本もゆっくり読めた。余裕が出来たなあ、時間のゆとりっていいものだな、そんな中で何気ないことに幸福を感じることができました。
 テレビもパソコンもスマホもだらだら見るのはやめて、好きなものだけをちゃんと選んでみました。するとどうでしょう、凄くいい番組がたくさんあって名画も名演奏もオペラも歌舞伎も、すばらしい世界遺産の旅もひなびたローカルな旅も、自在に楽しむことができました。それもほとんどがとても低料金で・・・現代文明の有難さですね。

 第三には、仕事関連です。むろん職種によりますが、リモート、テレワークによる仕事は、意外とスムースに普及し、効率よく進むようになりました。これは日本人の適応力の高さを表しており画期的な体験となりました。その影響で早々と自然豊かな郊外や山里や島へ移住した人も現れましたね。この変化は今後もいろいろな形で拡がってライフスタイルを変えていくことでしょう。

 第四は、お金を使う機会がぐんと減ったことです。それは食事に関するもの以外は、とりあえず買わなくても済むことの発見であり、いままで余り必要でないものまで買っていたことにも気づきました。この機会に家の中を整理し、断捨離的な仕事をした人も多いと思いますが、いかに無駄なものが家にあるかに目覚めたこともプラスの一つであったはずです。

 第五は、別次元の大きな訓戒でありました。大空港にジェット機がずらりと翼を休めて並んでいる光景は象徴的でした。それは全世界の小さな空港を含めての事態であり、各地に散在する電車やバスの操作場や駐車場にも同じような光景がひろがっていたはずです。また、ロックダウンされた市街はまるで人影がなく、夜の飲食街はまるで撮影前の映画のセットのような殺風景な景色となりました。
 コロナ禍による経済的な打撃は大きく広範囲にわたっており膨大なものになりそうです。これは人類のかつて経験したことのない地球規模の災禍であり、ヴァイラスという目に見えない敵との戦いは第三次世界大戦に類する大事件となりました。

 これらを総括すれば、コロナは人類の活動に急ブレーキをかけ、人類に大警告を発したのだと思います。人間はこれを機に、大いに反省し謙虚になり、過剰生産や過剰消費、資源の浪費やゴミの大量廃棄を是正し、貪欲文明から適々文明へ、足るを知る生活へと舵を切ることを決意すべきではないでしょうか。

2 豪奢な饗宴は、幻影か空前の灯か

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 さて、私は最近、たまたま「豪華客船タイタニック号」の映画をみました。
 が、それは日本丸という船内での贅沢な饗宴を連想させ、隠れた危機が日本丸の船底に近づいている怖れを感じさせたのです。いつの間にか巨大な氷山のようになった国家の膨大な借金を想起したからです。
 日本は1990年に金融バブルが弾けて以来もう30年、ある意味で漂流を続けています。すでにその時点で経済は成熟し生活は暖衣飽食の段階に達していました。本来はあの時期にそのことを察知して大きな政策転換を図るべきだったのです。ところがそれまでの成功に酔い、のほほんとした怠惰のなかで、その事態に真剣に取り組むことなく無為に過ごしてしまいました。そしてなお成長をめざすという無理な政策をとり続けたのです。それは旧来のままの経済成長至上主義でありGDP信仰によるものでした。

 その結果はどうなったのでしょうか。その画期は2000年の小渕内閣の時に見ることが出来ます。「日本一の借金王」と自嘲しながらも赤字国債を奮発したからです。ただ、小渕さんの時はまだ恥じ入るだけの抑制が効いていたのですが、その後がよくありません。以後はブレーキが壊れたように借金することが当たり前のようになり、それを人気取りのバラマキ政策に乱用したのです。その結果、小渕内閣時には国の債務残高は217兆円だったにかかわらず、以後は年平均50兆円ずつ増えて遂に今年1300兆円へと異常な肥大ぶりになってしまいました。小渕流にいえば安倍内閣は世界一の借金王になったことになります。それは国民の一年間の稼ぎ(GDP)の237%にもなり、対GDP比での国際比較でみるとあきれるほどの事態になっているのです。たびたび破産が噂されるほどのギリシャでさえ181%であり、ちょっと危ないイタリアでも132%です。、米国104%、フランス98%、英国86%・・・そしてドイツはなんと61%です。戦後、共に大敗北を喫したドイツと日本は、その後の復興ぶり、経済成長ぶりの素晴らしさでいつも輝く存在でした。ところがこの20年で少なくとも国の債務ではこんなに差がついてしまったのです。
 そこへ今回のコロナによる被害が追い打ちをかけました。緊急支援の額はすでに数十兆円にのぼっており今後の60兆円の特別予算も合算すれば巨額の数字になることは明らかです。

 こうした現実を突きつけられると、これまで見て来た「幸福の十景」が、あたかも「平成のユーフォリア」であり、「最後の饗宴」と映るかもしれません。しかし、日本は幸いにして個人資産や海外資産を2000兆円以上も所有しており、その蓄積があるからこそ世界の信用を確保しており、円高も株高も維持しているのです。
 しかし、明らかなことはこの20年間、年々稼いだお金で豊かさと便利さを享受していたのではなく、そのかなりの部分は借金によるものだったこと、そして毎年そのツケを将来に延ばしてきたことは紛れもない事実です。これまでの政府のやり口は借金で大盤振る舞いをして票に結びつけてきたことが多いのです。それを甘受し気楽にローンに依存して生活をしてきたのもまた国民でありました。まさに落語にある「花見酒」の全国展開といっていい情景です。
 こんなことはいつまでも続きません、もう限界と知るべきです。
 政治を人任せにしてのうのうとしているとこういう事態になるのです。われわれ自身がもっと政治意識をもち、それを監視し、ノーはノーといい、意思表示をはっきりしなくてはいけません。ここで断然たる決意をもって大改革に踏み切らなくては日本丸の未来はないと思います。あのタイタニックの沈没が他人事でなくなる危険があることを、われわれは肝に銘じるべきだと思います。

3 コロナは幕末の黒船、今こそ維新級の大改革を

 ところで、識者の中にはコロナの衝撃波を「黒船」と見る人が少なからずいます。
 その危機感をもって大改革をすべきだと主張している志士というべき人がいるのです。
 幕末もそうでした。幕府の中にも阿部正弘や勝海舟のような先見の明のある人物がいました。が、体制派は総じてぬるま湯につかって危機感は希薄でした。症状の深刻さに鈍感でとても手術をする決断はつきませんでした。その結果、体制外の大名や藩士の中から、島津斉昭や松平春嶽、坂本龍馬や高杉晋作のような先見の明ある人物が輩出して、明治維新の大革新をやり遂げていくのはご承知のとおりです。

 現代でもそのような高い志をもった人はいます。名を挙げるとすればまず稲盛さんです。京セラの創業者であり、第二電電(KKDIの前身)の創業にもかかわり、破綻した日本航空を見事に再生させた偉大なる経営者、しかも得度して僧にまでなった哲人思想家でもあり、数々の著書で警世の発言をされている先覚者です。
 その稲盛さんは2004年の時点で、すでに次のようなことを書いておられます。(「生き方」サンマーク出版)
 「いまこそ経済成長至上主義に代わる新しい国の理念、個人の生き方の指針を打ち立てる必要があります。それはまた一国の経済問題にとどまらない、国際社会や地球環境にもかかわってくる極めて大きな喫緊の課題でもあります。なぜなら、人間の飽くなき欲望をベースに際限なく成長と消費を求めるようなやり方を改めないかぎり、有限な地球資源やエネルギーが枯渇するだけでなく、地球環境そのものが破壊されかねないからです。」
 そして、「沈みゆく船の中で、なお奢侈を求め,飽食を楽しむ―私たちはその行為のむなしさ、危うさに一刻も早く気づき、新しい哲学のもとに新しい海図を描く必要があるのです」
 さらに、その哲学については、「自然の理に学ぶ ”足るを知る“ という生き方」であるとし、「感謝と謙虚」をベースにした「他人を思いやる利他の行い」であろうと述べておられるのです。

 それは小泉純一郎内閣の時期にあたります。が、小泉首相は新自由主義の信奉者である竹中平蔵氏を担当大臣に据え、稲盛さんの考えとは真逆の経済成長主義政策を推し進めていくのです。小泉さんは革新的な功績を残された快男児でありましたが、この点については失策だったと思います。安倍内閣はその失策を引き継いでしまいました。そのうえ、人気取り政策を次々に打ち出しバラマキ政策を続行しました。黒田バズーカ砲を日銀総裁に据えて異次元の金融超緩和策をとりいれたことも放漫政治に輪をかけたと思います。
 この野放図ともいえる新自由主義の政策こそが、我が国に所得格差をもたらし、金持ち階級を優遇し貧しい勤労者を多数生み出した元凶だと私は見ています。

 このような危機的な現状を打開してくれるパワフルな志士は現れないのか、とヤキモキしていたら、本年二月、新世代からAI装備のゴジラ的志士が現れました。
 「シン・ニホン」なる斬新なタイトル本を引っ提げ、「この国は、もう一度立ち上がれる」と、勇ましい言葉を帯に巻きつけての登場です。その人は安宅和人氏、52歳、慶応義塾大学環境情報学部教授でありヤフー株式会社のCSO(チーフストラテジーオフィサー)です。
 ご本人は自らミドル世代と称してこう述べています・・・「いい年をして坂本龍馬を目指すのではなく、(若い志士たちの)挑戦をサポートし、励まし、金を出し、必要な人をつなぐという勝海舟的なロールを果たす」との心意気なのです。
 さらに安宅氏は著書の「はじめに」でこう述べています。(「シン・ニホン」NEWS PICKS PUBLISHING)
 「2019年秋現在、日本には不安と停滞感、現実を直視しない楽観、黄昏感が満ちている。悲観論や批判ばかりの人、危険を煽るだけの人も多い。単なる悲観論は逃げだ。
 自分たちが未来を生き続けること、自分たちが次の世代に未来を残す存在であることを無視している。本当に未来を変えるべきと思うなら、なぜもっと現実に向かい合い、建設的な取り組みやイニシアチブを仕掛けないのか」
 さらには、若々しくスポーテイに・・・・・・
 「大切なのは、自らハンドルを握り、どうしたら希望の持てる未来になるのかを考え、できることから仕掛けていくことだ。濁流だからと腰が引けたまま待つのではなく、ラフテイングのように流れに乗ることも逆に楽しもうということだ」。
 そして、堂々とこう宣言しています。
 「僕らが少しでもましになる未来を描き、バトンを次世代に渡していくべきだ。
 もうそろそろ、人に未来を聞くのはやめよう。
 そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けよう。
 未来は目指し、創るものだ」と。

 実に感動的ではありませんか。「日本を何とかしたい」という高い志と熱い情熱が伝わってきます。「未来は目指し、創るものだ!」、いいですね。「考え、仕掛けよう!」というフレーズもうれしいです。私は、このコスモス的志士に賭けたいという気分になりました。
 この呼び掛けに応じて現代の龍馬や晋作、青年栄一や青年博文が、続々と登場してくることを切に祈るばかりです。
 

4 日本近代化、創業世代の「夢」

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 さて、日本近代化の原点・明治維新期に、先人たちは文明開化の目標をどうイメージしたのでしょうか。そこで思いつくのは二人の人物、佐久間象山と横井小楠です。
 佐久間象山は松代藩の一藩士です。幕末第一の天才的存在、先見の明と胆力のある知的豪傑でした。早くから蘭学を学び、西洋文明の核心をつかみ、、日本の行くべき道を明示しました。それは「開国し文明を摂取すべし」であり、さらに目指すキーワードは「西洋の芸術、東洋の道徳」でした。ここでの「芸術」の意味は技術を含んだ意味であり今流の「アート」を指していたと思います。象山の炯眼は「技術は西洋」、「倫理は東洋」と見抜き、「和魂洋才」を主唱しました。

 横井小楠も熊本藩の一藩士でした。秀才の誉れ高く儒学を究めると西洋事情も果敢に学び、思想家であり政治にも参画しました。その思想の高遠なことを海舟が激賞し、西郷や龍馬もすっかり惚れ込んだ先覚者でした。
 その小楠の目指したのは、当面の策としては「富国強兵」と「殖産興業」でしたが、小楠の凄さは、その先に世界を見据えた「夢」を描いていたことです。それは次のような詩として残っています。

堯舜孔子の道を明らかにし、
西洋器械の術を尽くせば
何ぞ富国にとどまらん、
何ぞ強国にとどまらん
大義を四海に布かんのみ

 堯舜とは古代中国の名君の世を意味し孔子の道と併せて「徳」による政治でした。小楠は西洋の技術を摂取して豊かな国と強い国をつくったら、その次は「徳治」の理想を世界に広げろというのです。明治日本はその後、大正・昭和で軍事国家となり、小楠の意に反して「王道でなく覇道を往く」ことになってしまいました。そして日米戦争で大敗北を喫し亡国寸前までいったことは周知の通りです。
 戦後は、その苦い経験を生かして、平和国家を目指し富国一途に努力し世界有数の大経済国家になりましたね。でも、その先に何を目指すべきか、われわれはその理念とヴィジョンを描くことを怠ったというべきでありましょう。遅きに失したとはいえ、今からでも小楠的な夢をはたすべく奮起すべきではないでしょうか。

 目指すべきは何か、やはり「徳」ではないでしょうか。でも「徳」といっても現代ではピンときませんね。実は、福沢諭吉も「人品の高尚」という言葉で「徳」を表し、渋沢栄一も「恕」(論語)で「徳」をめざしたのだと思います。では「徳」とは今様にいうとどうなるのか。私は稲盛さんの表現「他人をおもいやる利他のこころ」だと思います。それはキリスト教の「愛」にも通じ、全人類に共通した価値観といっていいのではないかと思うのです。

5 天地人和楽

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 しかし、これらの言葉は、いずれも人間と人間の関係を連想させます。いまや宇宙時代・地球時代となり、この偉大なる大自然の上にこそわれわれの存在があることを想起すれば、その天と地も包み込むような言葉はないかと考えざるをえません。
 そこで思いついたのが「天地和楽」のフレーズです。これは、先にも触れた江戸前期の儒者、貝原益軒の言葉ですが、古来、自然を大事にする日本の伝統思想に根差しながら、「和楽」というやわらかい表現がとても現代的だと感じたのです。そして「人」を加えて「天地人和楽」としてはどうか、英文では一案としてHeaven、Earth and Human beings with Harmony・・・というのが現時点のアイデイアです。

 そして「天地人和楽」のイメージを、より具体的にしたらどうなるか、日本列島に投影してみたらどうなるか、それを試みたのが「美味し国・ニッポン列島」の小文です。これは、2016年12月にNPO Iwakura Mission Society (米欧亜回覧の会)主催の「グランドシンポジウム」で発表したものですが、それを以下に紹介させていただきます。
(「岩倉使節団の群像」米欧亜回覧の会・泉三郎編;ミネルヴァ書房;2019.2刊)

美味し国・ニッポン列島~住みたくなる、訪れたくなる国

悠久の宇宙に浮かぶ青い地球
その大洋に日本列島が弓なりに連なっている
北は亜寒帯から南は亜熱帯まで
緑の山々を脊梁とし白砂の海岸線に縁どられている

夕闇せまるころ大小の都市に光が輝き出す
仕事場、家庭、学びの場、研究所やデザインスタジオ
海辺にも山里にも小さな光ガチラチラみえる
人々は学び、働き、恋し、家庭を営んでいく
各地からはグルメ食品や素適なファッションが生み出され
知的、美的、精妙巧緻な機器が世界に送り出される

山紫水明の地には 神社仏閣、温泉、多彩なリゾート
飲食と談笑の楽しみ、助け合い、生き甲斐のある暮らし
これほど美しい自然と長い歴史を積み重ね
東西文明の思想を融合し最新の文明の恩恵に浴して
人生の悦楽を享受しうる国が他にあるだろうか

大国でもなく小国でもなく、中位・中道・中和の国として
平和を希求し世界の調停者に徹しようではないか
そんな地球時代のモデルになるような
オンリーワンの「美味し国」を
目指してはどうだろうか

夢と目標さえ持てば、日本人は凄い力を発揮する
幕末も戦後もわが日本人は大革新を遂げたではないか
気分を一新して「新しい日本像」を
デザインしようではないか

 さて、みなさん、どう感じられたでしょうか。
 おそらく賛否両論がいろいろあると思います。
 これを一つのたたき台にして大いに議論し、
 我が国の目指すべき「夢」と「ヴィジョン」を
 ぜひ創り上げていただきたいと願っています。

謝辞

以上で、15回にわたった私の連載「真の幸福とは何か」は終わります。
最後まで読んでくださってまことにありがとうございます。
また、メールその他でいろいろのコメントやアドバイスを戴いた方々に
お礼を申し上げます。

そして、この「note.com」という素晴らしい舞台を提供してくださった
関係の方々にも深く感謝いたします。また、この「note.com」から、各界
の多彩な優れたクリエーターたちが輩出することを祈念して、謝辞とさせ
ていただきます。

2020.12.19   泉 桜舟

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