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2003年の夏の出来事 1

今まさに中国だけではなく、既に日本や諸外国にも広がってしまった新型肺炎コロナウイルス。まずこのウイルスによってお亡くなりになられた方々に心よりお悔やみを申し上げます。それからこのウイルスと闘っていらっしゃる方、一日も早い回復をお祈りしています。そして一刻も早い事態の収束を祈っています。

さて、このコロナウイルスの一件で、だーーーーっといろんな記憶がよみがえってきたのですが、今から約17年ほど前に世界的にSARSというウイルスがアウトブレイクしたのですが、覚えておられる方いますか?その当時、私はカナダに住んでおりましたが、2003年の夏は私や私の家族にいろんなことが短期間に起きたのでした・・・

その時私は②(2番目の娘)を妊娠していて、7か月目ぐらいだったと思います。ある日の夜、急に悪寒がし高熱が出はじめ、お腹が恐ろしく張り始めたんです。自分でもなんとなくやばい気がしたのですが、1晩耐えて翌朝ファミリードクターに電話をかけ指示を仰ぐと、すぐに救急へ行けといわれ、ばたばたで一番近くの病院のエマージェンシーに行きました。その時①(長女)は3歳、他の家族もいなかったので夫にはそのまま帰ってもらいました。そこでまず目に入ったのは、待合室で待っている人の多さ。これって何時間待ちなんだろう・・・ってうっすら思った記憶があります。それでも妊婦だということで、優先的に中に入れてもらえることができ、看護師さんに熱や脈をはかってもらって、ベッドに横たわってお医者さんを待っていました。その後はやはりお医者さんにみてもらうのに何時間も待ったのですが、病院にいるという安心感でうとうとしたりして、やっとのことでお医者さんにみてもらいました。風邪が原因だと思うが、念のため一晩入院して様子を見た方がいいといわれ、私もその方が安心なのでほっとしていました。しばらくすると看護師さんがやってきて、ベッドが足りないので申し訳ないけど、こちらの簡易ベッドの方に移ってくれといわれ、救急車で使っているようなストレッチャーのようなものに移りました。そのままどこかへ押されていったのですが、止まったところは病院のどこかの廊下でした。そこで看護師さんが、空きの部屋とベッドを確認するのでちょっとここで待ってくれと言われました。一晩病院にいるようにという最初の話だったけど、結局熱も下がらず、お腹のはりもそのままで、しまいには咳も出始めもう少し観察したほうがいいという病院側の判断だったのですが、あまりにも患者さんが多すぎで結局はベッドが全く空かず2日半そのまま廊下で寝かされて過ごしました。その時、携帯なぞもっておらずプラスあまりのしんどさに今何時なのか、自分が病院にどれくらいいるのかもよく理解できておらず、①のことや夫は心配しているやろなあとうっすら頭に浮かんできたけど、トイレにも行けない状態(管をつけてもらっていた)で、それ以上考えられなかったのを覚えています。(その間夫は心配で病院にも何度も来たらしいが、SARSのアウトブレイク真っ最中だったので、患者じゃない人は家族でも病院に入れずという事態になっていて、病院に電話をするけど同じような状況の家族が沢山電話をするから話し中で全く繋がらなかったので、他の病院に勤めている親友に頼んで病院の職員しか知らない電話番号にかけてもらい、私の安否を確認していたそうです。)


2日半、廊下で寝かされていた私の状態は悪くなる一方で、咳もひどくなってきた。ここの病院では結局何が原因かがわからず、ダウンタウンにある妊婦専門の病院に転院するように言われてしまった。その時に初めて夫に電話をし状況を告げたが、折りも折り、万が一のことを考えて夫には絶対に病院には来るなと伝え、その後救急車にて転院。転院先の病院は救急部門がなので、ごったがえしておらずちょっと安心したのを覚えている。連れていかれた部屋は相部屋ではあるが、ベッドもすでに私の名前で用意されており、2日半廊下でストレッチャーの上で過ごした私には天国!!先に入院していた女性に挨拶し、その彼女はあと2週間ほどで出産だが持病の糖尿病が悪化してしたらしく、それで入院してきたなどの話を聞いた。話の最中に私が咳込んだ(もちろんずっとマスクはしていた)途端に、彼女は急に怪訝そうな表情になり、さっと自分の横のカーテンを閉めナースコール。看護師さんがすぐに来て、こそこそとその彼女と話してから、その看護師さんは出ていったのだが、すぐに違う看護師さんが私のところにやってきて、同室の女性があなたが伝染性のある病気を持っているかもしれないのでは、と不安がっています。あなたがSARSだと言っているのではないし、SARSではないと思うけど、アウトブレイク中なので別室へ移動してもらいます。と言われる。いえいえ、もちろん、私が同じ立場でもすごい不安になっていたと思うから、部屋なんて全然移りますよ。といって連れていかれたのが、ボイラー室。大きなボイラーが常に音を立てている窓がない部屋・・・そこの部屋が私の即席隔離室に仕立て上げられていたのだった。その時いろんな感情がこみあげてきたけれど、お腹の子供を守らなければならないという一心で、もしSARSだったとしても絶対よくなってやる。という気持ちがメラメラと沸いてきたのを覚えている。結局3日そこにいることになるのだが、ボイラー室なので作り付けのトイレも洗面所もなく、簡易トイレがおかれ(2日間は管が通っていたので、簡易トイレをつかったのは1日だけ、)チェックに来てくれる看護師さんやドクター、食事を持ってきてくれるスタッフの人は全員、養蜂業の人がかぶるような頭からすっぽりの被り物&ゴム手袋をはめていた。ボイラー音がうるさく、酷く暑かったけど病院は耳栓を持ってきてくれたり、不自由のないように対応してくれた。そして、退院の前日の昼間には熱も平熱になり、うそのようにお腹の張りもなくなった。その時を同じくして、SARSのウイルスに感染されていなかったという検査結果も出て、ただの風邪だったということが分かった。そこからは退院するまで看護婦さんもドクターも被り物・マスク・手袋なしに!無事に退院できたのが7月初旬だが、まだまだ話は続くのであった・・・・。


ニューヨークあるある・20

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Have an awesome day!


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