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検察はたくさんの冤罪(えんざい)をでっちあげてきた件(2)

▼事実は小説よりも奇なり、ということわざは、普遍的である、とつくづく思う。

▼村木厚子氏が検察によって犯罪者にでっち上げられた事件について。前号に続き、中日新聞編集委員の秦融氏がまとめた「〈調査報道〉独自情報入手し冤罪立証ーー連載「西山美香さんの手紙」から」を紹介する。「新聞研究」2020年3月号。

▼2020年の5月、検察庁法改正が見送られたが、いくら安倍政権がひどいからといって、検察をあれだけ応援する世論ができあがってしまうことに、筆者は控えめに言って、寒気を覚えた。

以下は、知らない人には、ぜひとも知ってほしい捜査の実態である。適宜改行と太字。

〈捜査手法の問題は供述調書作成のプロセスにあった。

逮捕された同省係長の供述調書に村木さんは驚いたという。「私と係長との会話がとてもリアルで、『ちょっと大変な案件だけどよろしくね』とか、『決裁なんかいいから早く作りなさい』とか、『ありがとう。あなたはこのことを忘れてください』とか、いっぱい書いてあるんです」

 耳を疑ったのは、その後、村木さんが言ったことだ。「裁判が終わってから、私と彼(係長)は1度だけ会いました。会ってお互いが、こう言ったんです。『私たち口をきいたことありませんよね』『僕たち口をきいたことありませんよね』って。『おはよう』『こんにちは』すら言ったことがなかったことを、お互いが確認したかったんです」〉

▼上記の文章を読んで、自分の目を疑った人もいるだろう。

一度も会ったもない、あいさつすらしたことのない二人の人間が、検察が捏造した供述調書では、親密に謀議を重ねたことになっていたのである。

これにサインさせられた当人の絶望の深さよ。

▼つまり、供述調書とは、「検事の妄想」なのである。いや、妄想、と言われると気分を害する人がいるかもしれないので、急いで忖度(そんたく)して訂正すると、検察の供述調書とは、少なくとも供述した人の証言ではない。

では、何なのかというと、何なのか、わからない。

これは、「収容所群島」のソ連でもなければ、シュタージが支配していた東ドイツでもなければ、共産党の中国でもない。21世紀の日本で行われたやりとりなのである。

言葉を交わしたことのない2人の会話が供述調書になる。そんなことがなぜ起きるのか。係長は、証明書の偽造は独断だったと何度訴えても検事が全く耳を貸さず、長期間の勾留で眠れなくなり、絶望的な心理状態で調書にサインしてしまった、と涙ながらに村木さんに語った、という。

▼ひどい話である。また、もう少し高級な捏造の手口もある。

〈こんな話もあった。検事は「係長さんがもしあなたを信じて、あなたの命令だったから偽の証明書をつくってしまった、としたら、どうですか?」と村木さんに仮定の質問を持ち出した。そして、「係長さんはそんなことをやる人ですか?」「お金のためにやる人ですか?」と聞いてきた。

村木さんは「違います」と答えたが、出来上がった調書を読むと、初めの「もし」の部分が消え、「彼(係長)がこういう不正をしたのは、私の指示がきっかけです。申し訳なく思います」という内容になっていた、という。〉

▼少々高級すぎて、一度読んだだけでは、よく意味がわからなかった。こうした捏造の手練手管が、検察では、脈々と受け継がれているのだろう。

〈係長だけではない。同僚たちも、村木さんが関与した、という調書に次々と署名させられていった。「社会経験のある人たちでさえ、そうなんです」と村木さん。供述弱者だけが冤罪の被害者になるのではなく、誰もが供述弱者にされてしまうシステムを、この事件は露見させた。〉(以上、「新聞研究」2020年3月号16-17頁)

▼身も蓋もない供述調書づくりの顛末(てんまつ)だが、佐藤優氏の名作『国家の罠』しかり、日本で最高の教育を受けた人々が、検察の手にかかると、どんなウソだらけの供述調書にもサインをしてしまうようになる。

▼人間にとって大切なことは、いい大学に行ったからといって、自分のものにできるわけではない、という当たり前のことを、検察の歴史は教えてくれる。

▼この村木氏へのインタビューは、これで終わりではない。勘のいい人は気づいているだろうが、検察がこうした傍若無人(ぼうじゃくぶじん)を振舞っても許される大きな原因に言及している。マスメディアの役割である。

(2020年7月10日)

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