「道徳」の教科書がとても窮屈な件
▼小学校で「道徳」の授業が始まって1年が経つ。
筆者は「道徳」を授業で評価するのは無理筋(むりすじ)だと思うが、小学校の先生をしている友人に聞くと、現場では懸命の努力が続いている。これから数年で出てくる、道徳教育の現場ルポやインタビューが読みたいものだ。
▼2017年5月10日付の毎日新聞「記者の目」欄に、金秀蓮(キムスリョン)記者の〈道徳教科書 初の検定/子どもの心 狭めないか〉という記事が載っていた。
東京書籍の道徳の教科書に出てくる「パン屋」を「和菓子屋」に変更させた一件に象徴されるように、文部科学省の検定はずいぶん話題になった。そうした例はたくさんある。
〈例えば「節度、節制」の項目。1、2年生では「健康や安全に気を付け、物や金銭を大切にし、身の回りを整え、わがままをしないで、規則正しい生活をすること」と定められている。
検定では複数の教科書会社が「金銭を大切にする」という内容を満たしていないことを理由に、「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」という指摘を受けて修正した。
ある教科書の「わたしだけの かばん」という題材。新しいかばんをほしがる女の子に母親が「まだ使える」と諭(さと)す。それを見ていた女の子の姉がかばんをリボンや布で飾り付け、生まれ変わったかばんを手にした女の子が「ずっと大切にしよう」と思う内容だ。
検定意見を受け「まだつかえるでしょ。みんなはみんな、えりはえりよ」という母親の言葉は「まだつかえるのに、買いかえたらお金がもったいないでしょう」に書き換えられた。
別の会社も同様の指摘を受け、読み物の後の設問に「お金」の文字を入れた。編集者は「新しい物を買わずに大切にすることが『金銭を大切にすること』につながることは、教員の工夫で伝えられる。でも『お金』という文言を使わないとクリアできなかった」と打ち明ける。
学習指導要領の項目の単語を盛り込むことは、それほど大事なのか。〉
▼道徳の教科書を担当した編集者は、胃が痛くなるのではないだろうか。「みんなはみんな、えりはえりよ」のほうが、「買いかえたらお金がもったいないでしょう」よりも、はるかに様々な「道徳」的な考えを促(うなが)せるのではないかと思うのだが。
日本の教科書検定は、近代以降の権威づけの特徴である、「文書至上主義」の典型例だ。
▼東京学芸大学准教授の大森直樹氏は、「普遍的な価値観であっても、子どもに押しつけてはいけない。自然に気づき、身につけてもらうのが理想。意図的な道徳心の形成はうまくいかないし、損なわれるものが多い」とコメントしている。
そのとおりだと思う。
▼どんな授業でも、現場の教員によって、その質は、まるで変わる。しかし、「その集団のルール」である道徳を、授業で教えて、同調圧力の同工異曲にならないようにするのは、離れ業のように思える。
ましてや、「移民大国」になりつつある日本社会で、「その集団」と「あの集団」とが遭遇した時、どう行動するべきかについて、授業で教えることは難しい。それこそが、必要な「新しい道徳」なのだが。
パン屋を和菓子屋に変更させた教科書で進める道徳の授業が、何の役に立ったのか、「エビデンス」が出るのは何年も経ってからだ。そのとき、文科省の担当者は別の部局に異動しているかもしれない。
(2019年6月21日)