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「神保町ブックフェスティバル」では資本主義の論理がちょっと狂う件

▼きょうと明日と、「神保町ブックフェスティバル」という催しが東京都千代田区のすずらん通りで行われている。今号はその話。

▼まず、「神保町の古本市」といえば、「神田古本まつり」が有名だが、「神保町ブックフェスティバル」は、「神田古本まつり」とは似て非なるものである。

古本ではなく、新品同然の本が、おおむね半額で買えるのだ。

今年は、「神田古本まつり」が、10月25日から11月4日まで。結構長い。いっぽう「神保町ブックフェスティバル」は10月26日と27日の2日間だけ。

▼パンフレットを見ると、初日は10時30分から開始、となっているが、毎年、まず10時15分から「すずらん通り」でパレードが始まり、パレードが通り過ぎたところから順番に開店するルールになっている。

幾つかの店は、アナウンスされているにもかかわらず、このルールを破ってフライングする。昨年は、慶応大学出版会の本を売っているワゴンが、ルールを無視して早々と売り始めていた。

▼1日目、2日目と、合計2日開催されるのが常だが、本当に掘り出し物を手に入れたい人は、1日目の最初から、狙いをつけたワゴンに並ぶ。

というか、群(むら)がる。

群がる、というと聞こえが悪いが、あの光景を客観的に見ると、群がるという表現が最もふさわしい。行ったことのある人は、頷(うなず)くと思う。

▼また、昨年は、「魚金」の前、汲古(きゅうこ)書院のあたりのワゴンに、周りの本好きの客とは全く雰囲気の違う男性たちが殺到していた。どう雰囲気が違うかというと、殺伐(さつばつ)としていた。

近年、神保町ブックフェスティバルを狙った「せどり」が横行して、古本の市場価格が上がってしまっている、という厄介(やっかい)なニュースがあったが、その類(たぐい)かもしれない。

▼古本屋の空間は、一般社会で通用している資本主義の論理がちょっと狂っているので、面白い。

とくに神保町は、「三省堂書店」や「東京堂書店」、「書泉グランデ」から一歩外に出ると、ものによって、同じ本がまったく異なる値段で売っているわけだ。両方が共存しているだけで、面白い。また、古本屋同士で、同じ本に異なる値付けがされている。それも、面白い。

「日本の古本屋」などで検索すると、店による値付けの違い、目利きの違いを、北海道の古本屋から沖縄の古本屋まで、たちどころに、正確に、一覧で眺めることができる。便利ということは、残酷でもある。

▼年に一度の神保町ブックフェスティバルは、新刊本が半額になるのだから、もっと面白い。ワゴンの補充の瞬間に立ち会えるかどうか、という運任せの喜びや悔しさも、ことによっては古本屋めぐりよりも振り幅が大きい。

加えて、2日目の最終日の午後や夕方は、半額よりもさらに安くなり(ほとんど投げ売りのようになる店も稀にある)、同時に、交渉の余地が大きくなり、さらに面白い。ただし、当たり前だが、目当ての本は少なくなっている。

▼文学の本なら、今年は「藤原書店」や「人文書院」が出店していないが、筆者は数年前、『石牟礼道子全集』全17巻、別巻1冊を、「藤原書店」のワゴンで「1冊800円」「1冊1000円」で買い揃えた。もともとの定価が気になる人は、インターネットで調べてみてください。

また、「白水社」のワゴンで、アラン、ベルクソン、ティリッヒの著作集をほぼ買い揃えた。「1冊1500円」の時もあれば、「1冊1000円」の時もあった。これらの本には、バーコードが付いていない。もともと「分売不可」だから、1冊ずつ売る形態になっていないのだ。『ティリッヒ著作集』は全11巻、分売不可で、定価は48000円+税。

これは出版社にとって不幸なことだ。分売不可で全11巻の場合、たとえば第3巻が破損してしまったら、あとの10冊も定価で売る手段がなくなるわけだ。だから、格安の値段でワゴンに並ぶことになる。

「神保町ブックフェスティバル」は、1年のうち2日間だけ、古本屋の空間よりもさらにちょっとだけ、資本主義の論理が狂う空間なのである。

▼毎年、客が殺到するワゴンとしては、「早川書房」「東京創元社」「国書刊行会」あたりが有名だ。早川と東京創元社は、あまりに人が多いので、列を作って、入場整理をしている。とくに早川は、著者サイン本で知られる。

国書刊行会は、入場整理を行わない。もともとの定価の高い本ばかりだから、熾烈(しれつ)な最前列争いが繰り広げられる。時間帯によっては、いい本を買った後、「戦列」から離脱するのも一苦労だ。

そういう次第だから、人気の高い本は、残念ながら初日の午前中でだいたい売りきれてしまう。後から来た人は、そもそもワゴンに並んでいたこともわからない。もっとも、世の中には知らないほうが幸福なことがある。

▼哲学、思想好きの人なら、作品社という出版社をご存知だと思うが、作品社のワゴンだと、今年はヘーゲルの本がすべて「1冊1000円」で売っていたが、午前中にすべて売り切れた。

また、仲正昌樹氏の『ポストモダン・ニヒリズム』は、2018年11月30日発行であり、発行から1年経っていないのだが、1000円で売っている。

平凡社河出書房新社のワゴンも、未見の人は、覗(のぞ)いてみるだけで面白いと思う。

▼個人的に好きな店は、「八坂書房」のワゴンである。宮本常一セレクションや、自然や花の本が美しい。何を翻訳するかを選ぶセンスも優れていて、編集も丁寧で、素晴らしい本が多い。ローレンス・ライト氏の『ベッドの文化史 寝室・寝具の歴史から眠れぬ夜の過ごしかたまで』など、とても面白かった。

▼ほかに、珍しい風景を二つ挙げておくと、「お化け友の会」のワゴンには、毎年、京極夏彦氏が参加していて、本を買えば握手したり、サインをもらえる。

レインボー通商」のワゴンでは、本当にここでしか買えない、北朝鮮の労働新聞や、地図、様々なグッズが売っていて、神保町ブックフェスティバルならではの風景だ。

▼新刊本が安く買える、という観点から、せっかくなので「神田古本まつり」のほうの個人的なおススメも書いておくと、悠久堂書店がおススメだ。この本屋は、通常のワゴンで文庫本などのほぼ新品が安く売っているのだが、神田古本まつりの間だけ、巨大なワゴンに新刊本がズラリと並ぶ。「硬い」本が多いが、今年は月村了衛氏の『欺す衆生』(新潮社、2019年8月27日発行、定価2090円)が半額で売っていた。

こうした話は書いていくとキリがないから、これでやめておこう。

〈本を読む人の美点は、情報収集力にあるのではない。また、秩序だて、分類する能力にあるわけでもない。読書を通じて知ったことを、解釈し、関連づけ、変貌させる才能(ギフト)にこそある。

タルムード(ユダヤ教の教え)の律法学者やイスラムの導師にとって、学者とは、読書という技を通じて信仰心を行動力に転換させられる存在を意味する。〉(アルベルト・マンゲル『図書館 愛書家の楽園』89頁、野中邦子訳、白水社、2018年)

(2019年10月27日更新)

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