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「白か黒か」決められない件 ジンバブエのムガベ大統領

▼新聞は旧聞(きゅうぶん)でもある。むしろ、旧聞でなければならない場合がある。なぜなら、「旧聞」を振り返らないと、「新聞」の、どこが「新しい」のかが、わからなくなるからだ。羅針盤(旧聞)がなくて海を渡ったり(新聞)、地図(旧聞)がなくて未知の場所を歩く(新聞)ようなものだ。

書いている「記者」は、その問題を追いかけているから、もちろん、新しい記事の新しさを知っている。しかし、その記事で、その問題について、初めて接する「読者」にとっては、どうだろうか。

これは報道の「文化」の問題だから、なかなか変わることはない。たとえば英語圏の新聞記事と比べて、日本語の新聞記事には、旧聞が少ない気がする。

▼ジンバブエのムガベ大統領といえば強烈な独裁者というイメージだったし、実際、たとえば自国民を2万人も虐殺して、日本の安倍晋三首相などかわいく見えるとんでもない政治家だったのだが、「安易に白か黒かを決めつけると、見えなくなることがあるんだな」と考えさせられた記事があった。簡単に「白か黒か」を決めて安心したがる風潮が強まっているから、思い出した。

▼スクラップしていたのは、2017年11月23日付の毎日新聞。ムガベ政権が倒れた時の、服部正法ヨハネスブルク支局長の解説記事だ。一言でいうと、〈アフリカ政治の負の側面だけでなく、欧州の植民地主義がアフリカに残した傷の深さも体現したムガベ氏〉を丁寧に描いている。適宜改行。見出しは

〈植民地主義の傷も体現〉

〈初期には堅実な政権運営で経済は順調だった。官僚機構は今も他のアフリカ諸国に比べれば効率・機能的で、人々は勤勉で教育程度も高い。ムガベ氏が当初、教育に力を入れ、学校建設などを推進したたまものだ。

 なぜ彼は暴虐な「独裁者」に変わってしまったのか。周りにイエスマンしかいない長期政権の腐敗が主要因であることは疑いようもない。だが、別の側面もある。

 独立以前、少数派の白人による支配が続いたジンバブエでは独立時、約6000戸の白人農家が、全農地の4~5割を所有していた。ムガベ氏はこの土地を白人から買い上げて黒人に分配する土地改革に着手、白人の土地購入金はジンバブエと旧宗主国の英国が出すことになった。

 しかし、英国は97年に費用負担の停止を表明。停止の背景には、土地分配でムガベ氏周辺が不当に優遇されているとの批判があった。反発したムガベ氏は00年に白人の土地強制収用に乗り出し、欧米との対立は決定的になった。

 その後は「負のスパイラル」を転げ落ちるようだった。欧米はジンバブエの経済制裁へと突き進み、ムガベ氏は財政再建のため通貨を乱発し、ハイパーインフレを招いた。失政を重ねたのは間違いないが、欧州の支配がアフリカに残した搾取の構造を取り除こうともがいていた面もあったのだ。(中略)

困窮してきた黒人の零細農家から見れば、ムガベ氏の土地改革で彼らがまとまった土地を手にすることができるようになったのもまた事実だ。(中略)

 土地分配を受け充実した表情で働く黒人農家の切実な言葉も忘れられない。「(国の独立の)次は(白人からの)経済の独立が必須です」〉

▼新聞は旧聞でもある、旧聞でなければならない、と感じた記事の一つ。

(2019年2月20日)

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