教師に余裕ができれば子どものSOSを受信しやすくなる件
▼今号はタイトルを「教師に余裕ができれば子どものSOSを受信しやすくなる件」としたが、そんな当たり前のことを書かねばならないほど、日本の教育現場は追いつめられている、という話。
▼新潟県村上市で震度6強の地震があったので、新潟日報を読んでいたら、「学校に行けない小中学生が14万人いる」という記事があった。
全国不登校新聞社事務局長の小熊広宣氏の寄稿。適宜改行。見出しは
〈忙し過ぎる教師に余裕を/SOS気づきに直結/やらない改革取り組みへ〉
ちょっと見出しの後半がわかりにくいが、要旨は、「学校をよくするには、教師を助けるために「何をやるか」=足し算ではなく、「何をやらないか」=引き算を考えよう」というものだ。
▼リード文。〈通学はしているが、学校に行きたくないと感じることがある「不登校傾向」の中学生が約33万人に上るという、気になる推計結果を先頃、日本財団が発表した。中学生の10人に1人に上る計算だ。〉
▼10人に1人が不登校傾向、という数字は、率直に言って異常だと思う。
この紙面にはグラフが二つ載っていて、ここ10年ほどで、「小中学生の数」は107万人から98万人まで「減っている」のに、「不登校の数」は、13万人弱から14万人強に「増えている」という現実がわかる。不登校の数は5年連続で増えている。右肩上がりだ。
〈教員は忙し過ぎる。私の取材でも「休み時間のたびに会議が入り、トイレもままならない」「テストの採点が深夜までかかる」といった現役教員の声を聞いた。
精神疾患を理由に休職した公立学校の教員は25年前の約5倍に増えており、「学校がつらい」のは子どもたちだけではない。(中略)
大津市が市内の小中学生に行った調査によれば、いじめ被害を担任らに相談した子のうちの約8割は事態が改善したと回答している。教員の余裕は、SOSを受信する余地の広がりに直結する。(中略)
子どもも大人も、生活に占める学校の割合が肥大化し、息苦しさが増す。今、考えるべきは「何をやるか」ではなく「何をやらないか」という「引き算」の視点ではないか。
改革は一部では既に始まっている。新潟市教育委員会は6月から「平日の朝から夕の指定された時間帯以外は電話に出なくてよい」とのルールを導入。
このような取り組みの成果は地域を越えて共有していけるはずだ。
空いた時間に教員には、職員室から離れてほしい。階段の踊り場や廊下の片隅などを、休み時間に歩いているだけでいい。かしこまらなくてよい場所ならば、子どもから話し掛けやすく、教員も普段と違う子どもの様子に気付きやすくなる。〉
▼「学校の先生」の実状が垣間見れる、価値ある寄稿だ。大津市で担任の先生にいじめの相談をしたら8割が事態改善につながった話や、新潟市の教員を守るルールはいい話だが、とくにラストの段落は、血の通った提案だ。「階段の踊り場や廊下の片隅などを、休み時間に歩いているだけでいい」という一言が素晴らしい。そうできるように、なにを「引き算」するか、という発想が、忙しすぎる教員を助けるだろう。
たとえば、「階段の踊り場」や「廊下の片隅」などの「場」が、どれほど価値的なものかを研究する経済学が発展してほしいものだ。
(2019年6月23日)