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「編集」で印象がまるで変わる件ーーALS嘱託(しょくたく)殺人の報道から

▼編集によって印象がまるで変わってしまうことが簡単にわかる、いい例があった。2020年7月25日付の毎日新聞と東京新聞で考える。

これは、日本社会に蔓延(はびこ)る「優生思想」について考える導入になる。

また、木村花氏を死に追いやったリアリティー・ショー「テラスハウス」をめぐる「編集」の意味についても、応用して考えることができる。

▼まず、ALS嘱託殺人の概況報道をみておく。NHKから。適宜太字。

ALS患者の嘱託殺人容疑で逮捕の医師 SNS通じて知り合ったか〉(2020年7月23日 18時24分)

全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病、ALSの女性患者の依頼を受け、京都市の自宅に出向いて薬物を投与し殺害したとして、宮城県と東京の医師2人が嘱託殺人の疑いで逮捕されました。女性はSNSに「安楽死させてほしい」などと投稿していて、警察は医師2人がSNSを通じて女性と知り合ったとみて捜査しています。

逮捕されたのは、いずれも医師で宮城県名取市で開業している大久保愉一容疑者(42)と東京 港区に住む山本直樹容疑者(43)の2人です。

去年11月、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病、ALS=筋萎縮性側索硬化症を患った51歳の女性が京都市の自宅で容体が急変し、搬送先の病院で死亡しました。

病院で詳しく調べた結果、体内からふだん服用していない薬物が見つかったため、警察は経緯を捜査していました。

その結果、女性がSNSに「安楽死させてほしい」などと投稿し、当日、自宅に主治医ではない大久保医師と山本医師が訪れていたことが防犯カメラの映像などから分かったということです。

警察は2人が女性の依頼を受け自宅で薬物を投与し、殺害した疑いがあるとして、23日嘱託殺人の疑いで逮捕しました。〉

▼大久保容疑者と優生思想の関係については、稿を改める。

▼大久保容疑者の妻が会見を開き、その報道が各紙に載っていた。

そのなかから二つの記事を読み比べる。一つめは毎日新聞。

〈安楽死を希望していた筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性(51)が薬物を投与され殺害された事件で、嘱託殺人容疑で逮捕された大久保愉一(よしかず)容疑者(42)の妻で元衆院議員の三代(みよ)さん(43)が24日、宮城県内で記者会見した。「夫は自殺願望を抱えていた。『死にたい』と思う人の気持ちに共感しすぎてしまったのではないか」と説明した。〉

▼次に、同じ会見を報じた東京新聞から、該当箇所だけを引用する。

〈「死にたい人に関わって共感しすぎたのではと思うが、行為はしないのがプロだ」と突き放した。〉

▼この東京新聞の記者は、〈突き放した〉とかなり強い表現を使っている。記者がこう書いた背景になる情報を、同日付のスポーツニッポンが報道していた。

〈(大久保三代氏は)2011年に結婚した直後から、夫は「死にたい」と口にしていたという。今年4月にはクリニックのドアノブにロープを巻いて首をつろうとしたそうで「私がロープを切った」と振り返った。

 最後は「同情も共感もしない。面会も行かない。もう後のことは自分でやってください。離婚します」と吐き捨てるように怒りを爆発させた。〉

▼この大久保三代氏は、今回の事件について何も夫から聞かされていなかったようで、とても気の毒だ。

▼さて、毎日と東京の記事から、コメントを3つの部分に分ける。

(1) 夫は自殺願望を抱えていた。(毎日)

(2) 「死にたい」と思う人の気持ちに共感しすぎてしまった(毎日)

(2) 死にたい人に関わって共感しすぎた(東京)

(3) 行為はしないのがプロだ(東京)

▼2)が中心だが、そのほかに、毎日と東京で、まったく違う情報が含まれている。

毎日の記事は、容疑者に自殺願望があったことに触れている。これは重要な情報だ。東京は触れていない。

また、東京の記事は、妻が夫の行動について「行為(実際に人を殺すこと)はしないのがプロだ」と客観視していることがわかる。毎日はこれに触れていない。

▼こうやって並べると、(1)+(2)の記事と、(2)+(3)の記事とで、読んだ人の心に浮かぶものが、まるで違ってくるだろうことがわかる。

(1)+(2)の毎日記事だと、妻が夫にまったく共感していないことが伝わらない。

(2)+(3)の東京記事だと、容疑者の今回の行動に至る重要な背景がわからない。

▼限られた分量のなかで、何を重視するか、それぞれの記者とデスクが「編集権」を行使しているわけだ。

これが、報道というものである。

要するに、主観なき報道などありえない。

▼というわけで、こんなに短い記事を読み比べるだけでも、たった一言を追加するか、削除するかの「編集」によって、登場人物の「印象」がまるで変わってしまう、ということがわかる。

編集とはおそろしいものだ。

記事であれ、映像であれ、何であれ、世界は編集にあふれている。

編集について考えを深めることは、世界を深く知ることにつながる。

そのための最も手っ取り早い方法は、「自分で編集してみる」ことだ。

(2020年7月28日)

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