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記者が「独立を保つ」ことと「幅広くやる」ことはリンクしている件

▼前号で、雑誌「新聞研究」の「記者読本」という特集を紹介したが、共同通信社の編集局特別報道室編集委員である澤康臣氏の寄稿も面白かった。(〈取材〉「すぐれた取材」問い続けるーー正解なきケースバイケースの世界で)

▼この澤氏は、国際的な調査報道だった「パナマ文書」報道に関わり、著書には『なぜイギリスは実名報道にこだわるのか』という名作がある。適宜改行と太字。

事件取材が警察取材で終わってしまうと、しばしば事実の全体像も背後の社会問題も見失ってしまう。すぐれた事件取材をする記者に話を聞けば、当局だけではなく、加害者も被害者も、その他大勢の関係者も取材欄に入っている。 

「(取材は)警察内部の人たち、弁護士そのほか法律家、あと何人か犯罪者もね。被害者、その家族、それから政治家も。警察のことだけ報じるんじゃない、もっと幅広くやるんだ。(略)警察だけではよくない。弁護士や犯罪者を取材し、調査していく必要がある。 

記者は独立を保たなければならないんだ。そうでないと、警察からも追っかけ(グルーピー)の子供のように思われてしまう。

グルーピーというのは警察署長の回りをぞろぞろ囲んで『どうするのですか』なんて言う連中のこと。そんなの取材じゃない」(拙著『なぜイギリスは実名報道にこだわるのかーー英国式事件報道ペーパーバック版』より)  

こう私に説いたのは、英大衆紙サンで事件取材16年の記者マイク・サリバンだ。彼の名刺に記された肩書は「警察担当」ではなく「犯罪担当」である。

▼日本のマスメディアの記者は、最初は警察の「追っかけ」をせざるをえないそうだ。しかし、そこで身につく記者としての基礎体力も間違いなく、あるだろう。 

その人の記者人生が組織の「追っかけ」で終わるか終わらないかは、何で決まるのだろう。実力か。運か。その両方か。それ以外か。筆者は、「いいお手本」がいるかどうか、これが最も重要なのではないかと思う。そのお手本は、同じ会社にいるかもしれないし、本の中にいるかもしれない。 

インターネット前と比べて、インターネット後のマスメディアでは、良いか悪いかわからないが、振り返ってみれば自分が「お手本」にならざるをえない、そういう荒野を歩くような記者人生を辿る人も増えるだろう。

どんな時代になっても、澤氏がイギリスで聞いてきた「記者は独立を保たなければならない」と同時に「もっと幅広くやるんだ」という掟(おきて)は、変わらないと思う。

この二つの掟は、別々のことがらのように見えて、深くリンクしている。

(2020年7月13日)

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