レイアウト
しばらく会っていないYの部屋で、酒を飲むことになった。近くのコンビニエンスストアでまず買い出しを済ませる。酒はチューハイやビールを適当に見繕い、おつまみには定番どころのさきイカや、酒に合いそうな濃いめのスナック菓子を選んだ。買い出しの内容には、人それぞれの個性が宿る。僕の買い出しのセンスは、自分でもそれほど高くはないと思っているから、買い出した品をYに見せるのが少しだけ恥ずかしい。かといって時間をかけてまで買うものを吟味する気分にはなれなかったので、そのまま会計を済ませて、Y宅に向かった。
Y宅には一度も訪れたことはなかった。事前にもらっていたY宅の住所を打ち込んだGoogleマップを頼りに進む。しばらく歩いていると、該当の場所に築年数の浅そうな綺麗なマンションが見えてきた。エントランスのインターフォンで部屋番号を打ち込んで呼び出された声に、来訪の旨を告げるとすぐにオートロックは開錠された。
「いらっしゃい」
Yに迎え入れられ、家のなかに入る。靴箱の上にはおそらくはDIYで作ったのだろう棚があって、そこにはYが所有しているスニーカーがコレクションのように綺麗にディスプレイされていた。
「悪いね、買ってきてもらって。いくらだった?」
僕は大体の金額を伝えて、それを半分にした額よりも少ない金額をYに提示した。きっちり半額を払おうとする意志を見せるYに対して、「部屋代だから」とひと言添えると、僕の提示した金額で渋々了承した態度を見せた。
中に通されると、玄関の時点で予感していたがおしゃれ空間が広がっていた。全体的にモノトーンの色合いで調和が取られてる。壁には灰色の煉瓦がプリントされた壁紙が敷き詰められていて、洋画のポスターや読み方のわからない時計がかけられている。ラックの上には飲みかけのウイスキーのボトルが置いてあり、室内灯のあかりを琥珀色の液体が反射させていた。全体的にものが少なく見え、控えめに設置された階段状の複雑な棚にも最小限のものしか置かれていない。窓際にはガジュマルが赤ん坊の後ろ姿のような太い幹を晒していた。
「ずいぶんとおしゃれな部屋だね」
「けっこう頑張ったよ」とYは照れくさそうに笑った。
割とそこそこの付き合いをしてきたが、Yがここまで部屋のレイアウトにこだわるような人間だということをはじめて知った。あらためて前を歩くYの服装を見てみると、この部屋の主としてふさわしいようなシックな服装をしている。
鏡のように光を反射させるよく拭かれた黒のテーブルの近くに、壁際にあった小ぶりなスツールと、デスクの前にあった座り心地の悪そうな椅子をYは引き寄せた。僕がテーブルの上にビニール袋を置くと、Yは「どれどれ」と言いながら、ビニール袋のなかを覗き込んだ。
「いいね」
Yは口角をあげながらそう僕に言ったけれど、その表情からは本当はそうとは思っていないように読み取れた。
「できればナッツとかあればなおよかったけどね」
僕の訝しむ考えを肯定するようにYは付け加えた。ナッツなんて食べるような人間だったかな、と思いつつ、素直に謝る。居酒屋でもフライドポテトばかり注文していた人間がナッツをつまみにするようにもなるのだな、と時の流れを感じてしまった。
「変わらないね、君は。安心するよ」
それぞれ椅子に腰をかけて缶ビールのプルを開けて、乾杯を済ませるなり、Yはそう言った。確かに僕の服装のセンスは、ずっと変わっていないし、髪型だってずっと同じだった。いろいろと身なりに気をつかいはじめているYにそのようなことを言われると、なんとなくだけれど見下された気持ちになる。本当のところはどう思っているのかわからないし、まったくの被害妄想なのだけれど。
「変わらないってことがいちばん難しいからね」
と僕はとぼけて言うと、Yは「それもそうだな」と軽く笑った。
お互いの近況を話しているだけで時間はあっという間に過ぎてゆく。仕事のこととか、女性関係とか、共通の知り合いの現状についてとか。何かを話題にすると、それに連鎖されて別の話題にうつり、そこから自然にまた異なる話題へと繋がり、それがえんえんと続き、とどまることがなかった。
Yが用を足すために席を立ち、三本目になる缶チューハイを飲んでいると、テーブルに置いてあったYのiPhoneのディスプレイが点灯した。
何らかの通知が来たのだろうと思って、顔を背けてつとめて見ないようにしたのだけれど、こういうときにかぎって、一瞬だけ見えた通知の内容が記憶に刻み込まれてしまう。
それはYouTubeの新着動画の通知だった。新着動画通知の設定をしているということはおそらくはYが好んで見ているチャンネルなのだろう。目に入ってしまったのが、まだそういう感じのものでよかった。女性から来たLINEのメッセージ通知なんかだったら、Yのプライベートを覗き見してしまった気分になって自己嫌悪に陥るところだった。
Yが戻ってきて、またあふれる話題に溺れてしまうかのごとく話を続けていると終電の時間がすぐそこまで迫ってきていた。
「泊まっていけばいいのに」
とYは玄関先で壁に手をかけながら名残惜しそうな顔をしながら言った。
明日は朝早くから用事が入っていたので、その申し出を受けることはできなかった。「また近いうちに」と、お決まりの言葉を言って、僕はY宅を後にした。
帰宅して、寝る準備を整えてから布団のなかに入った。アルコールで頭はぼやけていたけれど、ひさしぶりに長いこと話していたからかうまく寝付くことができない。適当に動画でも流しながら、睡魔がやってくるのを待とうと思い、YouTubeを開いた。いくつか動画を、観てるのか観てないのかわからないぐらいの感触で流していて、ふとYのスマートフォンにうつった新着動画の通知を思い出した。記憶に残すつもりもなかったのだけれど、思い出してしまった。
若干の好奇心もあって、そのチャンネル名を検索窓に打ち込んで、該当のページに飛ぶ。動画一覧を見ると、部屋紹介や商品紹介をしているようなタイプのチャンネルで、そのサムネイルでうつる部屋の雰囲気には、既視感があった。部屋紹介の動画を再生すると、そこにうつった部屋はYの部屋にそっくりだった。全体の色味も家具の雰囲気も、だいぶ似ている。壁にかかった時計や、窓際に置かれていたフロアライトは同じ商品のようにも思える。
こうも似ていると、もしかしたらこれはY宅なのではないかとすら思ったけれど、画面上には知らない男の顔が表示されている。きっとYがこのYouTuberに多大な影響を受けて、部屋のレイアウトもそっくりそのまま真似したのだろう。
雑談動画を開くと、YouTuberはナッツをつまみにウイスキーを飲んでいた。そのウイスキーの銘柄は、Y宅で棚に飾られていたのと同じだった。かなり影響を受けているようだ。
影響を受けて真似するのはけっして悪いことではないと思う。結果としておしゃれになったり、いい方向へと進めるのなら、いつまでも同じところで停滞しているよりもずっとましだ。
そのようなことを思いつつ動画を観ていると、次第に思考はおぼつかなくなってきて、そしてぷつりと切れた。
それから半年ほどが経ったある日、Yから電話が来た。「最近どうよ」からはじまり、話しはじめた。
前ほど会っていない期間があったわけではなかったし、今回は酒も入っておらず電話だったから、話題はそれほど多くはなかった。
話しているうちに、そういえば前に会ったときはYに彼女がいてそれなりに長く続いているから近々結婚するかもしれないというようなことを言っていた。
「そういえば彼女とはどうなの?」
と僕が言うと、Yはきっぱりとした口調で、「ああ彼女ね、別れたよ」と言った。
「え、話聞いているとけっこういい感じだったと思ってたんだけど」
「やっぱりね、恋人とか作ったり結婚したりしたらさ、縛られちゃうからさ」
YにはYなりの事情があるのだろうと、深く詮索するつもりはなかったから、「そうなんだ」と曖昧な相槌を打った。
「最近は海外で仕事したいなって思ってさ、会社も辞めたんだよ。それも理由かな」
「あれ? そういう意欲があったんだっけ?」
Yから海外志向があるという話は、いままで一度も聞いたことはなかった。
「やっぱり日本っていうね、狭い島国のなかで生きていくよりも、もっと広い視野を持って生きていきたいなって。人生は一度きりだからね」
それに対しても僕は曖昧な相槌を打つことぐらいしかできなかった。
もうYなりのビジョンが見えていて、近々もう旅立つらしい。日本を出る前にまた飲みに行こうと約束をして、電話は終わった。
その後で僕はまさかな、と思いつつYouTubeを開いた。はじめて見たときから一度も見ていない、Yが好きなYouTuberのチャンネルを開く。
そのYouTuberは現在、日本を離れて海外でノマドワーカーとして生活をしているようだった。新着の動画を開くと、「人生は一度きりしかないから好きなことをしよう」と声高々に言っていた。
影響を受けるにしても限度があるだろう、とスマートフォンのディスプレイを消して、ため息をついた。そしてふと考えた。もしこのYouTuberが急に反社会的なメッセージや倫理に反することを動画内で喧伝しはじめたら、Yも同じようなことを言うのだろうか。憧れというのは人の思想までも塗り替えてしまうのだろうか。そう考えていくと、少し寒くなった。
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