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もう100回以上諦めたことの101回目を諦めることを始める

 中学生の頃、最初になりたいと思った職業は「編集者」だった。小説を読むのが好きだった自分は、編集者になって好きな作家さんの最初の読者になれたらいいなと思っていた。
 高校生の頃はミヒャエル・エンデの「果てしない物語」を一晩で読み切ってベッドに倒れながら涙し、エンデのような物語を描きたいと思うようになった。
 大学生の時に、全部で三百本くらいの短編童話をコンペに出し、一つが最終選考に残ったくらいで全部落ち、親にも「いい加減、無駄なことするのやめて」と言われたこともあって、物語を書くのはやめた。
 書くのがとにかく楽しかったけど、本気で小説家になりたかったのかは分からない。私は獣医大学に通っていて、獣医になるのだと思っていたし、生物や医療がとても好きだった。ただ、予想のつく未来に対して、何か抗ってみたかったのかもしれない。
 そしてなぜか今はアートをやっている。

 書きたかったのは長編小説だった。ミヒャエル・エンデのファンタジーのような。大学の図書館で動物の図鑑を調べ、物語に登場するキャラクターをノートにメモしていた。専門を生かした話が書きたかった。でも、長編小説を書くというのは、とてもとても大変なことで、そもそも書き切ることができなかった。自分にできるのは、せいぜい400字詰め原稿用紙で15枚くらいの物語まで。

 設定だけは壮大な物語を、ものすごく短く冒頭だけ書いて応募してたのだから、落ちるのはほとんど当然だった。文字数に合わせた魅力的な物語を構成するというのが、当時はそもそもできなかった。自分の書きたい物を、とりあえず書いて満足する。書くこと自体が好きだったから、自分が書いたものがおもしろいかどうかはあんまり考えていなかった。自分の創作物を客観視するということができなかったし、それは今でもそうかもしれない。

 大学の時は歩いているだけで物語があふれてしまい、周りの音が聞こえなくなることが頻繁にあった。イヌの散歩中に見かけた石の下には小人たちが住む穴があり、ずっと昔に凍りづけになった金のリンゴが眠っている。勝手に流れ出す物語を覚えきれないのがもったいなくて、私は意識的に物語を考えるのをやめた。いつか必要な時のために、蓋をしてとっておくつもりだった。でも、実際に頭の中の蓋を開けた時には、もうその中はからっぽになっていた。物語は閉じ込めてはダメだったんだ。常にあふれさせていくくらいがちょうどいい。蓋を閉めてしまったことを後悔しているけど、もうどうやってもその感覚は戻らなかった。

 大学生の頃に九州を一人旅しながら、旅で訪れた場所を舞台にした物語を書き、旅しながら生活できたらいいなと思っていた。ずいぶん経ってしまったけど、アートではそれが叶うようになった。海外のアートプログラムに参加し、いろんな場所に行けるようになった。物語のおかげではないけど、同じ創作行為によって、やりたかったことが少しだけ叶った。すごくうまくいってるわけじゃない。だけど、想像してたよりもおもしろい人生になった。そして、その場所を舞台にした物語を書きたいと思い始めた。

 ずっと物語を書くのをやめていたし、アイデアも出なくなってしまっていた。そもそも長編小説を書くのは苦しい。でもいつか、長編小説を書いてみたいと思っていた。飽きっぽい私でもつづくように即興で書こうとして挫折し、何度も途中で放り投げた。アイデアを出すだけはとても楽しい。設定を考えていると、どれもおもしろいような気がしてくる。そして私の中には、完成しないアイデアだけが増えていった。

 いきなり長編を書くのはやめよう。まずは短編小説を長編小説一冊分になるまで書こう。そう思ってから始めたのが旅先で出会った人たちの会話をテーマにした小説だ。長編小説一冊はだいたい12万字。一遍が2000字の物語なら、60本書けば一冊分になる。まずは短編を集めて12万字分書き切るのを三冊分やろうと思い立った。それから長編を書き始めようと。結局、二冊分書いたところで長編小説の執筆に取り掛かることになった。途中で挫折しないように、短編をつくる時と同じような構成で物語を最初から分けた。最初から文章を仕上げるのはきつかったから、まずはあらすじを終わりまで書き、文章を何度も重ねるように仕上げていった。

 長編小説もまずはとりあえず、三冊分は完成させようと決めていた。アートの世界では、三回個展をやると、作品がこなれてくると言ってる人がいて、小説も三本仕上げるくらいまでできると、その後の作品がおもしろくなるんじゃないかと思っていた。結局、これまで完成まで仕上げられたのは長編三本というよりは少し短く、12万字が一作品、8万字程度が二作品になった。書き切ることはできた。そして、書き切れたところで何か素敵なことが起こるわけではないことも理解した。

 自分はすごくすごく大好きなのに、ぜんぜん売れてない作品も世の中にはある。ファン目線で、実際に売れている作品と比べても、どこがダメなのか分からないのに、どうして自分の好きな作品は売れなくて、向こうは売れるんだろうと考える。

 自分がまだ知らないところに、おもしろい作品はきっといっぱいあるんだろうなと考える。この世のおもしろい作品はすべて、多くの人に見つかりやすいようになっているんだろうか。誰からも反応をもらえないとしたら、やっぱりつまらないからなんだろうか。

 これまで多くのことを諦めてきた自分が、いまだに諦めきれずに、立ち上がっては諦めることを繰り返しているのが、物語の創作だ。小さい頃から妄想癖があった私は、物語が映像で脳内に浮かぶ。そこに出てくる人たちはみんな生きているみたいで愛おしい。

 予想外の人生展開で、なぜか(割と真面目に)アーティストをやることになって、創作について日々考えることが増えた。幼い頃から時間をかけてきた物語の創作は、アートよりも結果を引き連れてきてくれない。どちらかというと、アートのための時間を奪うばかりだ。人生の足を引っ張ってるのは明らかに物語の創作なのに、それでもたまに思い出しては、学生の頃から書きたいと思っている長編小説のための設定を書き加えてしまう。

 もう何もうれしい結果は期待してない。ただ、自分のために、自分が書きたかったお話を仕上げて死ねればそれでいい。それでいいって言い聞かせているのに、何かきっかけがあるとそれとは別の物語を考えてしまう。

 現代アートをやるようになってから、人生で初めてできた彼氏のことを思い出すようになった。彼は音楽家で、ジョン・ケージの『4分33秒』のことを教えてくれた。当時の私はアートも現代音楽もよく分かってなかったけど、ジョン・ケージがつくった無音の音楽『4分33秒』の話はとても印象的で、よく覚えている。アートをやり始めてからジョン・ケージの名前はよく聞くようになったので、とても重要な人物なんだろうなってことも、後からよく分かった。

 幼い頃から音楽をやっていて、勉強して努力もしていた彼は、今も作曲をしているんだろうか。当時は聞いても分からなかった話を、今なら聞いてみたい。創作することを諦めるとしたら、それはどういう時だろう。体力の限界なのか、才能の限界なのか、創作よりも大事なことができたからなのか。

 誰かに喜んでもらいたいと思うから続かないのだろうか。ヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』のように、自分のためだけに創作すればそれでよかったんじゃないだろうか。そう思うこともあるけど、自分の創作物で誰かが喜んでくれる時の喜びは何物にも代えがたい。一人の読者の存在が、創作を続けさせてくれる原動力になる。それは絶対。

 アートコンペに落ちまくってる数と比べたら、執筆で落ちている数はたかが知れている。そもそも長編小説では応募もしていない。一週間前に、たまたま小説のコンペを探してみたら、3/31に締め切りのものがいくつかあった。こういうのに受かるのは日々、めちゃくちゃ書いててアイデアも秀逸で才能のある努力家だけだよなーって思いつつ、なんか自分も書いてしまっている。

 コンペに出して何も起こらないのも、投稿サイトに出して誰にも見られないのも、正直もう、疲れ切った。才能ないのはとっくに知ってるよ。好きなことをやっていれば、うまくいくわけじゃないってことも。自分一人が夢中になったところで、それで良い作品ができるわけじゃないってことも。

 紙の本を出したいという思いはないし、書いてるだけで十分満足だから、公開して自分で電子書籍にして、それでもう満足。

 そう言いつつ、ここ二週間で14本のシナリオを書いた後、3万4千字の小説を新しく仕上げ、12万字の小説を改稿している。あと一作品、設定とあらすじまで書けた話があり、残り二日間で書けるだろうかと思っている。

 久しぶりに朝から晩まで物語に向き合い続けて、食欲がなくなって、毎日くやしいくやしいって言いながらワードファイルの前に座り続けている。どんなに好きでも、私は物語では生きられないから。時に数年かけて仕上げるようなアート作品を創るより、よっぽど早くできるはずなのに、そこそこ長い小説の執筆は辛い。ずっと走り続けているわけじゃないから、体力ができていなくて、たまに全力で走ろうとする分、無理が祟るんだと思う。いや、それだけじゃなくて、どうせまた何も起こらないってほとんど確信しているからかもしれない。

 4/1になったら、またいつも通り、アートのことを考えてアートの制作に向き合う。そして物語の創作は、もう101回目くらいになる諦めモードを再開する。もう何にも起こらないこと、かすりもしないことに心底疲れたんだもの。

 そしていつも通り諦められたら、今度は、毎月1本くらい、3~5万字くらいの物語を書いてみようかな、と思っている。

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