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映画「えんとつ町のプペル」を深読みしすぎてみます。

えんとつ掃除屋の少年ルビッチと、ゴミ人間プペルの物語、「えんとつ町のプペル」が2020年12月25日に公開となりました。

初日舞台挨拶からつづいて映画を拝見した上で、見どころを紹介するとともに、この物語のメッセージを深読みしすぎてみたいと思います。

この物語は夢を見ることが許されない町、夢を語れば笑われるような町で、夢が叶うと信じた少年と、少年の想いに寄り添った友人の話のように言われています。一言で言うと、挑戦する人たちに寄り添う物語とされているんですね。

深読み的には違ってですね。

この物語は西野亮廣時代の終わりを自ら予見した物語なのです。もうちょっと具体的に言うと、オンラインサロンの解散とプペルの前時代化(歴史化)です。

では深読みしすぎてみます。内容のネタバレを含むので、気になる方は映画を見終わってからまた戻ってきていただけるとうれしいです。

リアルえんとつ町は暮らすディズニーランド

ルビッチとプペルが出会って直後のシーンがけっこう激しく動きのあるシーンなんですが、トロッコに乗って駆け巡る様子とかが、なんかディズニーランドのビッグサンダーマウンテンみたいなんですね。そういう遊園地のアトラクションを思い出させるんです。

洞窟の中に鉱物のような色が混ざり込んでいるところもあり、その辺りがとてもビッグサンダーマウンテンっぽい感じがしました。物語の中では「とんぼ玉」をつくるシーンもあるんですが、鉱山の石からつくられているのかも、なんて想像もしたくなっちゃいますね。

さらに、映画の冒頭にはハロウィンの仮装をした子供たちが踊るシーンがあるのですが、この辺りとかはエレクトリカル・パレード的なんですよね。

西野亮廣さんは、町をつくると公言されていますが、つくられるのはどうやら「えんとつ町」のようなんです。ディズニーのような娯楽施設としての「えんとつ町」に役者さんやスタッフさんがそのまま暮らすイメージでしょうか。

全国各地にあるスナックCANDYも、映画の中に存在して、物語に関わる重要な拠点となっています。

えんとつ町が実在するとしたら、秘密結社のようにCANDYが存在し、とんぼ玉がおみやげで売られていて、ハロウィンダンスがパレードのように踊られていて、ビッグサンダーマウンテンのようなアトラクションもある町なのではないでしょうか。

この映画、映画内に出てくる看板が「広告」になっていて、費用を払えばプペルの映画に名前が出たんですよね。

実在するえんとつ町にも同じような広告看板が出るかもしれません。

舞台挨拶の時に、窪田正孝さんがアドリブをいっぱい入れていたという話がありました。こそこそっと喋ってるセリフはどうやら窪田さんのアドリブのようです。たぶんアドリブだと思うセリフでお勧めなのが「お肌すべすべ~」です。お聞き逃しなく。

星を見なくても外に世界があることは気づけた

地下で生活しているスコップというキャラクターが、世界の秘密をいろいろ知っていて、ルビッチに教えてくれます。

・地上には植物がない

最初に教えてくれることの一つがこれですが、植物がない町なのに、ルビッチの家の食卓には「野菜」が出てるんですね。えんとつ町以外の場所から届けられているということです。

また、「星読み」という占星術みたいなのを使う人が存在します。

星を見たことがない、星なんかないって思っている世界のはずなのに、星を読む人がいるっておかしくないですか。

こういったところに「あれ?」って思うことができていたら、星を実際に見たことがなかったとしても、外の世界があることは気づけたと思うのですね。

日常をよく観察していれば気づけるのに、誰も気づかなかった、気づこうとしなかったことが表されています。

話が進んで明らかになりますが、もともと煙で覆われたのは250年前なんですね。それほど昔ではないです。なので、野菜の流通や占星術のような技術もちゃんと伝えられ続けていたんです。

腐るお金はレターポット

作中に出てくる経済学者のレターさんが生み出した腐る通貨L(エル)はレターポットのことですよね。言葉が通貨として機能してるみたいな感じです。罵声を送るのもお金がかかり、いい言葉を贈るのもお金がかかるとすると、罵声にお金かけてるのがもったいない気がしてきちゃいますよね。

レター(言葉)を贈られると、贈られた側が同じ文字数のレター(言葉)を使えるようになります。なんとなく「通貨をプレゼントし合う」みたいなサービスでしょうか。

しかし、このレターさんの一族、作中だとちょっと悪い側なんですよね。えんとつ町を煙だらけにして、町の人の星が見えないようにしちゃってる人たちなんです。

『ホームレス小谷』『えんとつ町のプペル』の次に、「傑作だ!」と言っていただける作品が、本日お話する『レターポット』です。

西野さんご本人が「傑作」と言ってるほどのサービスなのに、物語ではちょっと悪者扱い。映画だけを見た人にとっては、レター一族ってなんかイヤなやつ!っていうイメージで終わると思うんですね。

えんとつ町は時代が必ず変わることを示す物語

初代レターさんは、世界の不条理に抗おうとして逮捕されちゃったんですね。初代の意志を引き継ぎ、腐るお金レターを使える町をつくり、町を外界から隔離して守ろうとがんばったのは、レターさんの子どもです。

レターさんからレターさんの子どもに意志が引き継がれて、えんとつ町ができた。星が見えない世界で星を見ようとしたブルーノの意志を引き継いでルビッチが煙を取り払って、みんなに星が見えるようにした。

えんとつ町では、こういう「時代」の移り変わりが語られているんですね。時代をつくった人はそれぞれ、それがベストだと思って頑張って変えてきたんですが、大切に守られていたものが、徐々に世界をよどませてしまいました。

えんとつ町はなんだか、巨大化しているオンラインサロン・西野亮廣エンタメ研究所のようにも思えたんです。サロン内は囲まれていて、安全安心です。同じような思想の人が集まってくるかもしれない。でも、日本最大のオンラインサロンですら、会員数は7万人ちょっと。世界人口の約76億人には遠く及びません。

世界の方が、サロン内よりよっぽど広いのです。えんとつ町より世界のほうがはるかに広いのと同じように。どんなに拡大しても、人類全部が1つのオンラインサロンに入るなんてありえません。レター一族が大切に守っていたものを手放すことにしたように、西野亮廣氏の時代もどこかで終わります。オンラインサロンも250年を待たずに解散となるでしょう。

物語の最後に、ルビッチが子供に声をかけるシーンがありました。

ルビッチが正しいと思っていたことも、時代の変化によってごっそり変わり、新しい誰かが、時代を切り開いていくのではないでしょうか。

どんなに素晴らしいと思っていても、時代は必ず変わります。私たちはもう江戸時代には戻れないし、インターネットも手放すことができません。年を取ると昔の価値観をなつかしく思うこともあるし、今の時代についていけなくなるもどかしさを感じるかもしれません。でも、変わってしまった時代は歴史に変わっただけで、価値がなくなってしまうわけではありません。

作品を通じ、次世代に期待し、託していく必要性を説いているようにも感じたんですね。プペルはルビッチの成長を見届けて、最期はゴミに戻ってしまうのですから。

もしも、えんとつ町という暮らせるディズニーランドができたとして、そこが心地よくてずっと家族で暮らしたいって思ってたとしても、きっと出て行きたがる子どもも出てくると思うのです。もっと外の世界が見たいって言って。

守られている世界は心地よいけど、外の世界のほうがずっと広いです。守ってくれる居場所は帰りを待ってくれる実家(地元)のような存在となりながら、出て行こうとする新たな挑戦者の背中を押すのではないでしょうか。

そう考えると、全国にあるスナックCandyも、閉じられた世界から出て行くための秘密組織のように機能していくかもしれません。

独り占めしない世界

物語の終盤で、ブルーノのセリフに星が見えても独り占めしない、というセリフがありました。

もしも挑戦が通貨として機能し、経済がギフトによってまわるようになってきたら。お金はもはや必要なく、労働として働く必要もなくなる時代が近づいているのかもしれません。

以上、映画「えんとつ町のプペル」を深読みしすぎてみました。


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