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クリエイターを育てる評価軸について考える~他者目線の「売れたかどうか」と自己目線の「おもしろいかどうか」

私の物語のほとんど最初の読者は母だった。コンペに落ちまくっていた大学時代こそ「いい加減やめて」と懇願されていたものの、大人になってからは「なかなかいいわぁ」と言うようになってきた。母に何か心境の変化があったのだろうか、分からない。

ただ、自分がやっていてとてもしんどかったのは、しょっちゅう「売れた」かどうか、「受かった」かどうか聞かれることだ。しかし、たとえばアートの海外プログラムなどは、母にまったく知識がないので「受かった」と報告したところで、母にはまったく伝わらない。ヴェネチアビエンナーレで金獅子賞を獲ったと嘘ついても、冗談なことすら伝わらないはずだ。

アートをやるようになってから、ものすごくいろんなことをいろんな人に言われてきた。アートっていうのは、よく分からなくてもいろんなことを言えるジャンルなのだなぁというのが分かった。感想は好きに言えばいいと思っているのだけど、問題に感じるのは、作家でもなく作家を推し出したこともないのに、若い作家にアドバイスをしたがる人がけっこういるということだ。同時にこのことが、これから芽を伸ばそうとするか弱い種を簡単につぶす可能性もあるのだなと考えるようになった。

私がアートを始めた頃に描いてた絵はこんな感じ。

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そこそこひどい。

当時、一緒に展示してた人たちには驚かれるのだけど、たぶん、私の場合は、育ててくれる環境がよかったのだと思う。

最初に個展をさせてくれたUNAC TOKYOの海上雅臣さんは、書家の井上有一を推した人で、美術界では名の知れた人だった。UNAC TOKYOが発行していた美術誌「6月の風」に、私も何度か寄稿させてもらってたのだけど、それをきっかけに横浜美術館の元館長が私のことを知ってたことがあったくらいだ。

私にアーティストとしての最初のチャンスを与えてくれた海上さんは、数年前に亡くなってしまったのだけど、そのネームバリューで何もない状態の私を守ってくれたのだと思う。

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和紙や制作スペースまで提供してくれたこちらの展示は、準備に8か月くらいかかっているのだけど、この作品は売れていない。ということは、ギャラリーは展覧会の案内カードをつくったりしている分、赤字になる。

そもそもこの展覧会を企画したのは海上さんで、海上さん自体がそこをあんまり気にしていなかったのかもしれない。

私のCV(アーティストキャリア)を見ていただくと分かる通り、国内外で展覧会にはそこそこ参加してるのだが、実は「販売しなくていい展示」がけっこう多い。

海外のアーティスト・イン・レジデンスが終了する頃の成果展みたいなやつは作品販売は行わないし、美術館やブランドでの展示は、作品を売る必要がないのにアーティスト報酬が出る。

もちろん、作品は売る機会があったほうがありがたいのだけど、ギャラリーでの展示の場合、(所属ギャラリーじゃない限りは)作品が売れなければその後声はかからないだろうから、売らなければならないというプレッシャーがそこそこかかってくる。

ぶっちゃけ、買われやすさという意味では、キャンバス作品のほうが買われやすいとかあるので(ちょっと古い本ですが、村上隆さんの著作『芸術闘争論』では、赤い作品は買われやすくて緑や茶色はダメとかまで書いてある)、プレッシャーがかかればかかるほど、創る側も売りやすい作品を意識するようになるんじゃないだろうか。

キャリアの最初に、売ることにそこまでこだわっていないUNAC TOKYOで伸び伸び展示させてもらえたこと、そもそも販売しない場所でプレッシャーなく展示できたことは、作家として何事もなしていなかった自分を優しく育ててくれる環境だったように思う。

「それ、売れてるの?」

岩田聡さんが糸井重里さんとの対談の中で、一番効くキャッチコピーは「いま売れてます」だという話をしていた。

売れているというのは、分かりやすい価値判断の一つだ。プロとしてつづけていくのであれば、作品の価値は上げ続けないといけない。ただ、「今」売れてるかどうかというのは、アートの場合、作品の価値に直結しないことが多々ある。というのも、アートの価値は分かりにくいからだ。

アートは、すぐに価値だと分かるほど他の人に浸透するまでには時間差がある。だから、「今売れてない」ものについては、作品に価値があるかどうかはまだ分からないということになる。逆に「今売れている」といっても、作品が永続的に価値があるかどうかは分からないわけで、アートの場合はこの「価値判断が世界的に確定されるまでにかなり時間がかかる」ことから、ある時点で「売れたか売れてないか」というのは、価値が確定しているわけではない、というところが分かりにくい。

もちろん、作家は価値が確定されるよう、死ぬまで研鑽しつづけるわけだが、もしも途中で作家をやめたとすると、その作家の作品価値はゼロになる。それまで売れてたとしても、作家が制作をやめたらその作家の作品はすべて価値がなくなるのだ。ってことは、作品の価値は作品ではなく、作家に内在していることになる。

価値を測るものがお金だけではなくなった

お金っていうのは、とても分かりやすい指標であるのだけど、現代では価値を測る指標がフォロワー数だったりPV数だったり、増えてきた。

たとえば、デパートに人を呼びたい、というのであれば、作品が売れている作家より、フォロワーが多い作家の展示をしたほうがいいかもしれない。

現代では、価値というものの可視化がいろんな手段で行われるようになってきた。しかし同時に、これらの指標から価値を切り離すことはできないのかとも考えている。

売れているかを知りたいのは自分で評価できないことへの怖れ

私自身、おもしろい作品を見た時、値段はいくらなんだろう、売れてるのかなというのは気にしてしまう。作品よりもタイトルと値段を見たがる客というのは、揶揄されることもあるけれど、多かれ少なかれ、ほとんどの人が気になるのではないだろうか。特に、日本にはチップ文化がないので、自分の満足度を価値換算するというのに慣れていない気がする。少なくとも自分は慣れていないので、チップの国に行った時には「だいたいX%払うのが普通だから」と電卓をたたいてしまう。

「売れてるの?」

売れてるかどうかを気にしてしまうのは、自分自身で価値を見いだせてないことの表れなのではないかとも思う。自分が買った作品が「売れて」たら、自分が目利きのような気がして嬉しい。作品を買おうと思ってあんまり売れてない作家だとこの作家はダメなのかな、と不安になってくる。

その作家が売れてるかどうかは、あくまで他者の評価で、自分の評価ではない。自分がおもしろいと思ったらそれでいいと言いつつ、誰からもいいと言われていない作品を、一人で指さして「良い」と言い続けるには勇気がいる。

売れてるかどうかを気にしている時の自分は、自分の価値評価軸ではなく、他者の価値評価軸の中で生きている。では、売れてるのかどうかを確かめた後、売れてたらその作品の自分の中での評価は高まるだろうか。逆に売れてなかったらそれだけで評価は下がるだろうか。

売れてるかどうかを気にする気持ちの裏には、恐れがあるように思う。自分がいいと思ってるものが、実はそれほどでなかったらどうしよう。だから「この作品はいい」という言葉につづいて、受賞歴や販売価格、売れ行きなどを足してしまう。それが説得材料になるのも確かだし、それは同時に自分一人の言葉で説得しきれない弱さなのかもしれない。

おもしろいかどうか?を聞くことができたら

しかし、若手作家を育てるという視点に立った時、「売れてるの?」っていう質問はけっこう過酷なように思う。そもそも、最初に創った創作物が即売れたり、なんかのチャンスにつながったりする人なんて、ほとんどいない。

そもそも、売れたかどうかを聞く人は、その作家が人気だ、売れるはずだと信じて聞いているのだろうか。「売れてないんだー、かわいそーww」と誰かを見下すことで、自分が満たされたいっていう気持ちは絶対ないって言えるんだろうか。

ネット上には「独学で始めて2週間で〇〇」「高校生で受賞」みたいな引きの強いできごとがよく拡散されるので、なんかそういう人ばっかりなのかなみたいな気もしてしまう。だけど、実際にはそんな人って数人しかいないからニュースになってるわけで、ほとんどの人は誰にも見向きもされないところからコツコツ積み上げてきてるはずだ。

初めて長編小説1冊分、12万字を超える文章が書けた時、私はそれを自分で電子書籍にまとめてKindleで販売した。母が無邪気に「売れた?」と聞いてきたけど、もちろん売れるわけがない。せいぜい自分と友達で合計3冊売れたくらいだ。売れたどころか、そのはるか前段階「知られてすらいない」っていうのがほんとのところ。

ようやく土から顔を出したばかりの芽と、幹がしっかりしてきた木とでは、育て方がぜんぜん違う。植物の育て方が違うように、人も育て方がぜんぜん違うはずだ。

創る人はだいたい、同じように創る人が好きだし、創作物や創作物にまつわるものにお金を払う。創り手は創る側であるとともに、消費者でもあるのだ。であるなら、か弱くても創り始めた人を守ることができれば、「創る」ことに関わる市場はちゃんと大きくなるんじゃないだろうか。

他者軸の評価法である「売れたか売れないか」ではなく、自分軸の評価法である「おもしろいかどうか」から話ができる社会にできたら、それは何かを創りたいという人たちが育ちやすい土壌となるかもしれない。そして私たちはお金という権力に支配されず、自分自身が感じる価値に囲まれて生きられるかもしれないと、私は思っている。

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