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ニューヨークのメトロで聞いた「うまくいかなくなった時は夢が叶った時」という話

 乗り換えのために電車を降りると、メトロの駅構内にサックスの大音量が響いていた。曲はスターウォーズで、素人にもよく分かるほど素敵なアレンジがされている。階段を上がると演奏している人たちがいる。サックスを先頭に、コントラバスとドラムとキーボード。駅全体が音を伝えるハコになっているようで、振動が身体中に響く。
 周りを見るとチップを払おうと足を止める人も多い。ニューヨークのメトロではこうして演奏している人をよく見かけるけど、やはりいい音楽は多くの人に響くものだ。そしてそれはたぶんアートも同じく。

 少し離れたところにいた黒人の男性が黒いカバンの中に手を入れながら、バンドのほうを見ている。カバンから財布を出そうとしているんだろう。よく見ると、ジャケットの下から見えるピンクのTシャツには、筆文字っぽい字で「人生」って書いてある。本人も意味が分かってなさそうなところがおかしい。

「いい演奏ですよね」
 Tシャツのことは無視して、私は彼女に話しかける。

「本当よね、久しぶりにいい音を聞いたわ。ニューヨークにはバンドもいっぱいあるけど、今日のは本当にいいわね」

 どうやら話し好きらしい彼女は、カバンから出したピンクのお財布を手にしたまま、私にいろいろ質問をしてくる。どこから来たの、日本はいいわね、ニューヨークには何をしに、いつまでいるの。

 今年はアメリカから始まって、フィンランドやルーマニア、上海とアート制作しながら旅をするつもりだと伝えると、彼女は大きな身体を揺らしながら言う。

「あらあら、素敵ねぇ、私、そういう人生好きよ、私もそんな感じでいろんな国に暮らしたわ。今はここが合ってるけど、またどこか別の国で暮らすかもしれない」
「ニューヨークにはどのくらいいるんですか?」
「まだ三年くらい」
「そうかあ、すごいなぁ」
「トランプが大統領になったでしょ。これからどうなるかは分からないわ」

 私はうなずく。

「上海の後はどうするの?しばらく日本かしら」
「そうですね、まだロサンゼルス、ニューヨークと来たばかりですが、この生活はけっこう自分に合ってる気がしてるんです。住む場所があって、制作できるスタジオがあれば、日本でなくてもいい気がしてる。レジデンスはどこも制作スタジオがあるし、住む場所も向うが用意してくれるから。それに滞在費がかからないところに応募してるから、基本的なリビングコストはそんなにかからないんですよね」
「でも、移動にお金がかかるでしょう。飛行機代。それにニューヨークは物価も高いから」
「はい、おっしゃるとおりです。もっと安定して作品が売れるようになるといいんですけどね。それに、まだ行ったことない場所、いろんな国で発表はしたいな」

 アーティスト・イン・レジデンスが自分に合ってると感じるのは、「どこに行くか分からない」ところだ。受かった場所に行くわけだし、受かったところが観光地とは限らない。フィンランドも空港のあるヘルシンキではなくトゥルクという街に行くし、ロシアの時は島で生活していた。予想のつかない場所に行くところが自分には楽しい。それでもレジデンスのアーティストとして行くので、主宰する団体が旅をフォローしてくれる。しかし、最近は給与が出たり渡航費の助成がされたり、条件がいいところに応募していることもあって、Not selectedの連絡がくるばかりだ。ニューヨークにも作品を取り扱ってくれるギャラリーを探しに来てるけど、まだいい出会いがない。

「うまくいかないわねぇ、人生って」
 
 彼女が右手を頬に当ててそう言うと、Tシャツの「人生」まで憂いがこもっているように感じる。

「でもね、うまくいかないなって思った時はね、実はすでに夢が叶ってる時なの」
「叶ってる?」
「そう」

 彼女は頬に当ててた手を軽く振って言う。

「たとえば、そうね。数年前を思い出してみて。二年前でも三年前でも、そのくらいの時って、あなたは何をしたいって思いながら暮らしてた?」
「二年前は、いい出会いがあって家賃ゼロ円の家に暮らし始めたところで。初めてニューヨークで個展をやろうとして、海外で発表したいって思ってました」
「そう、で今はどんな状態?」
「海外のギャラリーで展示発表するなんて、有名な作家で作品がバンバン売れる人じゃないと無理なんじゃないかって思ってたけど、意外とそんなこともないんだなって気づきましたね」
「海外で発表もできたの?」
「はい、アーティスト・イン・レジデンスっていうアーティストのためのプログラムが世界中にいっぱいあって、それに参加するとだいたいは作品展示ができるんです。二年前は、海外で企画展をやるなんてすごくハードルが高いことだと思ってたけど、案外そうでもなかった」
「今は?」
「もうちょっと作品が安定的に売れたらいいなって思います。あとはそうだな、世界中にアーティストの友達がいて、彼らのスタジオにお邪魔するように、いつでも好きな時に行けたら最高にいいです。レジデンスは大好きだけど、受からないと行けないし、参加の期間が空いてしまった時にその間を埋めるのが大変だから。早くそうなるといいなぁ」
 
 私は山のふもとから見上げるように、夢が叶っている様子を想像する。頂上は雲の中を出たり入ったりしていて、まだまだずっと遠くに感じる。

「ほらね」
「はい?」
「あなたが二年前に考えてた夢はもう叶ってるっていうこと。海外で作お品発表がしたくて、できたんでしょう?」

 私はうなずく。彼女はさらにつづけて

「人間っていうのは欲深だから、叶った夢は全部忘れてしまうの。それで次の夢を欲しがるのよ。次の夢を欲しがり始めた時に、『うまくいかないな』って思うのよ。それはもう、前の夢のことは忘れるほど当たり前に叶えちゃってるってこと」

 スターウォーズが大音量で響いている。今から二年経った時に、私はさらに先の夢を描いているだろうか。

「覚えておいて、うまくいかない時は前の夢がもう当たり前に叶っちゃってる時。だからね、とにかくCongratsよ!」

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