京成線で出会った女性が言った「本当の感謝」について
日暮里駅から京成線に乗り換えて成田空港へ。
奇跡のように口を閉じたスーツケースと、電化製品のでこぼこが浮き出たバックパックと、丸めた和紙を二本分抱えて、空席の目立つシートに座る。ロシア行きを考慮してダウンジャケットにセーターと、着ぶくれた私はすでに汗だくだった。
しばらく電車内で座っていると、汗がひいて逆に寒くなってくる。電車で逆走しがちな私が何度も方向を確認していると、ピンクの小さなケースを引いた女性が隣に座った。
「荷物たくさんね。どちらへ?」
人が好きそうな女性は、まるっこい身体にスーツケースを寄せながら言う。赤いリップが印象的で、よく見るとイヤリングはネコだった。靴は紺色の空のように深い色。
「スペインと、それからうまくいけばロシアへ」
「あらあー、いいわあ」
女性は、ふっくらした頬っぺたをお餅のようにさらにふくらませて言う。
「旅行かしら?いつまで行くの?」
「三ヶ月です。アートの留学みたいな感じで」
「あらあー、いいわねぇ。三ヶ月も行けるなんて、お金持ちさんなのねぇ」
「いえ、ぜんぜん。親と兄のスネをかじってますかね。あとは友達と」
「かじれるスネがたくさんあるのねぇ」
「ほんとに。ありがたいですね。
すーごくたくさんの人が、
応援してくれて
カンパしてくれて
日本食送るよーって言ってくれて
現地で会おうって言ってくれて
スペイン語ならいつでも訳すよって言ってくれて
いろんな人を紹介してくれて
なんかあったらなんでも言ってって言ってくれて
お守りをくれて
希望をくれて
この、私のすごく個人的な旅を楽しみにしてくれてるんです」
「味方になってくれる人がたくさんいるのねぇ。応援してくれる人に感謝しないと」
「そう、それ、ほんとに。でも、なんか本当にちゃんと感謝できてるかなって思っちゃったりします」
「うん?」
「古くからの友だちが、『他の友だちが留学した時にも日本食送ったし、なんか送るよ―』って言ってくれたんですね。
そういう時、最初に思うリアルなことって、『ええ!マジで、めっちゃうれしい!やったー、これで食事代が浮くー!』みたいなことなんです」
「うんうん、そうよね。それで?」
「その後、やったやった、超うれしい、ありがとうって。それって、本当に感謝なんだろうかって心配になるんです。
得したー、うれしー!っていうのが私の本当のリアルで、そういうことを言ってくれる友達にありがとう、みたいなのは、その後の話なんです。
本当に感謝できてるのかな、得したーって本人にいうのが失礼だから、言わずに、礼儀として言ってるだけで、本当に、本当に、相手への感謝って湧いてるんだろうかって」
「彼女は、あなたに感謝してもらいたくて送るって言ってるのかしら?」
女性にそう言われ、私はスーツケースに目を落として考え込む。
「いや、送ったら私が喜ぶんじゃないかって、彼女はそれだけ考えて言ってくれてます。 感謝してもらいたいとか、そういうの思いつきもしないと思う」
女性は何回かうなずく。
「そうよねぇ、じゃあ超うれしい、やったやったやったってメールを送ってあげればいいんじゃないかしら。得したっていうのは、言う必要ないことだけど、うれしいうれしいっていうのは、本心なんでしょ?」
彼女は両手を握りしめて、上下に揺らす。
「はい。ああ、そうだ。送ろうかって聞いてくれたのもすごいですよね。もしかしたら、三食付きのところかもしれないし、食品を送るのが迷惑になるかもしれない。
本当に必要かどうか、本当に喜ぶかどうか、すごい考えてくれてるんだ」
「あらあー。気づけて良かったわねぇ。
その子が願ってるのが、あなたが喜ぶことなら、めいっぱい喜べばいいじゃない。きっと、それが本当の感謝よ」
女性は上のほうに目を向けて、考えてから続けた。
「自分と相手のどちらにも誠実であるということ。
もしも、本当にその日本食がいらないのなら、相手が受け取りやすい方法でそれを伝えること。
うまく伝えられなかったとしても、相手のことを考えたっていうのは、相手はちゃんと感じ取ってくれるもんなのよねぇ。特に、それだけ仲がいい子なら」
私はうなずく。それから彼女と旅の話をする。彼女はパリに友達がいて、これから会いに行くところだと言う。年に何回もパリを訪れていて、もう故郷と同じ感じだそうだ。
第二エアターミナルの駅で、彼女は電車を降りる。ホームで立ち止まると、右手を握ったり開いたりしてみせる。
私は両手を顔の高さに上げて、彼女と同じように握ったり開いたりして返す。
三日月みたいに細くなった彼女の目を見ながら、友達に「くさやを一トン希望」ってメールしよう、そう思った。
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