桜花絢爛 「エピソード6 若島自動車工場」

「EP 6 若島自動車工場」


 人見知りなどなんのその、ユウジは、もう何年も前から知っている友達であるかの様に話しかけてきた。
 「これはユニクロだよ」
 涼はそう答えた。涼も昔から人見知りはない。
 「ふーん。格好いいな。ちげーか。着てるやつが、かっけーのか」
 続いてユウジは言った。
 「いくつ?」
 「えっと。今年14」
 「まじかよ。タメじゃん。見たことねえな。どこ中?」
 「ど…どこ中?…って?」涼は首を傾げた。
 「だから、どこ中?俺、西中」
 「あ、ああ。俺達は違う、品川の方の中学なんだ」
 「品川!?」
 ユウジは目を見開いて驚いていた。顔まで突き出している。涼と彩香は、ユウジがなぜ驚いたか分からず、その開いた口の次の言葉を待った。
 ユウジは、その驚いた顔のまま、ズボンからゆっくりと手を取り出し、不思議な笑みを浮かべながら言った。
 「まじかよ。すげえな…品川かよ」
 まるで、海洋学者が海で新しい品種の生物を見つけた時の顔とでも言おうか。とにかく、とても感心されている事は二人に伝わった。
 「てか、何してんの?車買いに来たの?」
 涼は首を横に振った。「ううん。まさか。ケンヤ君待ってるんだ」
 「ケンヤ君?…ああ、なるほどね。結構、かかると思うよ。さっき兄貴がまだ計算終わってねえって言ってたからさ」
 「計算?」
 「分け前の勘定だろ?ケンヤ君っていっつもいきなりなんだよ。てか、良かったら、お前らも行く?」ユウジはビデオ屋の袋を二人に見せた。「返しに行くだけだけどさ。暇だったら付き合ってよ」
 「いいよ」二人は頷いた。
 ユウジはケンヤの車の助手席をノックし、中にいるナナに声をかけた。「おーい。ナナ男。お前も行くか?」
 すると、ナナは何も言わず顔すら向けずに、中指を突き立てた手を、音がする程の勢いで窓に叩きつけてユウジに見せた。涼と彩香からその手は見えていないが、その音と、ユウジの反応で、おおよそ何をしたかは想像がついた。
 「ふん。いやな女」ユウジは鼻で笑った。「まあ、いいや。行こうぜ」
そうして、街灯の少ない田舎道を3人で歩いて行った。二人の前を行くユウジの小さな背中が妙に逞しく見える。「暗がり」「夜」などの言葉は、このユウジ様の前では1ミリの障害にもならないと、その背中に書いてでもあるような。
 「あ、俺、ユウジ」ユウジは振り返って手を出した。「お前、名前なんつーの?」
 涼はその手を笑顔でとった。「涼」
 「涼。へー。かっけー」
 「お前は?」
 「彩香」
 「へー。彩香っつうんだ。品川ってすげえな」
 涼と彩香は顔を見合わせ首を傾げた。「なんで?」
 「だって、「子」ついてねーじゃん。俺の回り、ナナコとか、モモコとか、みんな「子」ついてるぜ。だから俺も子供出来たら「子」つけねーようにしようと思ってんだよね」
 「そうなんだ。子供好きなの?」彩香が聞いた。
 「あたりめーじゃん。横浜流っしょ」
 涼と彩香は顔を見合わせ、また首を傾げた。
 「横浜流ってなに?」
涼が聞いた。
 「横浜流?横浜流を聞いちゃうか?横浜流っていうのはあれだよ。…なんつーの?男の生きざま!みたいな感じ?浜の男の生きざまだな」
 「ふーん。なんかいいね。横浜流って言葉」
 彩香はそう言って、にやっと笑った。
 「横浜の人以外でも使っていいの?」
 「いいんだよ。横浜流は日本の魂みたいなもんだからな」
 やがて3人は大通りに出た。そこは車通りも多く、ビデオ屋やガソリンスタンドのほかに、24時間のラーメン店、ファミリーレストランやら、大型の中古車屋も見える。
 涼と彩香の二人は自然に横断歩道のある方へ向かったが、ユウジはそのままごく自然に車道の真ん中を突っ切って歩いて行った。特に車が途切れる間を待つともなく。
 二人は茫然と、その様子を見ていた。
 中央分離帯の所でユウジが二人を振り返って言った。
 「何してんだよ。歩行者優先だぞ」
 その後もユウジは堂々と車道を横切り、クラクションでも鳴らされようものなら、その車に対し威嚇していた。
 涼と彩香は肩をすくめながらも、笑みを零し合い、ユウジの背に続いて、小走りで車道を横切って渡って行った。
 ビデオ屋の駐車場は広く、数十台は停められるスペースがあった。店前にある数台の自動販売機の光と、ビデオ屋の黄色い看板の光が重なり、店前は昼の様な明るさで、そこに数人の不良少年たちが座ってたむろしていた。
スタンドを立てた自転車の上に座って煙草を吸いながら携帯のゲームをしている少年。その後ろの荷台に座って煙草を吸いながら、その携帯を覗き込んでいる少年。うんち座りして、ひたすら地面につばを吐いている少年。何やら踊りのようなものを踊っている二人…など。品川ではあまり見ない光景だった。彩香は、さすがに彼らを見た時は手を袖の中にしまった。
 「あ、ユウジ君」一人がユウジに気付くと、全員が少しだけ体勢を直しユウジに軽く頭を下げた。頭を下げる…というよりは、軽く顎を突き出すという表現の方が正しい。
 「おう」ユウジは軽く手を挙げた。
 「誰っすか?そいつら」
 「ん?品川の友達」
 ユウジはそれだけ言って、ビデオ屋の中へと入っていった。涼と彩香もそれに続く。
 「まぶくね?」「まぶくなかった?」「まぶいよね」「めっちゃまぶい」
 彼らが口々にそう言っているのを背に聞いて、彩香は涼の顔を見上げ首を傾げた。
 「まぶいって何?」
 ユウジはレジにDVDを出すと、スウェットズボンをずり提げてしまう程大きなブランド物の財布をお尻のポケットから取り出した。
 「1640円です」
 なかなかの延滞金。ユウジは手持ちが足らなかった。
 「やべえ。どうしよう。涼、お金持ってる?」
 涼は口の端をニッと上げて財布を出した。
 「うわ、やべえ、財布もかっけーな。その{H}ってどこのやつ?」
 「これはエルメスだよ」
 「やべーなエルメスとかいって…。さすが品川。てか、ごめんな。120円だけ貸してくれる?必ず返すからさ」
 「いいよ。120円ぐらい」
 「駄目だよ。借りた物は期日までに必ず返す。それが横浜流だ」
 それを聞いて、すぐに思い当たる節があったが、涼と彩香の二人はあえて突っ込まなかった。
 外に出ると、不良少年たちの姿はなく、代わりに彼らがいた場所に空き缶や、煙草の吸殻、お菓子のゴミや、汁まで完全に飲み干したカップラーメンの器などが無数に散乱していた。
 ユウジはその中を通って自動販売機の前に立った。「よっしゃ。パスモ、チャージしといてよかったぜ。電車なんて乗んねーけどさ」そう言って、涼と彩香の分のジュースも買うと、二人に投げて渡した。
 「付き合ってくれた、お礼」
「ありがとう。120円はこれでチャラね」そう言って涼は口の端を上げた。
 「おおー。ナイスだねえ。へへヘ、10円得したぜ」
 ユウジはそう言って、炭酸のジュースを音を立てて飲むと、通りの排気音に負けない程、大きなゲップをして、すぐ側の車止めの上に腰をかけた。そして煙草に火をつけ、大股を開いて座った。まるで、その広大な駐車場を取り仕切る長にでもなったかの様な態度だった。
 涼はユウジと同じ様に車止めの上に座り、彩香はその側にちょこんとしゃがみこんだ。
 「品川じゃ見ねえ景色だろ」ユウジはそう言って、微笑んだ口元から煙を漏らした。「みんな暇だから、ここぐらいしか来る所ねえんだよ」
 涼と彩香は、往来する人々をぼーっと眺めた。確かに、ひっきりなしに車が入って来る。
 「つまんねえ大人にだけはなりたくねえよな」
 それを聞いて、二人はなんとなく「うんうん」と2回頷いた。
 そこから、話し上手なユウジが中心となって、3人のお喋りが始まった。ユウジはどんなことでも軽い調子で話し人の笑いを誘った。コンビニでトイレを借りて紙を詰まらせてしまったというだけの話でも、まるでお笑い芸人の様な見事なオチと大袈裟な動きをつけて二人に話した。涼と彩香は何度も大きく笑った。
 やがて、話は「面白い話」から「将来の夢」へ。外にそうしてたまる不良少年たちは、大抵、夢を語り合っている。
 「俺さあ。将来、子供、3人は欲しいんだよね。それで、セルシオかクラウン買って、家族用にワゴンも一台買ってさ。あ、母ちゃん達のために軽も一台買うかな」
 「お前らは子供欲しくねえの?」
 「欲しい」
 「欲しいかな」
 「涼は将来、何になりてえの?」
 涼は上を向いて考えたが、答えは特に出なかった。
 「うーん…特にないなあ」
 「ないってことねえさ。何かしらあるだろ?」
 「うーん…」涼は首をひねった。
 「小さい頃は、検察官になりたいって言ってたよね」
彩香が代わりに答えた。
 「検察官とか言って、やべえじゃん。すげえ難しいんじゃねえの?」
 「うん…。だから、諦めたかな…」涼はそう言って俯いた。
 「へえ~。でもすげえじゃん。涼、頭よさそうだもんな。俺なんて九九でつまづいてっからさ。そんなの目指す以前の問題だわ」
 彩香はケラケラと笑った。
 「何でもいいんだよ。やりたいこととかないの?」
 「やりたいこと?」
 「そうだよ。何がしたいかってことだ。俺が先に言うぜ?笑うなよ。俺はF1の整備士になりてえんだ。みんな無理だっつーけどさ。なんで無理なんだよって感じ。そう思わねえ?なりてえと思ってたらなれんだよ」
 「なりたいと思ってたらか…」涼は上を向いた。
 「そうだ。逆になれねえと思ってたら絶対になれねえ。兄貴も言ってた。いや、これ親父も言ってたな。だから母ちゃんと結婚できたんだってよく言ってるよ」
 「俺はF1に出たい。F1に出るのが小さい頃からの夢だな」涼はそう言ってうんうんと2回頷いた。
 「いいね。しかも俺と似てんじゃん」ユウジは親指を突き立てた。「じゃあ、お前がドライバーで、俺が整備するよ。やべえ、ちょー楽しそうじゃね?」ユウジは八重歯を出して無邪気に笑った。「彩香は?」
 「私は…。じゃあ私は、社長になって、世界一の物を作りたい」
 「いいね。乗って来たな」ユウジは尻をついて座っていた体を起こし、うんち座りの体勢で前かがみになった。「何作りたいんだ?」
 「んー」彩香は唇に指をあてて考えた。「まだそれは分からないけど、世界一の物」そう言って、彩香も無邪気に両の頬を上げて笑った。
 「いいね~。3人の夢絶対叶えような」
 ユウジはそう言って3人の前に手を出した。彩香はすぐにその上に手を重ね、涼もすぐに手を重ねた。
 3人は手を合わせ、強く約束を切った。
 「いいね。うける。今日と言う日を忘れるなよ。俺達は今日から親友だ」
 そう言った後で、ユウジは涼の腕時計を覗き込んだ。
 「あ、やべえ。そろそろ戻った方がいいか。置いてかれちったら、やべえもんな」
 ユウジはそう言って、立ち上がり。お尻をパンパンと叩いた。
 「っていうか、涼の時計やばくねえか?それロレックスじゃん」
 「うん…。そう。お父さんに貰ったんだよ」
 ユウジは、もう一度まじまじと涼の時計を覗き込んだ。「へえ~。本物のロレックスって初めて見たかもしんねえ。涼の家ってやばそうだな。今度行ってもいい?俺なんかが行ったらやべえかな」
 涼は口の端を上げた。「いいよ。そんなことないよ」
 そうして、3人はまた暗い田舎道を歩き工場へと戻った。
 3人が工場に戻っても、ケンヤはまだ奥で話をしていた。助手席にあったナナの姿もない。ナナは結局、遊び相手が見つからず、一人そこにいても暇だったので、ケンヤの様子を見に行ったのだった。
 「なんだ。まだもめてんのかな。うち入ってもいいんだけど、いま、兄貴の彼女がうち泊まっててさあ。めっちゃうるせえから、外でもいい?」そう言って、ユウジは工場の前の駐車場のなだらかな傾斜を降りていき、ちょうど道路の街灯の下にあたる縁石に腰を下ろした。
 「え、ユウジ君いいよ。私たちのことは気にしないで」
 「アホ。気になんかしてねえよ。暇だから付き合てくれってことだよ」
 そう言って、ユウジは笑いながら地面をパンパンと叩いた。
 「それにお前、親友に向かって「気にしないで」は禁句だぜ」
 彩香はにやっと笑った。「分かった。じゃあ、もうちょっと付き合って」
 「お兄さんの彼女、何かあったの?」涼はごく自然にユウジの隣の地べたに直接座った。この短時間で、もう地べたに座るのに慣れた様子だった。
 「子供出来たんだよ。だからうち来てんだけどさ。イライラするみてーで、やばいんだよね」
 「へえ。赤ちゃんいいなあ、お兄ちゃん達いくつ?」彩香も慣れた様子で、二人の前にしゃがんで座った。
 「兄貴は20.嫁は16だぜ。やばいよな。しかも、俺とタメのやつの姉ちゃんって言うね」そう言ってユウジはケラケラと笑った。「そのタメのやつっつーのが、またやばくてさ。ナナコって言うんだけど、今度紹介してやるよ。まじうけっから」
 そうして、またたわいもないお喋りが続いた。
しばらくして、ブーブーと文句を垂れるナナと、それをなだめるケンヤの声が聞こえて来た。
 「すまない。待たせて悪かったな、涼。彩香」
 涼と彩香は立ち上がり、首を横に振った。
 「そうか、ユウジはタメだったな。どうする?悪いが、俺は仕事が入っちゃってな。送ってってもいいけど、あれだったらこのまま残って話しててもいいぞ?」
 答えはすぐに出た。彩香は「ナナちゃんも話そうよ」と、声をかけたが、ナナは道路端に座っていた三人のことなど、見下す様な目でみて、何も言わず車に乗り込んで行った。
 「じゃあ、悪かった。またな。涼」
 ケンヤはそう言って、爽やかな笑みと白い歯の輝きを残し、車に乗り込んで去って行った。
 「俺あの女嫌い。てか、本当に一緒に帰んなくていいの?」ユウジが煙草の煙を煙たそうにしながら言った。
 彩香は首を伸ばし、ナナの乗る車を目で追っていたが、やがて車が走り去ると「大丈夫」と言った。
 涼はユウジの煙草を持つ手を見ていた。
 「そっか。お前ら、煙草吸ってないのか」と、ユウジが言った。まるで煙草を吸っていることが至極当然だというような口ぶりだった。
 「品川のやつって煙草吸わないの?」
 「そういう訳じゃないよ」涼と彩香は笑った。
 くしゃっと潰れた煙草の箱を持つユウジが、二人の目にはとても大人びて見えた。ユウジのその、汚いサンダルを履いて、股を開いて縁石に座り、煙草を持った手で、おでこをだるそうに支える姿なんかが、涼のパジャマ姿が「サマ」になってしまうのと同様に、ユウジの不良スタイルもまた、若者的に見ると「サマ」になっていたということである。逆に、その手に煙草を持っていなかったら違和感が沸くような必然性があった。そのぐらいユウジには不良が似合っていた。
 そして、それがとても自由に見えた。ユウジは自分の生き方に何一つ負い目がないという風に見えた。
 それが、今の二人にとって、最も強く「大人びて」という姿に映った。
 「吸ってみる?」
 ユウジは箱を振って、器用にスッと一本煙草の頭を出して、涼の前に差し出した。
 彩香は涼の顔を見た。涼は煙草の先を見て止まっていた。何かを思い浮かべている様だった。
 「大丈夫だよ。ほら」
 やがて、涼は決心して、それをもらって吸った。
 スーッ…
 ハーッ…
 …。
 ゴフッ!
 むせた。
 「ウハハハハ。分かる。俺も初めそうなったよ」ユウジは大きく笑うと、目尻にくしゃっと皺が寄り、むき出た歯の両端に銀歯が見える。可愛らしい笑顔だった。
 彩香は、涼の背中をさすった。その顔は、小さい頃、砂場で山を作る涼を見ている時の様な表情だった。
 涼は、口から泥でも吐き出すみたいに一つ「ゴホっ」とむせてから言った。「うわ…苦…」そして顔を歪めた。「なんだこれ。こんなの吸ってんの?」
 「苦いんだ。私も喘息じゃなかったら吸ってみたかったな」
 「え?喘息って煙草やばいの?」ユウジは煙草を持つ手を引いた。「やばいなら早く言ってくれよ。俺ガンガン吸っちゃったじゃん」
 「あ…気にしなくて平気だよ」彩香は両手を振った。「大丈夫。大丈夫」
 「あせったよ」ユウジは手を元の位置に戻した「いきなり呼吸困難とかなったらどうしようかと思ってよ。やばかったらすぐ言ってな」
 彩香は微笑んだ。「ありがとう。大丈夫だよ」
 涼はまた一口吸った。やっぱり不味い…。苦味と、煙たさで、顔がくしゃくしゃに歪んだ。その顔で煙草の先を見つめた。先に光る赤だけはとても綺麗だと思った。
 彩香は、涼のそんな顔を初めて見たので、ニヤニヤと笑っていた。
 「吸いかけだけど、これ全部やるよ」
 ユウジは、つぶれた煙草の箱と、黄色いライターを涼に差し出した。
 「本当?いいの?」
 「いいよ。家にいっぱいあっから。うちみんな吸うんだよ」
 「ありがとう。ユウジ君」
 「君とか気持ち悪いな。ユウジでいいよ。お前もしかして、自分の事「僕」って言っちゃうタイプだろ?」ユウジは笑った。
 涼の顔は赤くなった。
 「涼ちゃん、昔から俺って言ってるよね」彩香がそう言うと、涼は照れ臭そうに笑った。
 「お前ら、なんか面白れえな」ユウジはニヤっと笑い、口の端の銀歯を見せた。
 それからまた3人のたわいもない話が始まった。
 特に今回、涼とユウジの二人は車の話で盛り上がった。
 まずは好みの車のタイプを話してハイタッチをし、将来これだけは乗りたいと言う話で握手をして、これまでの国産の中で一番恰好いいと思う車は何かと言う話で、二人は拳を付き合わせた。彩香は、そんな二人を見ながら、ずっと楽しそうに笑っていた。
 「ケンヤ君が乗ってるタイプは邪道だ。あれは許せねえ」
 「そうかな。あれもあれで恰好いいと思うけどな」
 「彩香。お前はどう思う?」
 「私は涼ちゃんが乗る車が一番恰好良いと思う」彩香はにやっと笑た。
 「出た出た。また涼ちゃん。お前はもう涼ちゃん教だな」
 「いいじゃん。だって、好きなんだもん」
 すると、ユウジは歌舞伎の様な、大袈裟な動きをしながら、涼の肩を叩いた。
 「だもんだもんだもん。だもんだって、お兄さん、やるぅー」
 そう言って、能で出す声の様な高い裏声を出したので、二人は笑った。
 「面白いなあ。なんていうか、ユウジは本当人生楽しんでるって感じがする」
 「当たり前だろう。一回しかない人生。楽しまなきゃもったいねえよ。明日いきなり交通事故で死ぬかもしれねえじゃん?」
 「うん…」涼は目を伏せた。
 ユウジは涼の顔を見ながらうんうんと2回頷いた。「お前はあれだな。影がある感じが恰好いいな」涼は顔を上げた。「そういうのって格好いいよな。多分お前、俺が今まで見た中で一番格好いいと思う」
 「そうかな」涼ははにかんだ。
 「まじだよ。こんな格好いいやつみたことねえ」
 彩香はにやっと笑った。
 「うわー。もうお前の言う事はわかってるよー」ユウジは彩香の顔を指さした。「どうだ私の涼ちゃん格好いいでしょうみたいな顔しやがって、この野郎」
 「うるさい。もう!」彩香は笑いながらユウジの手をパチンと叩いた。
 「ハハハ、いてえって。でも、確かにすげえモテるぜきっと。横浜の女どもに見せてやりてえよ」
 「もてなくていいの」彩香は口を膨らませた。
 「妬いてんのか。うける。今度、女紹介しちゃおうー」ユウジは面白がった。
 「紹介しなくていい!」彩香は身を乗り出した。「だめ。やだ。絶対だめだからね。涼ちゃん会っちゃだめだよ」
 「ハハハハハ。うける。お前からかうの面白いわ」
 彩香は頬を膨らませた。
 「大丈夫だよ。会ったりしないし、会ったって何も変わらないよ」涼は口の端を上げて笑った。
 「お、いいね」ユウジは銀歯を見せた。「男はやっぱ一途だよな。横浜の男はみんな一途なんだよ」
 「そうなの?」彩香の膨らんだ口は元に戻った。
 「そうだよ。俺の親父だってそうだぜ。母ちゃんと中学の同級生で今もめっちゃ仲いいぜ。今も一緒に風呂入ってっから。うけんだろ?」
 「すごーい、憧れるね」彩香の輝いた目が涼を向いた。涼は頷いた。
 「でも横浜での場合だけどな。品川ではわからねえぞ」ユウジは悪戯に笑った。「東京の男は基本一途じゃねえからな」
 「もう、なんでそういうこと言うの」
 「うける。その膨らむ口がうける。まじで。大黒で釣れるフグみてえだ」ユウジは膝を叩いて笑った。
 そうして気が付けば、あっという間に時計の針が12時に近づいていた。
 「お前らの親ってなんも言わないの?」ユウジが言った。
 二人は顔を見合わせた。
 「うちの親父はなんもいわねえけどよ。お前らの親って真面目だろ?品川の親って真面目そうだもんな」
 「私はうちに誰もいないし、叔父さんも何も言わない。涼ちゃん家はね…」彩香は涼の顔を見ながら声を落とした。
 涼は視線を落とした。「まあ…うん。言うけどね」
 「オッケーいいぜ」ユウジは銀歯を見せて笑った。「色々あんだな。こまけえ事は気にするな」
 涼は口の端を上げて笑った。
 「明日、俺の仲間紹介すっからよ。みんなめっちゃいいやつだぜ。お前らもめっちゃ良い奴だから、みんなも絶対気に入るよ」
 「うん。明日も来るよ」
 そうして涼と彩香の二人は帰路につき、ユウジは二人を最寄駅まで送って行った。
 二人はユウジと別れる時に、振っていた手を最後にピースに変えた。ユウジは良く分からずもピースを返してから、そのピースを自分の方に向けた。
 「なんだこれ。品川流?」そう言って笑った。
 涼と彩香は、平日の終電間際、人気のなくなったホームへと上がって行った。
 やがて、やって来た電車に乗り込むと、車内も空いていてとても静かだった。席が空いていたが、涼はドアのすぐ近くに背をもたれて立ち、彩香は手すりに手をかけて涼と向い合わせに立った。
 「大丈夫?」
 涼が聞いた。彩香はそっと頷いて「大丈夫だよ」と答えた。
 「…」の彩香でも、これだけ車内が空いていればあの発作は起きない。
 涼は、さっきユウジからもらった黄色いライターをポケットから出して眺めていた。彩香は黙ってその顔を見つめていた。涼はライターをじっと見つめたまま、手の中でそれをコロコロと回していた。
 やがて彩香が言った。
 「ユウジ君、良い人だったね」
 涼は顔を上げた。
 「うん」
 そして、口の右端を上げて二ッと笑った。
 彩香は、ここ2年程、涼がそうやって笑う事がとても少なくなった事を心配していた。そういう笑顔だけじゃない。いつもみんなの先を走って行く様な、あの元気な涼の姿がなかった。涼が学校に行かなくなるなんて事も想像もしなかったし、今みたいに俯いて黙った姿を見せるなんて事もあり得なかった。その理由が何なのかは分かる。でも、涼がそれについて口にする事がないので、彩香もそれについては何も話さなかった。
 自分が一番辛い時に涼はずっと側にいてくれた。だから、きっといつか涼が元気になるその日まで、彩香はずっと側で見守って行こうと思っていた。
 「吸っちゃったね」
 涼は口の端を上げて笑った。
 そして、今日は思い切って涼を誘って良かったと、彩香は思った。最初の車内では少し心配だったが、涼はユウジと会ってとても楽しそうにしていた。正直な所、未成年で煙草を吸う事が、世間一般的に許される事ではないのは十分分かっていた。でも、この時間にこの電車に乗る中学生である今の自分達が、その世間一般的という方面に立っている様な気もしない。ビデオ屋の前に座っていた時もそう。工場の前に座っていた時もそう。世間一般的の人達と共に立ち一緒に並んで座るという事に戸惑いを感じてしまう。
 彩香は、涼もそう思っているだろうと思った。
 だから席に座らずに敢えてこの場所に立ったのだと。
 世間一般的に進んで来ていたら、涼は煙草なんて吸うはずはなかったと思う。そして、私もその手を止めたと思う。でも、これが私達が進む現実。私たちが選んだ道なんだと、彩香は思った。
 次の駅でも、乗り込んで来る人は少なく席は空いたままだった。
 涼はそれを見て「座る?」と、席を差して聞いたが、彩香は「ううん…」とかぶりを振った。
 座る人、立つ人、その中の時を止めた様に電車は動きだす。。
 「…」
 彩香がそう言うと、涼は穏やかに笑った。そして、ポケットにライターをしまってこう言った。
 「ありがとう。俺もだよ」
 涼は口の右端を上げてニッと笑った。
 彩香は恥ずかしそうに笑って、口をきゅんとすぼめた。

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