自分から友達を作れという言葉の裏
小学校を卒業する前に一緒に行動をしていた友人に表題の言葉を言われてからから人間不信に陥り始めた。
元々受け身型であった私に積極的な部分が不足している点で指摘されたと捉えていたものの彼女と中学校の校区が別々になってしまった為にもういじめ被害の救済は出来ないと断られてしまったのだ。
言葉に隠された意味を理解できずに額面通りの行動を取っても裏切られ、却っていじめが酷くなった。
内心、彼女が通った中学校の校区に引っ越したいと家族に伝えたが、社会に出ても同様なことがおきる可能性があると思い、当時の家庭の事情で実現不可能なためにひたすら我慢をした。
低学年までは話しかけられることが多く、友達が自然にできた嬉しさで幸せな気分だったが、クラス替えをしてからいじめ被害が受けて悲鳴をあげれば救済してくれるという甘い考えをしていた私が彼女にとって許せなかっただろう。
一緒に「友達」として行動していた子が卒業を機に関係を断つということは彼女が過去に酷いいじめを受けていたことや貧困同然の生活を強いられたストレスで残虐さを競い合ったことや私のことがそんなに好きではなかったと言われたを思い出し、本当の友人関係としてお断りされたということを知った。
それ以降、専門学校や初職で昼食を取るグループに入れて欲しいと声をかけても同様な理由ではぐらかされて除外された経験もしており、更に人間関係に対する不信感が強くなった。
何度も実母にその件による被害を受けて悲しかったと零すと
「本当の友人関係は自然に出来るものだ」
と諭された。
確かに価値観は勿論、自分と同じ経験じゃないと本当の関係は成立しないからね。
表題の他にやんわりとした断り文句もあり、額面通りに受けて行動したら失敗して期待していて上手くいかずに落ち込むケースがあるが、信じていた人に否定的なメッセージを送られたショックで純粋な人間関係が築けないことが昔と今も変わらない。
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。