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8月、ふるさと中能登町へ帰る

今日から2泊3日で中能登町に帰る。月に1回の帰省だ。もう実家はないが、それでも私のふるさとである。ふるさとがあることは幸せである。その点、私は田舎者で良かったと思う。

チャキチャキの江戸っ子には東京がふるさとなのだろうか。
転勤族を親に持った人はどこがふるさとなのだろうか。
転勤族だった私の子どもたちははたしてふるさとがあるのだろうか。あるとしたらそれはどこなのだろうか。
そんなことを思う。

私は21年間銀行に勤めていた。地方転勤は、神戸と札幌だった。いずれも転勤族には人気のある都市だ。
私は銀行の人事部にいた時、社員の自己申告書と睨めっこをして人事異動の案をつくっていた。
彼らの自己申告書には、転勤したい店舗、転勤したい地方を書く欄があった。人気の双璧は、札幌と福岡だった。それに、神戸や仙台が続く。北関東や郊外店はあまり人気がない。大阪、京都、名古屋も意外と人気がなかった。
皆んな考えることは同じだ。仕事よりも、観光で行ってみたい都市、住んでみたい都市には人気があるようだ。
江戸っ子の社員や転勤族の子どもたちは、転勤先で気に入った街を"我がふるさと"にしているのかも知れない。

札幌や福岡が出身でない社員で、札幌や福岡に家を求め、地元企業に転職したり、そこで起業したりした社員は、私が知っているだけでも数人はいる。
ある社員は東京や大阪出身ではなかった。九州出身だったが札幌に家を求めた。よっぽど札幌が気に入ったのだろう。逆に、北海道出身者が福岡というケースもある。
私も札幌支店勤務のおりは、大通やすすきののみならず、住んでいた真駒内が気に入って、真駒内にマンションを買おうと思ったことがある。
真駒内は札幌の郊外だが、札幌市の中心の大通まで地下鉄南北線で30分もかからない。真駒内は自然豊かな理想の永住したい町だった(残念ながら、私たち夫婦は一人っ子同士のこともあり、"親はどうするの?親を捨てるのか?"と言うことで、取りやめた。
福岡は銀行時代に勤務したことはないが、OUEN塾で月に1週間は出張していた。2〜3年続いたろうか。福岡は札幌と似ているところが多い。
玄界灘の魚が美味しい。田舎と都会が同居している。杉がなく、スギ花粉症に悩まされることはない。
札幌は北海道の東京であり、福岡は九州の東京だ。そしていずれも自然は豊かだ。

そんな思いで古稀まで生きてきた。15歳で能登を出て、それほど能登に愛着はなかったと思っていた。だから、札幌や福岡がベストだと思っていたのだが、やはり、潜在意識に生まれ育った能登があったのだと思う。それを元日の能登半島地震が私に思い起こしてくれた。
3月から能登に帰るようになって、黄副団長の影響もあって、"東京と能登の二拠点居住"を私の第二生の生活スタイルにしようと思うようになった。

稲盛和夫さんは、「潜在意識にまで透徹する強い持続した願望をもつ」ことをいつもお話しされていたが、潜在意識とはそれほど人間の生き方を決めてしまうものなのだと思う。

東京7時20分の新幹線"かがやき"で金沢に行く。金沢から七尾線に乗り換えて、1時間強で11時14分に良川に着く。

積ん読していた本を2冊持参しよう。

「ウェルビーイング」
(前野隆司・前野マドカ著、日本経済新聞出版発行)
「わが人生に刻む30の言葉」
(牛尾治朗著、致知出版社発行)

能登で"ウェルビーイング"を追求しよう。そのためには、"確固とした哲学"を持つことだ。
ブレない哲学が人間をつくり、事を成就させる。天はそのために、その成就のために、私をこの世に生かしてくださる。

大いなる道というもの
世にありと思う心は
いまだも消えず
(下村湖人)

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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