中能登町をウェルビーイング溢れる町にしたい
積ん読していた書籍のなかから「ウェルビーイング」(前野隆司・前野マドカ著)を読んだ。1年くらい前に読んだと思うが、改めて再読して、とても新鮮だった。気付きがたくさんあった。
以前読んだ時には、これからは"女性"の時代だ、女性に光を当てよう、女性経営者を応援したいと思って読んだ。
今回は、能登半島地震があって、私には"ふるさと能登の創生・再生の応援"というテーマがあって、それが私の第二生のミッションだと、強く、深く、思うようになって読んだせいだと思うが、中能登町を、能登半島をウェルビーイングな地域にしたいとの思いが、この「ウェルビーイング」を読んで、強く、深く、募ってきた。
この本の帯には、〜ビジネス、組織や社会、そして人生を根底から変える。幸せ・健康・福祉の追求は、社会や企業の最重要テーマ〜とある。
人は幸せになりたいと思う。幸せになるためには四つの因子がある。
その一つ目は、自己実現と成長だ。「やってみよう」因子。やりがいや強みを持ち、主体性の高い人は幸せということを表す因子だ。
二つ目は、「ありがとう」因子。つながりや感謝、あるいは利他性や思いやりを持つことが幸せである。
三つ目は、「なんとかなる」因子。前向きで楽観的で、何事もなんとかなると思える、ポジティブな人は幸せである。
四つ目は、「ありのままに」因子。独立性と自分らしさを保つこと。自分と他者を比べすぎず、しっかりとした自分らしさを持っている人は幸せである。
私は、この四つの因子全てを持っていると自負している。これも、私なりに、古稀になるまで辛酸を舐めてきたことがあってのことだと思っている。この歳になって漸くそんな境地の入り口に辿り着くことができた。
そんなことで、^_^私は幸せな人間であり、幸運な人間だと思う。
また、著者はウェルビーイング経営の先駆者たちについて述べている。
「近江商人の三方よし」自分よし、お客様よし、社会よし。
渋沢栄一の「論語と算盤」や倫理観と社会合理性の両立。渋沢は、企業が私益のみを追求するのではなく、社会の発展を実現するために必要な人材と資本を合わせて事業を推進すべきだという。
近江商人の思想を体現した経営者の一人として、稲盛和夫さんが挙げられるという。
京セラ、KDDI、JALなど、稲盛さんが経営に参画された企業では常にウェルビーイング経営が実施されてきた。
「盛和塾」では、「物心両面の幸福」を目指した経営理念が中小企業経営者に伝えられてきた。私は盛和塾の末席を汚させていただいた。
ウェルビーイング(Well-being)は、well(よい)とbeing(状態)からなる言葉。
世界保健機関(WHO)では、ウェルビーイングのことを個人や社会のよい状態。健康と同じように日常生活の一要素であり、社会的、経済的、環境的な状況によって決定されると紹介しています。
「よい状態」とは、なんともあいまいな定義。「よい状態って、一人ひとり違うんじゃない?」と思われるかもしれません。実はそのとおりなのです。ウェルビーイングとはどういうことなのか、自分にとってのウェルビーイングとは何なのか、それぞれの考え方がある自由な言葉なのです。
ウェルビーイングには「主観的ウェルビーイング」と「客観的ウェルビーイング」の2種類があります。
「主観的ウェルビーイング」とは、一人ひとりが自分自身で感じる認識や感覚によって見えてくるもの。
それを測る指標として、「人生への幸福感や満足感」「生活への自己評価」「うれしい、楽しいなどの感情」などが挙げられるでしょう。
例えば、「自分にとってよい人生とは?」「自分は今どんなきもちだろうか?」と自分自身に問いかけることも、主観的ウェルビーイングを把握するために有効です。「よい状態かどうか」の感じ方は一人ひとり異なります。
一方で、「客観的ウェルビーイング」とは、客観的な数値基準で把握できます。
例えば、平均寿命や生涯賃金、失業率、GDP(国内総生産)、大学進学率、収入に占める家賃の割合、労働時間や有休取得率、人と関わる時間、保育所待機児童数、育児休業取得者数、介護時間など、統計データで測れるものです。
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてがよい状態にあることをいいます。
さらに、2015年の国連総会で採択されたSDGsの宣言文には、どんな社会にしたいかを述べる段落の中で"身体的・精神的・社会的にウェルビーイングな社会"と目指す方向性が盛り込まれたことで、世の中により浸透していきました。
また、WHOは2021年、ウェルビーイングを紹介する文章の中で、健康と同じように日常生活の一要素としており、非常に重要な概念としてウェルビーイングを捉えていることが分かります。
中能登町をウェルビーイングが溢れる町にしたいと思う。それが私の第二生のミッションである。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)