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自己愛を卒業し「自己肯定感」の世界へジャンプ!

年々、自己愛の強い人の割合が増えていると言われている。
自己愛の強い人とは、度が過ぎるわがままな人でもなければ、自信過剰な人を指すのでもない。
ひょっとしたらお互いの距離が近づかない限り、自己愛の強さなど、気づかないままかもしれない。

自己愛の強い人とは、表面的にはごく普通の社会生活を営んでいる人で、優秀なビジネスマンや、医者や弁護士ということもある。
ただ共通しているのは、一歩相手の心の中に足を踏み入れると、そこには「誰もいない」ということに気づかされる。
つまり、内面的には「他者」という存在がいないのだ。

心の中には「自分」だけがいて、まわりの人に対する共感的な能力が著しく乏しいことに驚くことになる。
深く人と交流したり、心をふれ合わせることができないため、精神的に溶け合うような親密な関係を築くこともない。
穏やかな話し方をするし、感情を荒立てることもなく、滑らかなコミュニケーションもうまい。ところが、男女関係を持つことがあっても、真の意味で人と交流できないのだ。

他人とは、自分の価値を高めるために存在するもので、自尊心を満たす機能がなくなれば、躊躇せずに新しいものに取り換えるというドライさを持つ。
人に対して、まるで自分を引き立てるためのアクセサリーか、壁紙のような感覚を持つのだ。

このような、自己愛の強い人が増え続けるのには、理由がある。
それは、時代の影響を受け、時代と共に変化してきた家族関係も一つの要因だと指摘する研究者は多い。

社会は急速に、効率・効果、生産性重視の価値観に進んできた。
人と支え合うことが生きる必須の手段だった時代から、世代をまたがずに、人より数字・結果という、超ドライ社会に変化し続けている。

その結果、生活スタイルも一変。
隣近所とは、必要以上に関わらないのが暗黙のルールとなる。
老いていく人にとっては、自分が生まれ育った環境とは様変わりした現代の感覚に、順応するのが難しい人もたくさんいる。

また、子どもの少ない現代は、濃密な親子関係がつくられ、更には、子ども一人に対して、祖父母が4人というのも珍しくない時代。
変化に順応することを大の苦手とする老人にとって、孫という存在は大きい。
社会の第一線から退いた元気な老人にとっては、生き甲斐でもあり、人生に喜びをもたらしてくれる大事な存在のため、惜しまずお金をかけたくなる相手となる。

また、そんな背景を持つ日本社会は、母子密着を推奨する風潮はあるものの、時期がきたら母子分離を促すところまでは育っていない。
そうなると、母親はずっと子どもと二人きりの生活を強いられることになり、結果、子どもの学校生活から、友だち関係まで、つい目が行き届いてしまうのだ。

場合によっては、子どもの歩く道をきれいに片付けてしまう。
つまり、わが子がつまづくことを恐れ、転がっている石ころを全て取り除くことで、社会の荒波に揉まれる機会を取り上げてしまったり、人とぶつかり、葛藤を超えて深くつながるといった、人間を深く知って共感する経験を奪ってしまい、結果的に自立を妨げてしまうのだ。

子どもが傷つくことを恐れてはいけない。
それよりも、揉まれて、乗り越えていく経験を積めないことを恐れよう。

年齢相応に集団生活を送るようになったら、思う通りにいかない体験は良い肥料になる。
人によって傷つけられることもあるが、癒すのも人だと知るからだ。
つらい体験は、フォローさえ万全であれば、他人への共感力を育み、自分しか愛せない窮屈な自己愛の世界から、解き放つ役割を果たしてくれる。

欠点も多く、決して立派な自分ではないけれど、でもそこそこ悪くないこの自分を、自分は割と気に入っている・・・と思える感覚を手にできるようになる。
そうなれば、人からの評価に一喜一憂しなくて済むようになるし、失敗を恐れるより、挑戦することを面白がれる、タフな心が育つ。

守り過ぎて、傷つくことを恐れる大人に育ててはいけない。
これからの社会は、そんなタフさを持つ人を、喉が手が出るほど欲しがる。
「自己愛」から「自己肯定感」への成長を力強く応援しよう。

鶯千恭子(おうち きょうこ)

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