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文豪ストレイドッグス 太宰治という生き方

※私なりの個人的な解釈です。
数あるものの1つに過ぎないので、ふーん程度で捉えて貰えれば幸いです。

自殺愛好家で日々自殺のことを考え、仕事中に入水を繰り返す、理解し難い奴ですが、そんな太宰の生き方はどういうものなんだろうと考えてみただけです。(自己満)

太宰って22歳だけど子供だよね。乱歩さんは子供っぽいって言われてるしそう思うけど、実際ちゃんと大人しているように私は感じる。それに比べて太宰は馬鹿みたいに賢いし、敦や芥川などに助言しているところを見ると大人って感じだけど根底にあるのは幼い、純粋な心なんじゃないじゃなって、そう思うのよね。賢すぎるが故に全然見えないけど。

そもそも太宰は15歳ぐらいから(織田作と会って以降)良い意味でも悪い意味でも?成長をしていないような気がする。もうこの時点で今(22歳)の太宰がほぼ出来上がってたような。。唯一変わったとすればそれは織田作の死によって探偵社に就職したことぐらいなんじゃないの。太宰の過去は14歳あたりからしか知らないから何とも言えないんだけど、少なくとも16歳時点で今の太宰の外枠は形成されてたんじゃないかな。中身というか生への意識は織田作との関わりで変化してるけど。

織田作は言った。

「あいつはあまりに頭の切れる、ただの子供だ。暗闇の中で、俺達が見ている世界よりもはるかに何もない虚無の世界でひとり取り残された、ただ泣いている子供だ」
─あいつはあまりに頭が良すぎたのだ。
        だからいつも孤独だった。─

小説:黒の時代

子供時代、太宰は頭が良すぎてしまった。だから苦しかった。死にたかった。頭の良さに隠れてしまって誰にも見つけてもらえなかった"孤独"を一人で抱えなければならなかった。それがどれほど苦しいものなのか、凡人の私には計り知れないけど孤独の辛さは知っている。孤独という暗闇で虚無の世界でどう生きれば良いのか。彼は独学で学ぶしかなかった。けど何も分からなかった。独学でこの孤独という世界から抜け出す術を知ることなんてできないと私は思う。誰かの手を借りてやっと抜け出せるんじゃないかな。その手が織田作だった。

乱歩さんも福沢さんと出会うまでは似たような境遇ではあった。でも、虚無でも暗闇でもない。確かにモノクロの世界ではあったけど、乱歩さんは自身がなぜこんなに生きづらいのか良く理解はしてなかった。己の頭脳が他人よりも数倍優れていることを知らなかったから。ただ"大人が怖い"そう漠然とした感情に呑まれていた。世界を認識することはできていた。

それに比べて太宰はどうか?
ポトマ時代の太宰は多分、世界が怖いとか無意味なものとかそういうのよりも、"自分は生きる意味があるのか"って思っていた気がする。
頭が良すぎるが故に世界を神のように第三者視点から見ている感じで先が読めてしまう。それは傍から見ると素晴らしい能力なんじゃないかって思うけど、"生きる"という行為は先が未知だからこそ面白く楽しいものなのではないか。なのに先が読めてしまうのなら自分は生きている意味があるのだろうか、そう思ってしまっていたんじゃないかな。だから自殺を繰り返してた。今すぐ生きる意味を持たない自身をこの世から抹殺するために……

太宰は言った。

「この酸化する世界の夢から醒めさせてくれ」

小説:黒の時代

このセリフから太宰は世界を"酸化するもの"と捉えていて、この目に映し出されている景色は"夢"だと言っている。そして、そんな世界から消えたいと思っていた。

世界を"酸化するもの"としか見れてない太宰にとって世界はとてもとてもつまらないものだったんだなぁ。確かに、世界は酸素によって酸化し続けながら回っているけどね……物理的に捉えたらね……
そりゃあ「生きるなんて行為に何か価値があると本気で思っているの。」って言葉も出てくるよ。


太宰はいつ、自分が周りと違うと自覚したのだろう???乱歩さんは両親が亡くなった直後だし、周りと違うとは感じてなかったんだろうけど。


そこから飛んで現在。太宰は生きている。
君にとって世界は"酸化するもの"でしかないんじゃないのだろうか。何故太宰は生きているのか。その理由にはやっぱり織田作が大きく関わっているのだと私は思う。

織田作は太宰に言った。

「人を救う側になれ。どちらも同じなら、佳い人間になれ。弱者を救い、孤児を守れ。正義も悪もお前には大差ないだろうが⋯⋯そのほうが、幾分かは素敵だ」

小説:黒の時代

この言葉がきっかけで太宰は光の世界へ行くことを決めた。人を救う側になったとしても、凄く素敵になる訳ではなく"幾分か"しか素敵にならないのに。太宰にとって素敵か素敵じゃないかなんてどうでもよかったんだよね。
映画DEADAPPLEで太宰が敦に言ったとおり、織田作がいなければ、織田作と出会えていなければ、太宰は今でもポトマの幹部として人を殺してたんだろう。そして、生きている限りずっと孤独という暗闇で虚無の世界で彷徨い続けてたんだろうなぁ。

これはあくまで私の考察にすぎないけれど、太宰は、
"織田作が自分に求めた生き方の『正解』"を知りたくて生きている
そうなんじゃないかと思う。

太宰の行動は全て織田作基準(?)織田作中心(?)に感じる。

織田作に人を救う側になれと言われたからポトマから失踪して探偵社に就職した。孤児を救えと言われたから敦を拾って社員にした。探偵社に入って、善の仕事をしている。佳い人間に近づけるような生き方をしている。

もし仮に織田作が太宰に今すぐ死ねと言えば躊躇うことなく死ぬだろうね。
それは、私から見れば脆く弱いモノにしか見えないけれど、太宰にとってはそれこそが『太宰治という生き方』だと思っているんじゃないかな。

そして太宰が死なない理由。それは"織田作の求めた生き方の正解"をまだ見つけていないからだろう。自分を唯一理解してくれた人間が求めた生き方。これを知ること以上に価値のあるものなんて太宰にとって存在しないんじゃないの。それは今まで全てが予測できてしまう太宰にとって初めての"未知"なのだろう。初めて"未知"を追うことの楽しさに気づいてしまったのなら、それを追わずにはいられない。それは人間の"本能"だと私は思う。

太宰は無意識に生きようとしている。自身では本当に死にたいと思っているかもしれないけれど、どこか胸の奥に"生きたい"という感情があるはず。だってその感情は人間が生まれたときに貰う本能なのだから。 
本当に死にたいのならば飛び降りでもすればいい。入水なんて生温いことなんてしなくていいじゃん。できるんだから。beastのときにやってるじゃん。寧ろ、飛び降りのほうが即死できるから痛くないんじゃない?

それらを踏まえてやっぱり生きたいんだよ。太宰は。

beastのときに太宰が飛び降りたのは、本当に心の底から死にたかったから、死ななければならないと思っていたから。それが織田作の為になると思ったから。つまり、織田作の為ならばどんなこともできるってこと。それほどに太宰にとっての織田作は大きいものなんだな。 


私が太宰の根底にあるのは幼い純粋な心だって言った理由。
→織田作は太宰に何か特別なことをしているわけではなかった。ただ、太宰のこと理解しただけ。寧ろ理解していたのに手を差し伸べなかった。それについては本人も死の間際で少し後悔していると言っていたけど……
織田作は特別なことはしていない。だけど"理解してくれた"という事実のみで織田作の求める生き方の正解を探して生きているなんて凄く純粋で幼い子供みたいだなぁってそう思ったんだよね。逆に考えてそういう人が織田作に出会うまでいなかったってことを考えると辛いなぁ。


太宰の生き方とか人間性を考察する上で、太宰の発する言葉ってものすごく重要だと思う。

●組合編

「気に入らないな。元殺し屋に善人になる資格はない。君は本気でそう思っているのか?」
元殺し屋であった、友人:織田作を見ているからこその言葉。太宰は織田作の生き方を肯定しているんだなって。確信した瞬間。

「君は探偵社の凡てを知らない。自分自身の凡ても知らない。凡てを知ることは誰にもできない。それを可能性と云うんだ」
→太宰自身はどうなんだろう。太宰も可能性を持っているのかな…?織田作の求めた生き方を知らない太宰にも可能性があると踏んでるのかな。

「"成りたいモノと向いているモノが違う時人は如何すればいい?"
生き方の正解を知りたくて誰もが闘っている。何を求め闘う?答えは誰も教えてくれない。我々にあるのは迷う権利だけだ。
溝底を宛もなく疾走る土塗れの迷い犬達のように」

→太宰は明らかに闇の世界が向いているはず。他人が如何なろうと躊躇わらない冷徹な心をもっている。ポートマフィアという闇の世界を支配する組織において『歴代最年少幹部』の称号を難なく得てしまうそんな才能がある。けれど、太宰は織田作に言われたから光の世界で生きようとした。そんな太宰にとっても「生き方の正解」なんて分からないからそれを求めて生きている。この言葉は太宰自身も物凄く当てはまっているよなぁ…と。

それにしてもこの言葉文ストの中でもトップに君臨するぐらい凄く好きなんだ。これは私も含めた文豪ストレイドッグスの読者にも当てはまる。

成りたいことと向いていることが違う人なんて世の中に沢山いると思う。幸い、私は成りたいことと向いていること(得意なこと)が同じだからいいけれど、もし成りたいことと向いていることが違ったら自分は向いていることで生きていくか、成りたいことで生きていくか物凄く悩むと思う。安定を選んで向いていることで生きていくことを決めても"楽しい人生"になるのだろうか。逆に成りたいことで生きていくことを決めたとして、本当に"幸せ"になれるのか。その答えなんて誰も教えてくれない。私達に与えられた権利は
『迷いながら足掻き、全力で生きていくこと』
どっちが正解なんてないんだよね。どっちを選んだにしろ、世界は止まることなく回り続けるのだから。1番駄目なのは何もしようとせずにその場に留まってしまうこと。失敗も成功も凡て人間に与えられた権利なんだってね。

●死の鼠編&天人五衰編

「確かに人は皆、罪深くて愚かだ。だからいいんじゃあないか」

「人間は罪深く愚かだ。だが、君が考えるほどつまらない存在じゃあない」

「あいつの売りは偶発性と不条理だ。何度も見てきた。幾千の神算鬼謀を巡らそうと、我々がいるのはここ、地の果ての牢獄だ。
実際に世界を回すのは、偶発性の嵐の中で叫び、走り、血を流す者達。
その魂の強度の前に、君も私も立ち尽くすしかないのさ」

→ 人間は確かに罪深くて愚かだけどそれでこそ人間なんだ。人間の良さであり、魅力だ。罪深くて愚かだから故に対立を起こすけれどだからこそ未知であり面白い。
ムルソーに居座るドスくんと太宰は所詮、人間が動かす世界を見る神でしかない。実際に世界を回すのは「迷いながら足掻き、全力で生きている人間達」その本能に近い人間の行動を支配することなんてできない。打つ手なんてないんだよ。ただ見守ることしかできない。
そういう風に言ってると私は感じ取った。

結局太宰は『人間』になりたいんじゃないのかなぁ、とか勝手に思ってる。確かに太宰は人間なんだろうけど、全てが見えてしまう太宰にとって自分は人間の姿をした神みたいだと思っているのでは?自分も罪深く愚かな存在として未知の世界で抗っていたい、そう思っているように聞こえる。
ドスくんは人間は罪深く愚かだからそんな存在は排除しよう。この人間を超越した頭脳は神の下僕である僕に授けられた才だから、それを使って然るべき人を幸福にさせよう。という考え方だからね。実に面白い。

神みたいな太宰は実質人間失格ってね


朝霧先生曰く、太宰を何かに例えるなら"ドーナツのようなもの"らしいです。
彼の中心に何があるのかは分からない。何故彼は死にたいのか?監督の五十嵐さんも声優の宮野さんもそれを知らない。これが太宰のもつ複雑さ。
らしいです。

ただの一般人の私が太宰が死にたい理由と生きている理由を考えるなんて愚問だなぁ…

ドスくんは"世界に空いた黒い穴"で太宰は"ドーナツ"か……またここでも真反対。2人が合わされば一つの完成された個体になるけどやはりこの2人の関係が気になる……。

なんか結局的外れなこと言ってるような感じがするし納得のいかない部分も多々あるけど、またいつか考え直そうかな。


文豪ストレイドッグスにおける1番の迷ゐ犬って太宰だと思うんよなぁ…

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