家畜の牛
我々は、いのちによって生かされている。
しかし、スーパーに並んでいる肉塊がどんな一生を生き、どんな風に死んだかなんて想像もつかない。
割れた卵を見て、「今、新たな命の可能性を壊したんだ」と思いながら食べる人など、そうそういないだろう。
家畜らの生活の実態が知りたかったのと、東京の夏は暑いので、避暑がてら昨年夏に帯広へ酪農の短期研修に行ってきた。
(実は帯広は、北海道内で一番暑い場所だったのは秘密である)
乳牛について簡単な説明をする。
生まれたらまず、体温を上げるために母牛に全身を舐めさせる。舐め終わると引き離され、二度と会うことは無い。
仕切りで分けられた一畳程度のスペースに入れられ、2日間は母牛の初乳を飲み、それから20日程度完全栄養の粉ミルクをボトルから飲む。
離乳すると20匹くらいの他の子牛と共に、車三台分くらいの大きさの牛舎で生活。一歳になると受精用の牛舎に移され、無事受精すると妊娠牛用の牛舎へ移動。
出産すると、良好な牛はフリーストール(牛舎内で放し飼い)か、つなぎ牛舎(首を繋がれ移動できない)へ移動する。
牛乳が出なくなる前に妊娠させ、出産ギリギリで妊娠牛用の牛舎に移動するので、つなぎ牛舎の場合一生自由に動くことはできない。
大体が4~5歳で廃業(殺処分)に、長くても10歳程度で体の限界が来る。(普通に生活すれば20年以上は生きるらしいが)
北海道は広大な土地があるけれど、写真で見るような放牧はほとんど無い。牛は牧草をまばらに食べるため無駄ができるのと、乳房炎や怪我など健康リスクがあるためである。
初めてつなぎ牛舎を案内されたとき、想像よりも牛たちがくつろいでいたので驚いた。
首を繋がれているので、どこにも行けないし、体を搔くこともできない、立つか寝るかしかできず、隣の牛と寄り添うこともできない。
でも、ふかふかのワラにおいしそうなとうもろこし飼料、糞もとうもろこしの匂いでそんなに臭くはない。ハエは沢山いるけれど、厚い皮膚であまり気にもならない様子である。
ほとんど日が入らないので鬱にならないかと思ったが、くちゃくちゃと咀嚼している彼らはまるで、カーテンを閉めた部屋でポテチを食べるヒキニートのよう。足りてはいないが不足もないようだ。
私はその、つなぎ牛舎で搾乳を担当することになった。
牛は好奇心が強いが臆病なので、はじめは興味津々に顔を寄せられるか、逆に「嫌!」と足を出されたりした。しかし、1週間もすると飽きたようで、話しかけてもみなつまらなそうに草を食べるばかり。
いつもみんなつまらなそうな顔をしているし、話しかけても無反応なので、始めは言葉を理解するほどの知能が無いのだと思っていた。
仕事にも慣れ1ヶ月くらい経ったある日、とある牛の前を通ろうとしたら、足を出されて私はコケた。
優しく「もー、ダメでしょ」とその牛のほうに近づくと、彼女は足を引っ込めたのである。
次の日も次の日も、彼女は足を出してちょっかいをかけてくるので、私は笑いながら「コラー」と彼女頭を掴むと、なんと頭を擦り寄せてきた。
牛は体重が500キロ前後あるので、頭が当たるだけでも人間はたまったものではないのだが、彼女もなんとなくは加減してくれたようである。私は後ろによろけながらも、彼女を受け止めた。目を細める彼女はとても表情豊かで、可愛くて思わず抱きしめた。
その日家に帰って調べたところ、牛は人間でいう4歳程度の知能があるらしい。犬よりも賢いと言う人もいた。
今まで牛が返事をしてくれなかったのは、分からないのではなく、しなかっただけなのだ。
あれからその牛とはとても仲良くなって、朝と晩頭を抱いて撫でてあげることが日課になった。
しかし、幸せはそう長くは続かない。
酪農を始めて2ヶ月、仲良くなって1ヶ月くらい経った頃、その牛の廃業(殺処分)が決まった。
自分の糞で、乳首から菌に感染し乳量が減ったためである。
牛舎にはバンクリーナーという糞溜めがあるのだが、そこにきっちり糞が落ちるとは限らない。人間の勝手で生まれてきたのに、人間の勝手で死ぬことが決まってしまった。
毎日どこかで牛は殺されているのだ。
これが当たり前なのだから泣かない、そう思っていた。
処分の日、朝の搾乳前に彼女の生乳を少しだけ取り分けておいた。
やはり人の言葉を理解しているのだろうか?今朝の彼女は、なんとなくソワソワして落ち着かないような感じがする。
搾乳が終わり屠殺場のおじさんがやってきて、牛舎の鎖から紐に付け替えた。
おじさんが「行くよ」、というと彼女はすくっと立って歩きはじめる。私は、「待ってください!」と言って、最後にもう一度彼女を抱きしめた。
彼女は嫌がることなく、すんなりとトラックに乗った。中には既に数匹の牛がいて、死んでいるものもあった。
トラックと垂直に、外が見える形で中で括り付けられるのだが、隙間から見える彼女は泣いていた。
これから死ぬのだということを、分かっていたに違いない。きっと、自分一生を振り返って泣いていたのだと思う。
泣かない、って思っていたのに。いつの間にか、私もボロボロと涙をこぼしていた。
トラックを見送り、仕事を終えてから彼女の生乳を飲んだ。甘くて美味しくて、また泣いた。
一度でいいから、明るい太陽の下で走らせてあげたかった。初めて太陽を直視するのが死ぬ日だなんて、あまりにも可哀想だった。
初めてここに来たときは、牛は一生牛舎でも幸せだろうと思ったけれど、できるなら外で自由に暮らしたほうがいいに決まっている。
でも、これが残酷だとは思わない。人間だって、命は失わなくても弱肉強食の世界で生きている。誰もが自分の運命を持っていて、牛たちもその中で生きているに過ぎないのだから。
初めて屠殺場へ牛が送られるのを見たその晩、たまたま町の焼肉パーティーがあった。
おいしかった。
彼女の肉も紛れているかもしれないと思うと、余計おいしく味わおうと思った。
いのちにありがとう。
(※ここに出てくるのは、私が働いた牧場の場合です)
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