先生が先生になれない世の中で(39) ~何もわかっていなかった~
酒をビールから日本酒へと移した頃、Tに6年間ずっと聞きたかった質問をぶつけてみた。
「卒業式の時のこと覚えてるか?」
Tはふと考えてから言った。
「いや、あまり。」
そうだろうな、と妙に納得する自分がいた。続けてこう聞いた。
「あの朝、なんで髪を黒くしてきたんだ?」
質問をしながら、頭の中では当時のことが鮮やかに脳裏に蘇(よみが)ってきた。
卒業式前夜
僕は、駅構内の喫茶店にTを呼び出した。ちゃんとTが現れたことに僕は安堵(あんど)を覚えた。もしそこに現れなかったらもはや打つ手がない、というぎりぎりのラインだった。目的は一つ。ちゃんとした格好で卒業式に出るように説得すること。
それまでの歩みをふり返りつつ、僕は懸命に話をした。いつものように、Tがヘソを曲げそうになったら適当に話題を変えつつ、細心の注意を払いながら会話をリードした。時刻はすでに夜10時をまわっていた。「他の保護者に見られたらやっかいだな。」そんな不安が頭をよぎった。
2時間ほど話したのだろうか。確かな手応えも得られぬまま、Tの集中力が限界に達した。結局、テーブルの下に隠しておいた黒のヘアスプレーを渡して別れたものの、それさえも帰り道に捨てられる可能性があった。
失敗した――僕はそう感じていた。
卒業式当日
いよいよ卒業式当日。教室に現れたTは、髪を黒くしてきちんと制服を身にまとっていた。これは、前夜の説得に失敗したと感じていた僕にとって予想外のことだった。もう一つ、予期せぬ出来事が起こった。Tと同時進行で働きかけていた不登校の女の子が、意を決して登校したのだ。中学校生活最後となるこの日に、それまでほとんどそろうことがなかった我が3年B組は、全員集合した。整列前からクラスの雰囲気は最高潮に盛り上がった。
着々と式が進む中、Tはどんな気持ちでいるのだろう、と気になって生徒たちの中にいるはずのTを探した。ようやく見つけたが、みんなと変わらない服装で、小さくなって自分を押し殺しているTの横顔を見ると、僕の気持ちは晴れなかった。
前にも書いたが、のちにK先生に、Tをちゃんとした格好で卒業式に参加させたのはえらかったとほめられたが、正直ピンとこなかった。きっとそれは、Tがきちんとケジメをつけてきたことに対して僕が感じたのが、充実感ではなく後ろめたさだったからだ。当時の自分にとって、Tをまともな格好で卒業式に出すということは、Tのためというよりも自分のためだった。卒業式というお披露目の場において、自分のメンツを保ちたかっただけだ。
一方、卒業式のTは本当にえらかった。前日まで学校唯一の金髪であったTは、完全にまわりの生徒に溶け込んでいた。みんなと同じように座り、同じように立ち上がり、礼をして、卒業証書を受け取った。あの空間に、黒染めしたTがいたことに気づかなかった教員も少なくなかったのではないだろうか。
僕自身のメンツを守るために犠牲になったTに対して、僕が抱きつづけてきた感情は、「えらかったな」ではなく、「悪かったな」であった。
しかし、それは間違っていた。そう教えてくれたのは、21歳になったT本人だった。中学校生活最後の日、前日まで金髪だったのになんで黒染めしてきたのかという僕の問いかけに対して、21歳のTは15歳だった自分の心をこう分析した。
「あれだけいろいろやってもらったのに、最後の最後まで俺が変わらなかったら(大裕が)やってきた意味ねーじゃん。だから髪とか制服とか俺がカッコいいと思ってたことをくずしても最後はちゃんとやろうと思ったんじゃないの。」
ああ、そうだったのか。〗
僕は衝撃を受け、眉間(みけん)を竹刀で突かれたような目まいを感じた。
Tは隣に座っているお嫁さんに語るように続けて言った。
「だってあきらめなかったもんね。自然教室で俺が教頭殴った時も、担任は体調わりぃとか言ってバックレたけど、担任でも何でもなかった大裕が代わりにやってくれたもんね。その後も大裕だけは俺のはなし聴いてくれた。」
全身に鳥肌が立った。
自分はなんて愚かだったのだろう。立派な姿で卒業式に出るということは、T自身にとっておおいに意味のあることだった。それは、それまでの人生で何も背負うものを持っていなかったTが、僕の想いを背負った瞬間だった。
「えらかったな。」
6年の歳月が経ち、結婚し、子ども二人にも恵まれ、己のちっぽけさもすべて受け入れた僕の、心からの言葉だった。
(おわり)
*この記事は、月刊『クレスコ』2024年11月号からの転載記事です。