半径1mの情熱
次男(5歳)は、とにかく拾う。
小石、どんぐり、球根、葉っぱ、枝、ちぎれた蝉の羽、松ぼっくり、樹皮——。
小さな手に収まる大地の恵みたちは、すべて彼の “宝もの” だ。東京ドーム約39個分の広さを誇る公園に出かけても、彼は半径1mで世界を堪能する。
ある日、次男が公園で大騒ぎをした。
あまりに興奮しているので、令和のつちのこか? あるいは小人でも見つけたのか? と駆け寄ると、大きな栗と、帽子をかぶった若草色の太っちょどんぐりを握りしめていた。
小さな両手で、大切そうに握られた “宝もの” 。
そのままではブランコで遊べないのに、ポケットに入れることを断固拒否する。「ブランコの間だけでも」と、親が特別警備隊として志願を申し出ても、首を縦には振ってくれない。
その日、次男は結局ブランコより “宝もの” を選んだ。兄弟が遊具で遊び回る中、彼は一人、手のひらで大地の恵みを愛で続けた。
愛着を持つ対象や慈しみ方は、兄弟でも違う。
次男は拾った自然物を握りしめたり、並べて眺めることを好むけれど、同じ頃の長男は、工作の材料として積極的に使っていた。
人はそれぞれ、自分なりの方法で “宝もの” と向き合い、世界と対話しているのだろう。地球というたった一つの星の中で、あらゆる愛着と関係性が広がっていくことを思うと、その多様さと豊かさに圧倒される。
思えば、次男や多くの子どもたちと同じように、かつて私も自然物と遊ぶのが大好きだった。空想の出演者として、彼らとたくさんのファンタジーを共有してきた。
大人になり、世界の秩序や自然の原理を培うと、“宝もの” が担ってくれたファンタジーとは別の物語の存在に気がつく。大切に箱にしまった“宝もの” は、自分だけの秘密の「点」ではなく、過去から未来への旅路の過程——この世界の「線」の断片であることを知る。自然や文化そのものが、大いなる宝箱なのだと。
次男の宝箱には、相変わらず世界の断片が溜まり続けている。彼が “宝もの” を眺める姿を見ていると、まるで過去と未来を繋ぐ無数の道筋と対話しているように思えてくる。
愛着は、未来を作る小さな一歩だ。未来への希望だ。きっとこの断片たちも、彼の中でいつか「線」に変わる日が来るのだろう。
まだ、彼は知らない。
その小さな手のひらに握りしめているのは、未来そのものだということを。
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