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いくら丼をめぐる食い意地と、秋の心理戦

食いしん坊3児ママによる、朝ごはんエッセイ連載。
おいしさも栄養も作る楽しみも全部叶える、執念の朝ごはん。


若い頃、母親とは「一番おいしいところを子どもに譲る存在」だと信じて疑わなかった。

母はいつも「アタシはいいから」と子どもたちを優先していた。優しさでもあり、食への興味が希薄でもあったのだろう。3P入りのプリンが「兄、私、私」という偏った消費をされても、文句の一つも言わない。

私の食い意地は、誰にも邪魔されることなくスクスク育った。それはもう、見事な成長っぷりだった。母のスタンスはある意味、食い意地の英才教育だったのである。


時は流れ、私も母親になった。
子どもの「おいしい!」が最高のごちそうであることを、リアルな体感として知った。

しかし、食い意地は現役として、今も私の中にいすわっている。大人の権力をフル活用して、先に一口だけいただくことがあることは、子どもたちには
内緒である。



ところで、秋のお楽しみの一つが、自家製いくらの醤油漬けだ。

はじめて手作りしてみて、たまげた。こんなに簡単でワンダフルな味わいが、自分の手で……?!


海産物は「俺たち生身なんで」という主張が強いせいか、その取扱注意感にビビってしまいがちである。ただ、いくらの醤油漬けは実にシンプルだ。生筋子の塊をぬるま湯の中でほぐし、血合いや外れている薄皮を流したら、ザルにあげてから調味液につける。これだけだ。

膜を外すと、いくらたちがポコポコと元気に飛び出してくる。「よしよし、かわいいねぇ」と愛でながら、産湯の中でなでまわすこの時間が、実に楽しい。翌朝に控えたいくらの贅沢丼を思うと、自然と手つきも優しく、丁寧になっていく。

調味液を冷ましている間に、
生筋子を、
ドボン!
ツルピカに洗ったら、
ザルにあげて、
調味液にひたしておく。


悪いな、子どもたちよ。これは大人のお楽しみなのだ。君たちには朝ごはんに納豆でも出してやろう。




「おはよう、いい天気だよ」

一晩寝かせたいくらの醤油漬けに声をかける。

瓶の中で身を寄せ合ったまま、色っぽい視線でじっとこちらを見つめてくるその姿に、思わず喉がゴクリと鳴る。

あぁ、潮騒の真珠よ。朱砂のきらめきよ。
なんと美しく、艶やかに育ったのだろう。その粒ひとつひとつが、生命力が強いを秘めた小宇宙のように輝いている。


せっかくなので、朝からごはんを炊いた。視界が曇るほどの湯気を放つ、炊きたての新米を茶碗に盛りながら、これから始まる贅沢な快楽への期待を抑えきれない。

汚れを知らない純白の新米にまたがる、真紅の粒たち。箸先でそっとすくいあげ、そのままためらわずに味わうと、ぷちっと弾ける音とともに、舌の奥から喉元までを甘美な余韻が満たされていく。

米の甘さといくらの塩気が何度も交わり、絡み合い、そしてほどけていく官能的な宴。もっとほしい。もっと奥まで、もっと……!


ゲヘヘとよだれを垂らしながらご飯を茶碗によそっていると、ふと視線を感じた。顔を上げると、長男(8歳)がこちらをじっと見ている。いや、目線の先は私ではない。私の目の前に置かれた、いくらの瓶である。

おっと。私としたことが、うっかりしていた。こんなに魅力的なブツを、多感な8歳の前に無防備に置いてしまうなんて。

本当はひとりじめしたいぐらいだが、家族の笑顔もごちそうだと知っている私は、大人の余裕で声をかけた。


「食べる? できたてホヤホヤだよ」

「やったぁ!!」


いただきます! と手をあわせてから、みんなで秋の口福を味わう。ぷちっと弾けるいくらの食感と、炊きたてごはんの宴をそれぞれが体感し、ホォっと幸せのため息が出る。

やっぱりいいね。おいしいものを分け合って、みんなで食べるのって、最高に幸せな気分だね。こっそり楽しむ背徳感もいいけれど、家族で共有するこの喜びこそ、最高の朝ごはんなのだ。

「おかわりしていい?」

自家製を気に入ってもらえると、こちらも嬉しい。夢中でいくら丼を平らげた長男の茶碗に、半量ほどのごはんを盛って渡すと、先ほどよりもたっぷりいくらを乗せようとしている。

お、おい。ちょっと待て。4日間くらいは楽しめる計算で仕込んだいくらだぞ。初日からそんなに大胆に食べ進めるんじゃないよ。

思わず無意識の圧で長男を見る。幸せの空気が一転し、緊張が走る食卓。野生の勘で素早く母の圧をキャッチした長男は、スプーンにこんもり乗せていたいくらを少しだけ瓶に戻した。


「……おかわりしていい?」

長男はよっぽどいくらを気に入ったのだろう、普段なら絶対にたどりつかない境地——3回目のおかわりに挑もうとしている。

長男よ、さすがに食べ過ぎである。
もちろん家族で楽しむために仕込んだことは間違いないけれど、本音を言えば私がひとり占めしたいのだ。これは私による、私のためのいくらなのだ。



「そんなに食べたら、塩分取りすぎだから、もうおしまい!」

理性をもって、欲を制す。私はレッドカードを掲げ、長男の3回目のおかわりを阻止した。仕方ない。長男の健康を想うからこその判断なのだ。


刺激的ないくらの醤油漬けを、このまま食卓に出しておくのは危険である。そう判断した私は「あとはまた今度ね」と家族を制し、瓶をささっと冷蔵庫に戻した。



ちぇ、と残念そうにする長男を見ながら、作れるうちにあと2〜3回、いくらの醤油漬けを仕込んでもいいな、と考えていた。

次は、長男と一緒に作ってもいい。ぷるんと弾ける粒に直に触れながら、自然の豊かな味わいや、自分で作る楽しさ、好きなものの愛で方を彼なりに感じてくれたら、親としても嬉しい。


食への興味が希薄だった母のおかげで、天井知らずに育った私の食い意地は、こうして今、新しい根を張り始めている。

子どもたちとの食卓の中で、時に心理戦による奪い合いがあっても、きっといいのだ。それぞれの方法で旬を味わい、楽しむ朝のひとときは、自分たちらしいおいしさの記憶として重ねられていく。根がどんなふうに伸びていくのか、私自身も楽しみだ。


暦の上では、すでに冬。でも、私の食い意地はまだ、秋にしがみついている。急いで次の生筋子を買いに行かなくては。





いくらの醤油漬けレシピは白ごはん.comさんのものを参照しました。

味しっかりめなので、私は醤油の量を少し減らして作っています。今だけのお楽しみなので、ぜひ!



🍚 back number 🍞
【1皿目】秋の始まりと、ドラゴンフルーツ
【2皿目】希望のピザトースト
【3皿目】とりあえず、かき玉汁
【4皿目】やさぐれた日の、豆腐白玉だんご
【5皿目】やっぱり、大根葉ふりかけ
【6皿目】朝を救う、アンパンマンと鯖缶のカレートースト


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