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頑張っているデブに軽率に「痩せろ」と言ってはいけない。それは最早軽犯罪だ。

「太ってるしもっと痩せたほうがいいよ」

本日夕食中家族の一人に言われた言葉だ。別に普段はデブ弄りをされても大して気にしないが、今日は少し違った。かなり腹がたった。雨だったからだろうか。思い切り反論したかった。ただ、言い返しても場が暗くなるだけだし、実際太っているのは事実なので反論は夕食と一緒に飲み込んだ。

ただどうしても納得いかないこともあるので、ここに書かせいてもらいたい。まず家族は私の運動の努力を知っているはずだ。大体週5で運動をしているし、走っていることも知っているはずだ。毎朝体重計に載って一喜一憂している私のことも知っているはずだ。夜は基本ニラともやしとササミのサラダ。あと納豆で済ませていることを知っているはずだ。努力をしっているはずだ。

それなのに彼らは言う。「もっと痩せたほうがいいよ」と。即ちそれは以前より太ったという意味だろうか?そんなはずはない、体重だってしっかり落ちてきているし、微量ではあるが腹の張りも減った。ただその辺りは私にしかわからないので、まぁいい。しかし、私の努力は知っているはずだ。そんな痩せようと頑張っている人間に、食事中にそれを言うのか。不用意、軽率、無神経の極みである。太ったことがない人にはわからないだろうが、デブいじりはかなりメンタルに来る。脂肪を許容している人以外、ちょっとしたことでもかなり気になってしまう。冗談と分かっていても、辛い。

今日の家族の夕食を準備したのは私だろう。今朝お前のスカートを褒めたのは私だろう。お前はそれを覚えているのか?いや、覚えていないのだろう。もし覚えていればデブなどと軽はずみなことは言わないはずだ。もし、覚えていた上で私を詰ったのなら、お前はもう立派な軽犯罪者だ。褒めてもらった相手を貶したのだから。そんなことは華族でも許されないだろう。

私を焚き付けて、ダイエットを更に頑張ってもらおうと思っての発言だったのかもしれない。もしそうであれば効果はばつぐんだ。この腸の煮えくりにより、内蔵脂肪は確実に燃えるだろう。反骨心という副産物も生まれ、より一層減量に勤しむ事ができる。ただしその燃焼エネルギーは私のメンタルを削って出来た有限の資源であることを是非ともお忘れなく。

ユーモアを挟めるほど心が回復してきた。やはりnoteは偉大である。書くということは心を治めてくれる。もしnoteが無かったら今頃、隠してあるはずの焼酎をかっ食らい、締めのラーメンをキメるところであった。そうなるとなるほど、noteにはダイエット効果もあるのか。これからも継続していこう。


ガリの人はガリと言われたらどういう気分になるのだろう?と書いていて少し思った。私は羨ましいと思うが、これも隣の芝生現象なのだろうか?

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