精神科行こうと思ったら一番の呪縛が解けた話

一昨日、夜中の2時まで2時間と少し夜散歩をした。あまりよろしくないメンタル状態だった。

それがきっかけで、母に「私は精神科を受診した方が良いと思うがどうか」という相談をした。B5のノートに、経緯や偏見打破のための説明、具体的な疑いのある症状など、6ページに渡って書き、LINEに送った。

12まで書いた

B6のノート12ページ分の返答がきた。「親の欲目抜きに私が精神にかかる程偏っているように見えない、傾向を持っている程度では」という旨だった。他にも、今までちょこちょこ吐いていた悩みに関しての解決策をくれたり、少しでも気が紛れるようにと占いのリンクを送ってくれたり。

大量に送ってすまなかった

ありがたかった。でも知っていた。母からの回答は今まで自己分析で得ていた、先生やスクールカウンセラーへの相談でも得ていた。
つまるところ、今までそうやってその場しのぎでやってきて、なにも解決しなかったし、変わってないのである。
占いで受けたアドバイスはとっくに自己分析で自覚済み、それに上手く対応できないから悩んでいる。「考えすぎ」「優しいから」「大丈夫だよ」、相談した時はこんな感じだった。自己分析が趣味みたいな自分にとっては、相談ですっきりすることもあるが、大半は自覚で終わる。セルフカウンセリング的な。根本的な原因が解決しないのである。
ということで、精神科受診して薬をもらおうと考えた結果のこれだった。
(診断書をもらうのであれば、軽度であれど確実にADHD、もしかしたら双極性障害も食らうかなと思っている。)

「もやもやを吐き出して楽になるなら、話ならいくらでも聞いてやるよ!」と母の回答に記されていたので、これはやるしかないと、今の今まで怖くて言えなかった事を全て吐いた。

・母の回答ではすっきりしなかったこと
・占いは意味をなさないこと
・いい子に育てられて苦労したこと
・中2の時自殺しようとしたこと
・友達関係のアドバイスを沢山くれたが、友達は皆すてきな人達ばかりで、悩んでいないこと
・怒鳴り合いの喧嘩は心理的虐待であること
・怒鳴り合いは脳が萎縮すること
・人の怒る声でプチパニックを起こすこと
・「許してね」をまだ許してないこと
・味方と信じていたのに信頼を崩されたこと
・早く一人暮らししたかったこと
・とりあえず20歳まで生きて、その後は1年ごとに生きるか死ぬか決めようとずっと決意していること
・中学生の時メイクしたら怒られたこと
・恋愛の話すると全否定してくること、今後は相談するつもりがないこと
・連鎖って起こるから一生独身がいいかもと思っている、でも独身なら30歳あたりでセルフネグレクトで死ぬ未来が見えること
・恋愛に関してはこれやめろあれやめろと沢山聞かされてきて辛かったこと、そのせいで一時期恋愛が怖かったこと
・恋愛に自由になりたいということ
・シェアハウスでもいいから心の拠り所が欲しいということ

11ページに渡って書いた。実家にいた時は反論反抗しようとすると、その相手なりの持論と正義で全て否定されたので、言えなかった。今、やっと伝えられたのだ。約10年間我慢に我慢を重ねていたことが。恐怖心はなかった。私対家族1人かつ書面なら皆冷静に聞いてくれるので。

返答が怖くて前置きが長い

返事がきた。謝罪が得られた、弁解が得られた、母の葛藤が得られた。向けられた愛情も言葉として得られた。詳しくは話さないが、理解してもらえたと思った。意見が一致しないことにも同意してもらった気がする。
問題→解決は基本的に「1歩進んだかな」くらいのイメージだったが、今回は1000歩以上進んだイメージがある。呪縛から放たれたような嬉しさ。ちゃんと伝えれば理解してもらえるんだと思った。

弱いが強い母

家族の問題が人生で1番の呪縛だったので、今回解決かは置いといて、気持ちに区切りがついた、大きく前進した。
結局精神科どうこうは放置されているが、裏を返せば、今私が抱えている大きな問題は「精神疾患かもしれない」だけということが明確になったのだ。悪化したらどうすればいいかなんて目に見えている。

完全に自己実現の段階に入った。自分は誰にも否定されておらず、蔑ろにされていない。これまでの自分に胸を張ってハグできる。よく頑張ったね、偉かった、つらかったね。もう大丈夫だよ。私には沢山の支えと盾がある。武器もある。これからはもっと沢山愛を返して行こう。
後出しジャンケンみたいな反抗を反抗と見做さず話を聞いてくれた母に感謝を送りつつ、この話を締めたいと思う。

人生ってこれだからやめられない。

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