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感想 B級版ゆっくり文庫vol.5「レイ・ブラッドベリ『宇宙船乗組員』」及び原作

本記事は、タガメゴロウ 様の動画<B級版ゆっくり文庫vol.5「レイ・ブラッドベリ『宇宙船乗組員』」>とその原作についての感想記事です。また、萩尾 望都先生の漫画版についても軽く触れます。

ネタバレも含みますので、
原著及びタガメゴロウ 様の動画の
ご視聴を先にお勧めします。

◇『宇宙船乗組員』について

『宇宙船乗組員』(The Rocket Man)はアメリカのSF小説の巨匠レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)による短編小説で、1962年に出版された短編集『ウは宇宙船のウ』(R is for Rocket)に収録されている。入手しやすさは「創元SF文庫」の古本が一番だろう。ただ一方で、ストーリーが忠実に再現された萩尾 望都先生の漫画版がKindle本にもなっているのでこちらもお勧めする。
あらすじを軽く説明すると、
「14歳の少年ダグの家へ宇宙船乗組員の父親が帰還する。だがダグはその少し前に母親より父がもう宇宙へ出るのを引き留めて欲しいと協力を頼まれていた。それを承知していたダグだったが、宇宙へのあこがれから帰宅した父に宇宙の話や宇宙船の制服を着ている姿を懇願してしまうのだった。母を悲しませることに負い目を感じつつ。そして、地球での休暇の中、父はダグにあることを誓わせる」
といったところ。
宇宙船乗組員であり、家庭と宇宙との間で心が揺れ動く父。そんな父をある気持ちから冷めた目で見てしまい引き留めようとする母。そして、その両者に挟まれる少年。この3人家族それぞれの感情の機微が少年の視点で描かれ、そして最後の結末の寂しさが際立つ物語。


では、以下よりネタバレを入れて感想を語ります。


◇宇宙 “S is for,”

この作品はSF小説ではあるが、題名のように宇宙船が宇宙を駆けるシーンは全くない。ちょっと未来的なガジェットがいくらか描写されるが、一般的な余暇を満喫する家庭のシーンのみで構成されている。しかし、父親のセリフの節々から宇宙について人を虜にする魅力と、地球や家庭への愛郷心を振りほどいてしまう恐ろしさが語られる。
そして、父親は宇宙に興味を持つ息子のダグにこう約束を求めるのだった。

「宇宙船乗組員にはなるな、ということだ」
 “Don't ever be a Rocket Man.”

宇宙へ行くと地球へ帰りたくなり、帰還をすると再び宇宙へ上がりたくなる。そんな気持ちを息子に味わってほしくないのである。
本作はSF小説であるが、ある種の普遍的な親子を描いた作品である。本作の主題を語るなら別に宇宙船乗組員でなくてもよさそうだ。危険な職業、しばらく家にいられない職業ならいくらでもある。レーサー、とび職、遠洋漁師、医者。なんなら昔を舞台に兵士してもいいだろう。
しかし、本作は宇宙船乗組員を描いた。これは結末に起因することも理由の一点だが、主な理由は宇宙が作品発表当時から続く、人類のあこがれの場所であることだと思われる。
宇宙は恐ろしい場所であると同時に何にも縛られない理想のフロンティアであることは、多くのクリエーターたちが描いてきた。一度行ったら帰ってこられない。肉体ごと魂がそこへ旅立ってしまうのだ。
だから、父親は戻ってこられなかった。
もう2度と宇宙へ上がらないことを息子に約束したのに。

◇太陽 “The Golden Apples”

父親の死は壮絶である。
旅立った次の日、宇宙船が太陽に墜落したのだった。
息子のダグはショックを受けるが、母親はそうでもなかった。10年前に父親が宇宙船乗組員になってから、こうなることは予想がついていたからである。
さて、私が疑問に思ったのは、なぜ父親が最後の目的地に太陽を選んだかであった。
帰還を家族に約束したのなら、もっと安全な星を希望するはずだ。
読み返すと、父親の太陽に関する思いが少し記してあった。

「これがなつかしくなるんだ」
 “You miss this,”

マリブで息子と共に砂浜で日光浴をし、日差しをいっぱい吸い込んだ上での台詞である。
「宇宙船に乗っていると」という意味の上での台詞だ。地球の環境や家族との時間などと同じで、宇宙船に乗っているかぎり、味わえないものの一つである。
私は父親が宇宙への気持ちの断念のため、最後に賭けをしたのだと思っている。それは最も魅力のある輝く星へ近づくこと。ここで未練が断てなければ地球で過ごせない。
しかし、結局断念の気持ちはやぶれ、その虜になってしまった。
SF作家が、地球と太陽との距離を知らないわけがなく、出発した翌日に訃報の情報が届くわけがない。
父親は死んだのかもしれないが、実際は宇宙の魅力に完全に飲まれてしまったことを意味しているのではないだろうか。

◇地球 “Home”

父親が死んだ後、残された家族2人の生活は一変した。
しばらくの間、親子は夜中に起き、食事をとり、日が昇ると就寝する昼夜逆転の生活を送ることとなった。父親を奪った星を見たくないため。外へ散歩に出かけるのは、雨降りで太陽のでていない日だけ。
切ない終わりである。
しかし、そうならざるを得なかった。

母親は、息子に父親が地球に残らせるよう協力を頼んだ。息子は破ってはしまうが極力、父親に宇宙のことを考えさせるような言動は控えようとした。そして、母親も芝刈りや家具の修理など日常の仕事を父親に行わせ、最終的には魅力ある豪勢な食事を用意し父親の心理に愛郷心の罠を張った。効果を現れ、父親は宇宙への辞退を口に出しかける。だが、夜空に輝く火星の赤い輝きが父親の口を閉ざさせ失敗となった。
一言でいい。
「もう宇宙へ行かないで。家族と一緒に暮らしてほしい」
と母親が直接口に出して懇願すれば、確実に父親を引き留められただろう。
しかし、実際は父親が自発的に言うのを待つしかなかった。
母親が父親を愛しているが故。そして、愛の中に宇宙船乗組員である父親の姿も含まれていたからだろう。
ダグが父親に制服姿を見せてもらうのを懇願したとき、母親は不機嫌さを見せた。しかし、その後制服を着た父親が姿を見せた時、母親はぐるりと回って見せて欲しいと願い出る。遠くを見るような目で回る父親の様子を見つめ、再度お願いをする。

200504 宇宙船乗組員 画像1

   (↑ 萩尾 望都先生の漫画版より)
本作では父親の揺れ動く心情がよく描かれている一方で、母親はどこか諦観し冷めた様子が描写される。実際、10年前に父親が死んだと思っているとすら発言している。
だが、心が揺れ動いているのは母親も同様なのではないだろうか。父親には生きて家族と暮らしてほしいと願う中、父親の宇宙船乗組員でいたいという願いの尊重があったのだと。
この夫婦の両者で揺れ動くそれぞれの感情が、会話による問題解決を先送りにし、永遠の別れという結果を必然としてもたらしたと私は考える。

◇「さあ、いろいろと話してみようじゃないか」
  “Let's hear it,”

さて、長くなったが本題であるタガメゴロウ 様の動画の話に入ろう。
本作品はゆっくり文庫リスペクトと言われる形式のもので、東方Projectのキャラクターを使った演劇作品である。
ゆっくり文庫の特徴に各製作者の独自の翻案があるわけだが、本作ではそれが非常に大きい。
ネタバレになるが、明るい結末が付け加えられている。
何故、このような翻案をしたかについては、タガメゴロウ 様がNote記事に理由を述べられているので、それを読んでいただきたい。

最初にいうと、私はこの結末の方が好きである。
原作のセンチメンタリズムや悲哀観を大事にされている方には受け入れられないかもしれないが、この方が作品の魅力をより浮き出させていると私は感じる。
タガメゴロウ 様が指摘されているように、母子が悲観に暮れているのは、「長いあいだ(for a long while)」なのだ。
ここに想像を入れなくては読書をする意味はない。
作品を愛することと自己の解釈を入れることは、決して相反することではないはずだ。

原作再現しか許せない原理主義者は、『霧笛』を読んだ後に映画『原子怪獣現わる』を、また『雷のとどろくような声』の後に映画『サウンド・オブ・サンダー』を見てもらいたい。きっと見る目がやさしくなるはずだ。
脱線してしまったので動画の話に戻そう。

翻案によって昇華された部分として、原作の最初、ダグが父親の制服についた宇宙の欠片を採取して顕微鏡で覗くシーンがある。原作では、父親からの宇宙のお土産をこっそり手に入れ、父親のぬくもりと宇宙への思いを膨らませるシーンとして使われている。
しかし、動画では、ラストシーンで太陽=父親となり、その輝きの比較対象となっている。もう、父親のぬくもりを欠片の入ったレトルト(ガラス瓶)に見る必要がない、もっと暖かく大きい物に感じることができる。
この伏線への変革のすばらしさは、翻案でなければ味わえない。

また、動画という媒体の良さも語ろう。
私は、動画、漫画版、原作の順に見たがそれぞれの良さがあった。

漫画版は、後で読んだ原作のストーリーに忠実に描かれ、繊細なタッチで描かれた美しい物語に感動をした。

200504 宇宙船乗組員 画像2

(↑ 萩尾 望都先生の漫画版より。どのコマでも母親の気持ちがダイレクトに伝わってくる。)

原作は、答え合わせの気持ちで読んだが、文章で読むと少年ダグが主観となるため立ち位置やその感情、洞察力に非常にやきもきした。

では、動画では?
漫画版とは違った美しい映像があった。
父親の宇宙の欠片。晴天に浮かぶ真っ白な太陽。いつ開かれるかと思うドアノブ。
一枚絵とダグのセリフで全てが明瞭に説明されていてこうできるのかと感嘆した。
台詞やシーンも余計なものがなく簡潔でいい。

こうした3種類の媒体で同じ作品を見れたことに感謝したい。

最後にこの話題にふれて終わろう。
本動画では、本見出しにもした
「さあ、いろいろと話してみようじゃないか」。
これは動画内で2度言われる。夜の砂浜での父子の会話とラストの締めの言葉だ。
上記した制作者のNote記事で触れられているように救いの言葉だ。
父から子へ。子から母へ。もしかしたら、大人になった子がまたその子どもへかけた台詞かもしれない。色々想像が膨らむ。
私が原作を読んだ時は、最初、見過ごした台詞だった。しかし、言われると確かに作品の象徴的な台詞である。
少し上述したが、原作の悲劇的結末の要因は父親と母親が面と向かって話し合わなかった結果である。父親を幽霊か幻のように見ないでしっかり自身の思いを打ち明けていれば、悲劇は回避され、小説にならなかっただろう。
ただ、話すだけ。
それだけで思いは通じ合えることがある。それを教えていただけた。

さて、ゆっくり文庫は本家やリスペクトの動画が多数存在する。
そして、ニコニコ動画では各人が好きな場面でコメントが流れる。
また、SNSが活発な昨今、Twitterなどで何が好きか飛び交っている。
あなたも好きな物語、動画に出会えたらどうでしょう?

「さあ、いろいろと話してみようじゃないか」
“Let's hear it,”

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