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🍠エロティシズムの倫理とエロ本主義の精神🍠 芋雑誌下書き 



下書き

🍠エロスの極限

世を見渡せば気概も、哲学も、倫理もクソもないも。相対主義。末人。最後の人。没人格。資本に規定される霊長類。資本の雪だるまに必死でつかまる霊長類。

この時代で倫理を考えむとすれば、セルフィッシュな個々人と仕組み、畑で上手くバランスをとることが最善策か。


エロスをベースに喪ったテロスへとファロスを伸ばす。


「身体―エロスー煩悩―執着」


🌾エロスはここでは快楽追求くらいの理解で良いも(社会に寄せて喋っているニュアンス)


時代が複雑になってきたが、人間は身体(肉体)を持っているというのは有史以来変わらないことである。(芋掘りしていたらどこかでサイボーグ、人工物身体の形跡を発見する可能性はなくなくないもが)

とりあえずこれをベースに考えていくほかない。これが大人の結論かもしれないも。


🍠エロティシズムとアートマン

連続性へと還る。カント以降、なんとなく秩序―無秩序、聖/俗 的な図式は反復されて来た。まあ、そんな感じのイメージだ。言葉を腸えたあちら側に渡る。そこで西洋の人は嘔吐するとかなんとか。


強い禁止があるからこそ、侵犯が精巧に成功する。


人間は動物以下になることも可能であれば、霊長類として人間という特殊性を受け容れることも出来る。

ちっぽけな個体は死に、時空を腸えた大いなるものへと開かれる。


ところで心太。ダイエットという文化が存在する。私はダイエットしている人の前で焼き芋を焼いてみたいも。(サイモパスなり)

🍠資本主義の時間

生は一方向ではあり得ない。時間というものは流れてはいない。🔥永遠の今今の永遠🔥、🔥居間の芋芋の居間🔥があるのみだ。???


それは良いとして、西洋では、神がこの世を作って最後の日まで時間が流れていく。過去→未来へと時間が一方向に流れていく。因果律。同時律、共時律は認めない。


資本は無限に増殖していく。資本主義は「未来」への注意attentionが強い。(私は中尉ではなく大佐である。はっはっは、跪け!命乞いをしろ!)

常に気を張って生きていなければ職業的成功は有り得ない。

私のように値段を気にせず焼き芋を買ってしまうようではならない。

✖食は天なり。〇食は投資であり、未来の自分へのリターンを考えてやるべきなのであるとかなんとか。


語弊があるが、資本主義はこの世が永遠に続くことを前提とし、そのシステムがこの先も絶対に続くことを前提とする。


共同幻想に支えられたものほど強いのである。まあ、それにしても日本の作為の契機の不在…。これは異常かもしれないも。



🍠セックスで我は死にたり

現代ではセックスのタブー感がものすごい。禁止が成立している。(さっき言い忘れたが、私はバタイユとエロティシズムに対する理解が若干違うとおいもます、これはまた今度)

然し、獣のようにセックスする人々も存在する。(これは差別用語、人種差別的な「獣」とは違います。)

それは、単なる二人オナニー(宮台真司)である。それが良いか悪いかなどどうでも良いのだが、そこにエロティシズムは見出せない。


性行為は「聖行為」としなければならないも(冗談だと思って聞いてくださいも、基本ふざけています)


性行為は物理的な距離が縮まり、相手の鼓動が分かるほど身体は接触する。

性行為では快楽ホルモンがドバドバで過緊張気味の現代人にもしっかりエクスタシーをもたらす。過去のパターンを反復し続けるだけの機械となりそうな肉体を回復せしめる。


火山が息を吹き返し、大地は煮えたぎる。

そこでまた、焼き芋を焼くことが出来るのだ。


自我は裂開し、我なき我が顔を出す。存在は存在者と質が異なる。知る者は知られるものではないのだ。


相手の體がうつり、彼女が、彼が、私となる。そこには我の死が伴う。それを腸悦し、さらなる深みへと誘われる。


エロスに従い、前頭葉を働かせ、禁止を乗り越えた果てに、性行為は聖行為となる。それは祈りだ。水火既済ここに観える。個体を腸えて時空を腸悦するのだ。


最早、現代人が古代民族の性行為を真似しようなどおかしいも。不可逆性を受け容れる。それもまた性である。


うむ。上手く書けぬ。駄作なり。然し、私は急いでいる。質より量である。私の本体が嫌いな言葉だ。然し、それを為さむ。


🍠エロ本主義

現代では、想像力の欠如が酷いものだ。イモジネーションが枯れ果てている。


自分、自分。その自分とは一体なんであるか?

自己分析、自己肯定感、自己責任。焼き芋ブリュレなみに甘い。

常に命がけで深掘り、味わうしかない。

全ては幻想だ。

誰かが見せる幻をみて満足出来ぬのだよ。


話が逸れた。

最近では小学生でもスマートフォンを持っている。AVを観ているという話も聞く。


AVはこちらに想像の機会を与えない。刺激が強すぎますし。

最近の日本の子供はまあ、読書しない。大人もだ。これは相当にまずい。どこかの政治家のように、3千万くらい書籍を買うべきだ(笑)。

まあ、そんなことを考えながら、コンビニで飲み物を買っていると、おじいさんがエロ本を購入していた。


なるほど、エロ本か。エロ本主義はすばらしいも。ちょうどよい位置にいるかもしれないも。


うーむ…。上手いこと書けない。何故なら、私はあまりAVを観ないし、エロ本も近所の公園で拾って読んだことくらいしかないからだ。官能小説を読んでみたがまあ、あまり惹かれませんなあ。


あ、そうだった。この雑誌で、AV新法について書いたことがあった。その次の日くらいにDVDを借りてAVの作品を拝見した。中々素晴らしいものであったが、わざとらしすぎて泣ける。世間の需要は如何に。オリジナルなきコピーか(ボードリヤール?)。とおいもましたおもいでがある。まだAVの深堀は続けよう。


あ、あと最近『私の奴隷になりなさい』という壇蜜さん主演の映画を観た。中々、エロティックであったが内容についてはよくわからなかった。私には経験値が足りないのであろうか。


これ以上書くと気持ち悪いと言われてしまいそうなのでやめましょう。


エロ本ぐらいがちょうど良い。イマジネーション、実践、実装、体験、体感。あまりにわかりやすくなり過ぎた時代。


砂糖を毎日食べているようでは、焼き芋の美味しさが、その深みが、その深掘りが見失われてしまうのだ。


エロ本を買うことでその壁を乗り越え、エロ本によっておいもを馳せイモジネーションを働かせ、我なき我は運動を通して、また、一回り大きくなって還ってくるのである。旅にテロスはない。このファロスはどこへ行かむ。



うーむ。つまならいも。もっと良いものを書きたいも。えろーす。私はイデアへと手を伸ばす。


この屹立したファロスしたファロスが向かう先へと。


今回はかなり過激に書きました。


エンターテインメントですね。

読んで下さってありがとうございます。



ではDMよりバター×焼き芋、バタイモ会参加の申請をお願いします。


場所はどこかのラブホ。

皆で焼き芋を食べながらエロを深掘りましょう。


嘘です。


本体はまともですし、ひとりで野垂死んでいきたいので、そこまでの気概や、ヤバさはありません。



愛してるぜ!!

サポートしてくださる方々、本当にありがとうございます。