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“わかる”というのは意外と難しいことらしい

言葉の意味がわかっていても本質を理解できていない、ということは結構生じていると思う。

何かを教えている人はこの違和感に困惑したことがきっとある。私は教える側でも教わる側でも感じてきた。

「わかっているはずなのに先生は納得してくれない」

「いくら説明しても日本語の意味の受容しかしてくれない」

双方もどかしい思いをする現象だと思う。

こんな経験がある。中学生の頃に「僕等がいた」という少女漫画が好きで熱心に読んでいたのだけれど、その中のこの言葉がどうしてもわからなかった。

依存関係というのは一見、頼る側が頼られる側を求めているように見える。しかし、本当は頼られる側が頼る側を必要としている。

意味は理解できるのだけれど、なんか腑に落ちなかった。それが大学3年生くらいの頃にふと思い出してようやく“わかった”。その間に何があったわけでもなく、思い出したときにはなんかわかっていた。

先日偶然読んだ本、山口周さんの『武器になる哲学』で、この現象が説明されていた。

「わかる」ということは「かわる」ということなんですね。

なるほど。確かに。

わからないことはもしかしたら5年後、1年後、1ヶ月後、はたまた明日にはわかっているかもしれない。なぜなら、“かわって”いるから。1日として同じ日がないように自分も日々変化していく。

だから、なんでもわかった気になっているのは非常に危険でもったいないこと。かといって、わからない自分に絶望する必要もない。

もっと明日の自分に賭けてみてもいいのかもしれないなぁ。

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業務委託でのんびりと音楽の仕事を、時々文章も書いています。91年生まれ。超内向型人間。意味のない事が好きです。
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