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自分を変えるために必死になったからこそ見えたもの

2021年4月から2022年3月まで、1年間の大人の島留学に参画した13人の大人の島留学生にインタビューしました。この1年間の中で、自分の大切にしたいもの、挑戦してみたいもの、夢が叶ったものなど、これからの人生の何かのきっかけになったはずです。

『わたし、島で働く。』では、仕事の様子や仕事への思い、自分自身の変化など、一人一人の人生のストーリーをお届けしています。

これまでの人生の80%を離島で過ごしている清瀬さんは、鹿児島県にある徳之島で育ちました。島に大学がなかったことから、鹿児島本土へ進学。そして、大学を卒業し2021年4月から1年間の大人の島留学に参画されました。

現在も離島在住歴を更新中。大人の島留学を経て、2022年4月より海士町役場職員として海士町で暮らしています。

「地元が大好きだし、いつかは帰ろうと思ってるけれど、海士町でもっと色々な経験や考え方を身につけたい。」と話す清瀬さんに、海士町に移住した理由や大人の島留学を経て学んだことを取材しました。

清瀬りほさん:23歳(取材当時)。鹿児島県出身。

離島教育を考えて、母を知って、海士町に出会った


――初めて海士町を知ったきっかけは何だったのでしょうか。

大学生の時に離島の教育に興味を持ち、卒論のテーマを離島の教育にしたり、徳之島の地域活性化プロジェクトに参加して教育をテーマに活動したりしていました。その時に初めて海士町のことを知りました。「離島教育」と調べて1番初めに出てきたのが海士町だったんです。おもしろい教育があるなと思いました。

徳之島のプロジェクト


――そもそも、なぜ教育に興味を持ちましたか?

母が教育関係の仕事をしているのが大きかったです。母は教育委員会で働いていたり、小学校で特別教育支援員を行っていたり、保護者としても様々な活動をしていたりと、地元の教育に関わっている人です。そんな母が身近にいたからこそ、自然と教育に興味を持ったのだと思います。

母は、教育現場にいる一方で、雑貨屋も経営していて、地域の人と話す機会が多く、島のハブ的役割を担っているのかもしれない。徳之島の教育をテーマに卒論を考えている中で、島だからこそこういう兼職する人がいて、重要な立場を担っているのではないかなと思ったんです。

母がなぜそのような立ち位置になったのかを知れば、これからの地方の教育に繋がるんじゃないかと思いました。


――そこから大人の島留学へ参画するに至った経緯を教えてください。

大学4年生のときに就職活動をしていく中で、地元の徳之島に帰りたい気持ちもありながら、地元以外の場所で就職する方がいいのか迷っていました。今はまだ地元に帰るタイミングではないのかなと。

そんな時に母が「海士町に行ってみたら?」と勧めてくれました。私が海士町のことをよく話していたので印象に残っていたんだと思います。

勧められた時に、確かに今はまだ地元に何も還元できないから、海士町に移住して、海士町を勉強するのが1番いいかもしれない。そこで学んだことを、いつか徳之島にも持って帰れるのがベストかなと思い、海士町の方に紹介していただいた大人の島留学に参画することになりました。


父が楽しそうだから、行政で働くことにした


――大人の島留学・島体験事務局で働かれていましたが、主にどのような仕事内容だったのでしょうか。

人づくり特命担当に所属し、大人の島留学・島体験事務局で、大人の島留学に関する事務や設営、研修サポート、noteによる情報発信をしていました。

特に、来期にむけて居住スペースを確保するために、空き家清掃をたくさん行っていました。数十個ある空き家の状況を把握しながら、期限内に住める状態にするなど、清掃から入居までを整理していました。

noteでは「わたし、島で働く。」連載企画の取材や、島前地域の紹介、ほかにも大人の島留学・島体験生の日記を毎日更新するなど、広報のための日程調整・管理をしていました。その他にも、来島する島体験生のサポートをしていて、島体験生と関わる機会が多くありました。

島体験生の研修中をサポートしています


――初めて海士町を知った離島教育というテーマとは離れて、海士町役場の行政で働くことにしたのはどうしてなのでしょうか。

教育という観点からだけでなく、海士町全体を通して、行政がどういう役割を果たしているのかを知りたかったからです。

将来、地元の徳之島に帰ったら役場で働きたいと思っていることも大きくて、海士町の行政がどうなっているのか、地域づくりのやり方をみてみたかったこともありました。


――将来、地元の役場で働きたいと考えているのはどうしてでしょうか。

父の影響が大きいです。父は地元の役場に勤めていて、よく家に父の同僚や後輩が来ていました。家では、みんなで町の良い所も悪いところも、時には言い合いしながら、色々なことを話していて。でもどちらも徳之島のためにという想いが感じられるんです。その姿が楽しそうで、聞いている私もわくわくしていたし、そこにいつかまざってみたいと小さいながら思ってました。

父は時々「徳之島でやりたいことがたくさんある。」と話てくれるんですが、そのアイデアにいつもわくわくするし、父自身も楽しそうに話していて、聞いてるのが楽しかったんです。

今の自分には、まだやりたいことはないけど、父のようなそういう姿を応援したいし、もしかしたら私も役場に入ったら、自ずとやりたいことが出てくるのかもしれないです。

多分、父のようにやりたいことがあるって良いなと思ってるから、役場で働いてみたいのかもしれないんですけど(笑)それを目指したくて、海士町の行政で働かせていただくことにしました。



とにかく必死になること


――実際に海士町で働いてみて、いかがでしたか。

調べて見ていた海士町と、1年間働いて見えた海士町はまるで違うと感じています。外から見てると、スイスイと物事が動いているように見えていたけど、実際には、コツコツと頑張っているたくさんの人がいました。

超すごいプロフェッショナルなわけでも、何かやり方があるわけでもなくて、みんなが試行錯誤して、一つずつ積み上げたものが成功しているんだなって。だから私も海士町に来て、「やり方を学ぶ」のを辞めることにしたんです。


――「やり方を学ぶ」のを辞めるとは、どういうことでしょうか。

海士町にきて2か月くらいがたってから、「学ぶ・知る」という行為は一歩引いて仕事しているような、失礼な行動だと感じました。

周りの上司のみなさんは、大人の島留学を大きくしていこうとか、海士町のためになるのか、を考えているのに、自分は「これは徳之島のためになるかな。ならないかな。」と考えるのが初めにきてしまう。

それは失礼だし、このまま一歩引いた状態で見ていると、一生周りの人に追いつけないと思ったんです。いったん徳之島のことをおいて、海士町のために、今自分が任されている仕事をどうやってこなしていくのかを考えるようにしました。

大人の島留学生のみんな


――やり方を学ぶのを辞めて、何に重きを置くようになりましたか。

全体を意識することや、自分が海士町や事務局のためには何ができるのかを考えることです。

初めの頃は特に、周りとの差を感じていた時期だったので、知らず知らずのうちに、とにかく必死になっていました。一緒に働いていた島体験生の村松さんは行動力があって、どんどん前に進んでいく。それに焦りを感じていて、とりあえず自分がやれそうなことや興味あるものをやっていました。

でも6月末に上司から、「事務局としてもっと全体を見て動いてほしい。」との言葉をいただいて、全体を見て自分が何をすべきかを意識するようになりました。


――周りに追いつけないと話されていましたが、目指している姿はどのような自分なのでしょうか。

上司の方々に自信を持って話ができるようになった自分でしょうか。今は自分の意見に自信がないから、あまり言葉にできていませんが、自分はこう思うとお伝えできるようになれば、少しはみなさんに追いつくような気がします。


自分のために誰かが動いてくれている


――清瀬さんの仕事の中で、どういったところに魅力が詰まっていますか。

だれよりも大人の島留学・島体験生と関われることですね!(笑)同世代の人と関われる機会があるのはうれしいです。

自分は、どんどん前に進んでいくより、誰かの背中を支える方が向いているかもしれません。誰かが前へと進んでいる道に、少しとりこぼしたものを後ろから拾い上げるような役割。それが自分にできることだと思っています。

だから事務局のみなさんが実現させていることに、ついていくので必死だけど、必ず向かう先の方向を示してくださっているので、安心して前を見て走ることができています。


――島で働いていて好きなところはありますか。

携わっている方の顔が分かる距離感が好きです。自分の周りの環境が見えやすいというか。自分のために誰が動いてくれているか、自分の今やっていることにどんな人が関わっているのかがすごく見えてくる。だからこそ、その優しさが原動力になっています。

島の左官職人さんに壁の塗り方を教えていただいています


――海士町に移住して1年が経ちましたが、自分自身の変化したところはありますか。

相談できるようになったことが大きいです。初めの頃は、今のタイミングで質問してもいいのかな、迷惑かな、と考えて気を遣いすぎていたんです。5分で要件が終わるのに(笑)早くいけ!って感じですよね(笑)

学ぶのを辞めて追いつきたいと思った時に、悩んでいる時間ってもったいないな、今ある時間は全部自分の成長のために使わなきゃと思いました。でも、相談するのは難易度が高い。でも直したい。

だから、上司のみなさんがいる大人の島留学研修会で、相談できるようになりたいと言うようにしました。もう、遠回しに上司のみなさんに伝えているようなもんです(笑)宣言することで、自分に言い聞かせて、「宣言したんだから早くいけ!」と悩んでいる時間をどんどん短くするようにしました。

研修会でいうのも勇気がいったことだけど、それをきっかけに、私の中で研修会は宣言の場になりました(笑)

研修中。レゴブロックで自分を表現。



みんなに追いつきたい


――今年度(2022年)からは大人の島留学を修了し、海士町役場職員として働かれるんですね。引き続き海士町で暮らすことに決めた理由を教えてください。

正直、大人の島留学中に周りの上司のみなさんに追いつけなかったんです。初めて海士町に来て、自分に足りないものを学ぼうとしたけど、学ぶのを辞めて、目の前にあることに必死に食らいついた。追いつこうと頑張った。でも全然追いつけませんでした。

そうしていると、周りの役場職員のみなさんが、人づくり特命担当の上司のみなさんが、どんなふうに海士町を見ているのか気になったんです。大人の島留学だけじゃなくて、海士町という全体を知りたくなった。

だから、大人の島留学生たちだけじゃなく、もっと町全体につながりをつくって、いろんな目線で海士町を見ることにしました。


――これから島で挑戦したいことを教えてください。

ぼんやりと、徳之島と海士町を繋いでみたいなと思っています。徳之島の人が海士町を知るきっかけにも、海士町の人が徳之島を知るきっかけにもなっていてうれしいので、事業とかではなくても繋がれたらなと思います。もし役場同士でなにかするとなっても面白いかもですけど。(笑)

これからも、何に対しても自分の考えをちゃんと持って、分からないことも、何が分からないか、言葉にできるような自分を目指していきたいです。

こんな風に。



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