Megumi Inoue おとなのためのモンテッソーリ教育

幼児教育が主流のモンテッソーリ教育。おとなにも有効です。毎日を充実させたい、自分自身が変わりたいと思っている方へ。幼児教育非常勤講師←大学院(モンテッソーリ教育研究)←モンテッソーリ幼稚園勤務←心理大学編入←保育士。すきな食べものは、納豆・牛タン・数の子松前・かぶら寿司。

Megumi Inoue おとなのためのモンテッソーリ教育

幼児教育が主流のモンテッソーリ教育。おとなにも有効です。毎日を充実させたい、自分自身が変わりたいと思っている方へ。幼児教育非常勤講師←大学院(モンテッソーリ教育研究)←モンテッソーリ幼稚園勤務←心理大学編入←保育士。すきな食べものは、納豆・牛タン・数の子松前・かぶら寿司。

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毎日がつまらないと感じたら。

試してほしい。 おとなのためのモンテッソーリ教育を。 毎日がつまらない。 なんなら人生がつまらない。 あなたがもし、そう感じているのなら原因はあなたの心の中にある「混沌」です。 混沌というのは、物事が入り混じって区別がつかない状態のこと。 たとえば、やりたいことはそれなりにあるけど、何から手をつけていいのかわからず何もできない。またははじめられない。とか、逆に、日々に追われているだけで本当にやりたいことがみつからない、なにをしたら充実するのかがわからない、とか、心の中が混

    • 「感覚」が人生をより豊かにしてくれる

      先日、ヴィパッサナー瞑想を体験したことで、意識を「今ここ」に向けることに集中し始めた。 以来、余計なことは考えなくなってきたし、頭の中も静まっていることが多くなった。最近ウォーキングにもはまっているのだが、それも瞑想効果があるようだ。 なので、最近の私の頭の中はからっぽの時の方が多い笑 だからnoteも書くことなくなっちゃって。 なんだけど、最近考えていたのが「今ここ」に焦点を合わせるのが良いのだとしたら、知性っていつ使うの?ていうか、使わない方がいいの?ってこと。 そ

      • ”流される”ことと”主導権を握る”こと

        日々生きていくうえで考えていることがある。 私の生活は、ある程度決まった曜日に仕事があり、その他自宅で準備する必要もあるが、一方で自由な時間ももてる状況にある。 なので、日々自分自身で生活を組み立てていく必要があるのだ。 その、「生活を組み立てる」際に、今日の予定とやりたいことを頭の中でだけで段取りをつけるのと、それらを紙に書きだして優先順位を決めるという段取りで行うのとでは達成感がまるで違うのだ。 以前にも、達成感を味わうということをテーマに書いたことがあるのだが、

        • 「生活」することは平和につながる

          現在開催されている#創作大賞2024中間選考の中に、上記の記事があった。 すごくすき。 私がモンテッソーリ教育を学んでいるとき、モンテッソーリ教育は「生活」をすることだと教えられた。 モンテッソーリの子どもの家に通う子どもたちは、子どもサイズで整えられた環境で、身の回りの始末、掃除や料理、数や言語など、興味をひかれたものに嬉々として取り組んでいた。 その様子たるや、生き生きと生きていることを楽しんでいるようで、子どもたちの様子や表情に生きる力を与えられたし、モンテッソーリ

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          「今ここ」を生きるということ

          ヴィパッサナー瞑想の一日体験に参加してきた。 ヴィパッサナー瞑想とは、いわゆるマインドフルネス瞑想のことだ。 「今ここをあるがままに生きる」 これが、本当に大切なんだなと体験を通して実感したのである。 最近の私は、自分の人生でひとつだけ向き合わなくてはならない問題に直面しており、心は常にその問題に占領されていた。だから、本当は、瞑想体験を通して、その問題のこたえがみつかるといいなという希望を抱いていた。 結果として問題の解決には至らなかったのだが、自分の心境が思い切り

          自分を愛するということ

          この数日で、何度も「自分を愛する」ってことばに遭遇した。 私は、若い頃よりも自分を愛せるようになってきていると感じている。 その基準は、自己肯定感にあるんだけど。 何年か前に、友だちが髭男の「Pretender」をおすすめしてくれた。この曲をはじめて聞いたとき、「20代くらいのときの自分が、今の自分を見たら、きっと喜ぶだろうな」って思った。 今の状況だったり、仕事や人生、自分の価値観とか考え方とかものの見え方とか、そういった自分を取り巻く全部が、昔の自分がなりたかった人

          「決めるだけでいい」

          朝、自分へのメッセージとして飛び込んできたことばがありました。 「歓喜に包まれて生きる」 私はこのことばを読んで、何度も読み返してみて、じわじわと胸が熱くなるのを感じたんですね。 自分の周囲が喜びに包まれていることをイメージするだけで、こころがうきうきするというか、うれしいきもちでひとり笑顔になってしまう、そんな感じになったんです。 それで思ったのが、「決めるだけでいい」ということ。 自分の感情も自分で選んで自分で決めることができるんだって、そのときはじめてわかったん

          ”「最善」を選ぶ”ということ

          モンテッソーリ教育は、子どもが自分で選んで自分で決めることを大切にしている。自分に選択肢があって、さらに決定権もあるということは、それはそうできる環境の中で尊重されているということになる。 「選んで、決める」 私たちが日常、あたり前のようにしていることだけれど、たとえば選択肢の中から「最善」を選ぶということができている人ってどれくらいいるんだろう。 選択肢があっても、「適当に決めた」や「気分で決めた」「本当はAの方が良いのはわかってるけど、Bを選んでおいた方が都合上良いか

          「出産」と「死ぬ瞬間」

          最近出産時のことが話題になり、思い出したことがあった。 「死ぬ瞬間」についてだ。 私が初産のときのこと。 朝5時頃に陣痛がはじまって病院へ行ったのだけれど、そこから微弱陣痛が続いてなかなか子宮口が開かず、なんだかんだで夜を迎えた。夜中11時過ぎくらいから本格的に痛い陣痛がくるようになって、痛みに耐えてたんだけど、しばらくしたら出血したんだよね。 ベッドで横になってナースさんが処置してくださってるなか、私は「死ぬときってこんな感じかも」って、リアルに死を感じたことを覚えて

          「人生、これでよかったの?」

          私は心理学がすきだ。 すきが高じて、編入した大学では心理学を学びました。 心理学にもいろんな分野があって、それによって人間の見方が変わるからおもしろいなと感じます。 で、その中でも私が自分の人生のどの位置にいるのか確認するように使っているのが、エリクソンとユングの発達段階と、ハヴィガーストの発達課題。 これは、ぜひ検索してみてほしいです。 たとえば、私はすでに年齢も50歳近くなり、人生の”正午”を過ぎたわけなんですね。そうすると、人生になんだか「これでよかったの?」とか

          理解できないのに「知っている」?

          モンテッソーリ教育では、子どもが自発的に選択する意思を尊重しています。 なぜなら、子どもは自分の成長や発達の、その時期に必要なものを「知っている」からです。 たとえば、シールを台紙からはがして貼る、ということを集中してくりかえす子どもは、指先を使うことでその機能を実現したり、指先を使うことを洗練させていっているんですね。くりかえすから上手になっていくんです。あたり前だけど。 では、なぜ「知っている」のか? それは”敏感期”が関係しているんですね。 敏感期というのは、生物学

          "It's A Beautiful Day"

          私はQUEENがすき。 きっかけは、映画『ボヘミアン ラプソディー』。 映画が上映されていたころ、ネットや雑誌を開く度にこの映画の話題が載っていて。私は、何度も何度も目にすることばとか話題って、神さまからのメッセージだと思っているので、その時も映画にはまったく興味なかったけれど、「これは、映画を観に行けってことか」と受け取りました。 もう見事にはまって、二度目はIMAXシアターで観て、さらにDVDを買い、数年後にまた日比谷でやってたアンコール上映?みたいなのにも行ってきた

          「環境」と「こころ」の関係

          「環境を整える」 これは、モンテッソーリ教育の中でもっとも大切にされていることのひとつです。 環境って、思っている以上に私たちに影響を与えているし、思ってる以上に私たちのこころの状態は環境にあらわれます。 だから、私はよく自分の部屋があったころは自分の部屋を、今はおうちの状態を見て、自分のこころの状態を感じています。 こころが落ち着いていれば、環境は整っているし、こころが乱されていれば環境も荒れるから。 昔、小学生の頃だったかな?…って30年前?? 楳図かずおの『ダリの

          自分の人生がすきになる方法

          私は、自分の人生がすき。 そして、自分が人生を生きてみて、感じたことや経験したことを改めて振り返ることがすき。 点と点だったできごとが線になっているのがわかったときは、生きててよかったと思うし、今はまだ点でしかないことは、いつかきっと線になるんだとわくわくする。時々、なかなか線がつながらないことに苦しくなることもあるけど、そう感じていることもひとつの点だと思うのです。 私が自分の人生をそうやって前向きに捉えられるようになったできごとのひとつに、あることばとの出会いがありま

          「知っている」と「わかる」

          あなたは、自分の感覚に敏感になっていますか? 私はある時、自分の精神的な状態が食べ物に左右されていることに気づいて、食べ物と自分の感覚に以前よりも敏感になるようになりました。 それまで私は、ポテトチップスのようなスナック菓子がだいすきだったんですね。ですが、ある時ダイエットしようと思い立ち、しばらくスナック菓子断ちをしていました。数か月経ったころ、自分へのご褒美をかねてポテトチップスに手をのばしたんです。すると、その後にびっくりするくらいズドーンと自分の気持ちが落ちたのを

          ”することのあるしあわせ”

          『つまらない毎日を打破するためには、環境とかかわって知性のはたらきを発動させる必要があります。』 ↑これだけ読むと、もう「何のこっちゃ」って感じですよね。自分でもそう感じました。 そして私は今、「やっだー。こんなつまんない見出しなら、絶対みんな離脱よ、離脱‼なんとかしなきゃ‼」って、考えはじめたんですね。 これ! これが、「環境とかかわって知性のはたらきを発動させる」の例なんです。 私は、”自分の書いた文章”という環境とかかわりました。そして「次はどう書いたらよいのか?」