娘からのお年玉

「お母さんが預かっておくからね」
というセリフが嘘だと気付いたのは、小学三年生の頃だったと思う。
 年を越すといつも母親のコートが増えていった。それを咎める父親が私にはいなかったし、母に反抗するといつも即殴られていたので、私のお年玉が消えていったとしても、誰にも訴えることが出来なかった。

 母からの連絡を絶ってもう十年になる。
 どうしても、ということで叔母がたまに連絡を寄こして来るのだが、最近は老人ホームでボケ始めているらしい。この間訪ねて来た時には、
「一回くらいは行ってあげたら」
と叔母は言った。叔母も、私が十八年間どんな仕打ちを受けてきたか知っているから本気で言っているわけではないとは思うが、建前だとしてもそう言ってくることにムカついた。ただ、私に一人暮らしをさせることに賛成して、母を説得してくれた人なので邪険にもできず、
「時間が出来て、気が向いたら行きます」
と言っておいた。
叔母は、
「そう」
と言って帰った。

 今日は娘と迎える三度目の正月。お年玉を理解する年齢になってきたので、ポチ袋に千円を入れて渡すと、
「おかしかいたい!」
と言うので、ちょうど買い出しもしたかったし、スーパーに連れて行った。こういう時に夫がいれば、とふとした時に離婚したことを後悔する。

 親戚の家を訪れた時には、私の妹は五千円をくれたり、叔母は一万円を渡そうとしてきたりした。私が固辞しようとしても、
「もらっておきなさい。友梨佳ちゃんのためのお金なんだからね」
と訴えると、友梨佳はコクンとうなずいた。
 帰りの車で、
「ゆりちゃん、もらったお金どうする?」
と聞いたら、
「私そんなたくさんのお金どうしたらいいかわからないから、お母さん預かっておいて」
と言う。
「本当にお母さん預かっていいの?」
と返した時、私の声は想像以上に震えていた。
「うん。えっ、お母さんどうしたの?」
 涙で運転が出来なさそうだったので路肩に停めて、わんわん泣いた。友梨佳は
「大丈夫?よしよし」
と頭を撫でてくれた。

  次の休みの日、私は実家に戻った。放置されたままの母のコートを全部勝手に持ち出し、山へ走った。ヒョウ柄、真っ黒、これは、カシミヤ?ブランドに興味がないのでよく分からなかったが、とにかく高そうだということだけは分かった。
 人のいない冬のバーベキュー場。コートを全て炉に入れ、ライターで火をつけた。澄んだ酸素が炎を大きくし、冷たい山風が灰を高くまで舞い上げた。一月の太陽が照らし、キラキラと輝く。
 さぁ、行かないと。もうすぐお迎えの時間だ。

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