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犬を飼ってよかったこと。

犬を飼っている。柴犬の黒で、名前はボレという。

子どものころは犬が怖かった。犬だけでなく、動物全般あまり得意なほうじゃなかった。たとえば動物園にあるうさぎやモルモットとふれあえる場所。子ども向けの人気コーナーとして知られているけど、わたしにとっては緊張で手に汗をかくところ。見るのは可愛いけど、近くに寄られるのは怖かった。

そんな動物経験ゼロのわたしがボレを飼ったものだから、こりゃもう、驚きと発見の連続。なんというか、大げさでなく、世界の見え方が変わった。

動物にも表情があることを知った。ウキウキしていたり、期待していたり、機嫌が悪かったり。目のあたりに出る。ペットショップやテレビで見る動物たちの目にも表情がみえるようになり、彼らの命を感じられるようになった。

言葉が通じないもの同士が一緒に暮らせることを知った。言葉がなくても通じあえる。そのことを信じられるようになった。

そして犬友ができた。
これはまったく想像していなかったボレからの贈りもの。

知っている人も多いと思うけど、犬を飼うと、もれなく散歩がついてくる。雨の日も風の日も元旦も記念日もボレと散歩する。フリーランスのわたしの毎日は、ボレの散歩をもとにスケジュールが組まれている。

犬は散歩中にほかの犬に会うと、相手の鼻先やお尻をくんくん匂う習性がある。これは犬のあいさつと呼ばれていて、犬の社会性を養うために大事なものとされている。このくんくん時間に、自然と相手の飼い主さんと話すようになり、犬友ができるのだ。ママ友ならぬ犬友。お互いに本名は知らないので「○○ちゃん(犬の名前)のママ」と呼ぶ。

この犬友の存在が本当にありがたい。
わたしの今を支えてくれている。

散歩中に仕事の相談にのってくれる同じフリーランスの犬友。初めてのマレーシア挑戦で料理教室に参加してくれた犬友。偶然にもマレーシアで暮らしたことがあり、マレーシアの思い出を話せる犬友。飲み会をしたり、犬連れでログハウスに泊まりに行ったこともある。

一昨年、ボレが大病をわずらったときも犬友が助けてくれた。「応援しているから」「誰もが経験して誰もが乗り越えているのだから大丈夫」。散歩中にかけてくれた言葉にどんなに救われたか。「前の犬が死んだとき、私は親が死んだときよりも悲しかった」という犬友の言葉には、そうか犬の病気ってそんなに辛いことなんだと自覚でき、かえって心が楽になった。

そして思った。ボレは私や家族だけに育てられてきたんじゃない。ずっと、多くの人に見守られて生きてきたんだと。

何でもない毎日に「ボレくんおはよう」とかけてくれる犬友の言葉。エレベーターで話しかけてくれるご近所さんのやさしい目。そのすべてに癒され、安心感をもらい、ボレとわたしは生きてきた。なんてありがたいことだろう。

犬の飼い方が書かれた本を何冊か読んだけど、犬友についての記載はなかった気がする。わたしが犬を飼って一番よかったこと、それは犬友ができたことだ。声を大にして言いたい。

道で偶然に知り合った人と友達になれたという事実は、この世への信頼感にもつながるよね。

ちなみにボレとは、マレーシアの言葉で「できる=can」という意味。できる子になってほしいという願いと、さりげない(くない?)マレーシアアピール。

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黒豆にクリームチーズを添え、黒胡椒をたっぷりと。どなたか忘れたけど芸能人のおすすめのおつまみ。とってもおいしいので、お正月後の楽しみ。

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ライター。「マレーシアごはんの会」代表・編集人。著書に『マレーシア 地元で愛される名物食堂』(ダイヤモンド社)。私が惹かれるマレーシアのエピソードを今のわたしと共鳴させて綴ります。https://malaysianfood.org/
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