言葉を交わす、という効率のよさ。
マレーシアで暮らしていたとき、「要は、このほうが効率がいいんだな」と感じたことがある。
それはなにかというと、人と人とのコミュニケーション。
それまでのわたしの「効率がいい」イメージは、番号で一元化されているとか、ボタンを押せばすぐに通知がいくとか、できるだけ人が関わらない仕組みで、その逆である人と人のコミュニケーションは、非効率の代表格みたいに思っていた。
ところがこれ、マレーシアでは違っていたのです。
この写真。マレーシアの食堂で、もっとも一般的なスタイル。店頭に料理がずらっと並んでいて、お客さんはここから食べたいものを選ぶ。
写真を見てわかるように、料理に番号はついていないし、料理名や値段だって表示されていない。
市場のお菓子売り場もこんな感じ。
ここでも料理名や値段表示はゼロ。この状態で、お客さんが注文、お店は提供、という流れが、とくに混乱することなく、ちゃんと回っている。
いや、下記のような場合はどうするのか。ぜんぶカレー色で、具が何なのか見ただけではわからないよ。
これはさすがに料理名を表示したほうがいいのでは? とマレーシア人に聞くと、「わからなかったら店の人に聞けばいいじゃん」とあっさり。なるほど、聞けばいいね、たしかに。
わたしの経験から推察するに、これらの食堂が料理名や値段を表示しないのは理由がある。それは、料理の種類や値段が日替わり(全部が変わるのではなく、ある一部が)ということ。
たとえば、今日は流行のメニューを試してみようか、とか、店主の故郷の味を組みこんでもいいね、とか。料理人が変われば看板料理もチェンジ。昨日の羊カレーの替わりに、今日は鮮度のいい魚カレーにしてもいい。料理名を表示しないおかげで、手軽に、昨日と今日の料理を変えることができる。
値段表示がないのも、またしかり。食材の仕入れ値によって値段を変えることができる。というのも以前、1週間前に食べたものと同じ料理を同じ店で選んだところ、前回より60円ほど高くなっていた。なんで? と聞いたら「海がしけっていて、仕入れ値が高かったのよ、ごめんね」と店のおばちゃん。なるほどね。
で、この仕組みを支えているのが、人と人とのコミュニケーションだ。
先ほどの具がわからないカレー現象のように、疑問があればその場で聞き、その場でさくっと解決していく。
つまり、料理名と値段を表示せず、人と人とのコミュニケーションで解決していくやり方は、効率がいいのである。
さらに、この方法にはメリットもある。
お客さんと店がコミュニケーションをとることで、お互いが自然に顔見知りになっていく。店はお客さんの好みを把握でき、常連ならリクエストに応えることもできる。よくしてもらったお客さんはさらに常連へ、というよき循環。値段がレジ化されていないので、ときにおまけもしてもらえる。
効率化とは、さまざまな方法があるということ。
人と人が言葉を交わす。そこからうまれる効率のよさっていいね。
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ちなみに。値段表示がないなんて、ぼられたりしないの? と心配する方がいると思うが「星の数ほどある屋台で生き残るためには信頼関係がいちばん。だましたりしたら、すぐに信頼を失ってダメージが大きいから、しないよ」とマレーシア人。
わたしは屋台でぼられた経験は無く、むしろ、こっちが支払いを忘れた経験がある。それが、マレーシアの北部の町、アロースターにあった上のお兄さんの店にて。翌朝に払いに行ったのだけど、店が開いておらず、こちらのクイティオゴレンを無銭飲食してしまった…。
ごめんなさい。おいしかったです。
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