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取るに足らない言葉を重ねに重ねる場。

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広げるか深めるかの2024年

 あけましておめでとうございます!! 昨年はあまり 投稿ができませんでしたが、今年こそは月1投稿を 目指したいと思っています。  さて、新年ということで、アレの時期がやってきました。 『今年したいこと100』  昨年は三分の二ほど達成できましたので、今年もぼちぼちと同じくらいの達成を目指します。 1 早寝早起きをする 2 週に5回ジムに行く 3 栄養を摂る 4 料理の幅を広げる 5 サプリ(ビタミンを中心に)を続ける 6 お気に入りプロテインを見つける 7 毎日書道を

    • アーカイブ?

       現在の時刻は午前3時36分。起きて1時間半が経過しました。確かにいつも早起きをしていますが、こんな時間になることはほとんどありません。眠れずにどうしようか考えているうちに、寝ることを諦める結論に至りました。実際には2時間ほどは寝ましたので、なんとか生き抜けるはずです。    昨日の夜、ふと過去の記事を見ていたのですが、やはり言葉を残していくことは素敵なことだなと改めて実感しました。  そのときの自分が浮き彫りで美しいです。  そうは思っていながらも、なかなか書く気力も

      • 日帰り予定が...大波乱!?

         福岡県内に住む私は、SoftbankHawksを応援しています。プロ野球は毎年3月下旬に開幕しますが、2月にはキャンプ、3月にはオープン戦と、冬の間にも応援の機会は多く設けられています。多くの球団は宮崎県でキャンプを行います。SoftBankHawksもその一つです。  金曜の夜、遅めの時間から先輩と呑んでいたので、土曜日に目が覚めると時刻は既に6時でした。計画して臨んだ宮崎予定ではありませんでしたが、金曜夜の時点では朝4時に出発しようと思っていました。例のごとく計画性の

        • 一瞬の感性を味わう

           前回の記事は思ったよりもたくさんの方に見ていただけているようで、嬉しいような恥ずかしいような気もしています。基本的にどんな出来事にも笑って過ごしている私ですので、真剣な姿は想像できないと言われます。笑っているというより、ふざけてしまうんですよね、どちらかと言いますと。  Noteを読まれるというのは、少し内面を垣間見されているようなもので、気恥ずかしさを感じるのです。自ら書いているので「見せている」のですけれども、SNSと違って、誰かに向けて書いている意識があまりありません

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        広げるか深めるかの2024年

          余韻

           久しく書いていなかったNOTEですが、書きたいことは日々溜まっていました。大好きなものや新しいものに触れる日々で、毎日が彩りに溢れているなと感じる毎日です。  中でも、最近イラストやデザインに興味をもち、ギャラリーや個展を見に行っています。その話について少しだけ残しておこうと思います。  先日、あるアーティストさんの個展の最終日に伺いました。きっかけはInstagramの投稿です。絵の分野に詳しいわけでもないですが、なんとなく素敵な絵だなと思い、そして同じく福岡の方だと知

          絵の具

             最後に投稿をして2ヶ月程たちました..  この夏は本当に自由に好きなだけ好きなことをして過ごす日々でした。仕事もありましたが、そんなの二の次だという思いが、さらにさらに強くなり、毎日誰かと会ったり出かけたりする日々でした。    最近、仕事の中で『自分をデザインする』という話に触れる機会がありました。その時に考えたことについて書き残しておこうと思います。  『人生をデザインする』とは、本当によく言われるもので、自分の人生をどのように生きていくのか、何を選び何を

          絵の具

          色と字と言葉

           一週間前の今日、仕事のことも忘れて、【あること】に没頭しました。それは、また書道とも言い切れない、デザインとも言い切れない、芸術とも言い切れない、何でもないものです。  今回もまた自己満足として、ここにも残していきます。  デジタルで描いている(書いている)と思われがちではありますが、実はデジタルではありません。  これはポストカードくらいのさいずの画用紙に、水を塗りまして、その上に絵の具をのせます。ぼやぁっと広がりますと、それをポンポンポンと拭き取ります。ポンポンポン

          色と字と言葉

          「書道」というには気恥ずかしい

               2023年は毎日、一度は筆をもち、作品を作ったり日記を書いたりしています。もうすぐ半年だと思うと、私なりに「継続」できていることだなと思います。  私は「書道」の作品を心から誇れるほどの技術はなく、臨書から逃げた身です。しかしながら、「言葉」に思いをのせて書く時間が好きで、そこで生まれたものを残していくためにSNS上に投稿しています。  そんなことをしていると同じく書道が好きな人と合作をしたり、全く異なる趣味の人の作品とコラボしたりと、面白いものが生み出されてい

          「書道」というには気恥ずかしい

          2700円事件

          (実際に起きた出来事を小説風に書きました)  ―  友人との別れを告げ、向かった先はいつもの場所。最近は少し値上げをしたらしく、一杯700円の珈琲を味わえる場所だ。値上げをしたと言っても、味は極上で、なおかつ店員さんも素敵な人ばかりだ。  店内に一歩足を踏み入れると、そこは多くの人で溢れかえっていた。テーブル席はほとんど満席で、カウンターが2席ほど空いている。一人で訪れた私が空いた席に目をやると、マスターがこちらに手を振ってきた。このお店は、4年ほど前から訪れる店で、よく

          2700円事件

          MBTI診断

           日々の記録としてnoteを書き始めて気づけば3年の月日が流れています。先日も、「今思ったこの気持ちをnoteに残したい」と思い立ったのですが、その時を逃せば、それが何だったのかすら思い出せません。すごく書きたい、というか残したいと思ったことでした。何だったかのか全く思い出せません。きっとその時の自分にとってはすごく重要なことであったに違いありませんが、今の私には見当もつきません。  さて、最近、MBTI診断というものを友人に勧められて行いました。数年前に流行って、その時に

          MBTI診断

          白とは

          どうでもいい話から。 『冬の終わり』  先日、スマートフォンを無くしました。結局のところ、タクシー内から見つかったのですが、やっぱり物を無くします。  昨日なんかは、顕著でしてご飯を食べ終わった時に「私、マスクどうしたっけー?もしかして床に落としたー?」と椅子を降りて探すけれども見つからない。「あれー?」とカバンを見たところで気づきました。顎マスクの状態でご飯を食べていたことに。 ちょうど友人に「仲良くなったら抜けているって言われるって言ってたけど、注意欠陥すぎて心配だ

          白とは

          詩(2023.03.20)

           久しぶりに残したくなりました。少しお酒も飲んでいますので、お酒の勢いということにします。 タイトル「生み出すということは」 人が何かを生み出そうとするとき つまりは 何かを創造するとき その人が 何かを想像しているとは限らない もしかしたら 何かを想って創るかもしれないが それと同じくらい 何も想っていないという 可能性を秘めている 人が生み出した何かを目にするとき つまりは創造されたものを見るとき 何かを感じ取ることがあるかもしれない 何も感じないか

          詩(2023.03.20)

          新企画

           仕事中(式典中)にふと頭に浮かんだ言葉が、 なんとなく印象的で、これを「創造」したら面白いのではないかと動き出した本企画。  今回はこの言葉をテーマに創作します!    とりあえず、今進んだところは以下の通り。  木の板はホームセンターで廃材となり、本来900円のところ300円になっていたものです。その板を半分にカットしてもらいました。1カット50円かかりました!!以前はそんなことなかったのになあ!!  次に大まかなデザインを決めます。配色も想定しているのですが

          新企画

          『今日は暇かった』

          『今日は暇かった』  この言葉を目にしたとき、やはりどう考えても違和感がありました。 「暇かった」を終止形に直せば、おそらく「暇い」となるはずです。つまり形容詞。 しかし、私の認識では「暇だった」が正しく、終止形は「暇だ」です。つまり形容動詞。 もっと言うならば、「暇い」はイ形容詞。「暇だ」はナ形容詞。 この2つの間違いでよくあるのが、「きれい」という言葉です。イ形容詞だと思いがちですが、実は終止形は「きれいだ」であるため、ナ形容詞というわけです。  「暇い」というのも

          『今日は暇かった』

          無くし物と冬

           兎にも角にも、私は冬の季節、よく物を無くします。 これは毎年です。11月頃から物を無くすことが増え、春先3月まで続きます。  意識し過ぎじゃないか、とも思いますが、本当によく無くすのです。夏はそれ程ではありません。  ただ、では無くなってしまうのかと問われるとそんなことはなく、大抵の場合はどこかにあります。お店に忘れたり、道に落としていたり、お家にあったり。   冬になぜ私は物を無くすのか。 これは永遠のテーマかもしれません。  私は確かに冬が嫌いです。寒がりで

          無くし物と冬

          詩(2023.03.01)

            久しぶりに雨が降りました。仕事中に降り出したので「帰るのが面倒だな」と思ったのですが、ある人に「もう降り出しましたね」と微笑まれました。そのときにハッとしたのです。そのときの感覚は、小さな子どもが「ああ!大きな車!」と叫んだとき、お母さんが「本当だ!大きな車だね」と言っていたのを見たときと似たものでした。自分の当たり前が当たり前でない者にとって、それは発見であり気づきだということ。それを実感し、その感覚を失っていることに悲しさを覚える。そんなことを思っていまし た。 ー

          詩(2023.03.01)