感想:ユヴァル・ノア・ハラリ、オードリー・タン対談「民主主義、社会の未来」

AI技術の進展した社会と価値観のあり方

この対談では、LGBTについての考え方や社会での取扱い、COVID-19への対応などを材料に政治体制・社会とAIを含むICT技術の利用についての議論が進められている。この中で私にとって刺激的で興味深く感じられたのは、価値観の多様性とAIの進展した社会のあり方についての議論だった。

議論ではハラリ氏が、単一の価値観によって形成されたAIが地球全体の社会を主導するようになるのではないか、という懸念を強く表明。それに対しタン氏は、自身の台湾での経験を挙げながら2つ以上の価値観による複数のAIシステムによる助言を意思決定に活用するような社会の実現可能性を提示している。

AIの進展は、一つのAIシステムが地球社会全体をその管掌下におくことにより、単一の価値観により個人や社会を誘導する、あるいは価値観の多様性なしに人々の行動を監視・管理する社会を実現する方向性を想起させる傾向がある。これはハラリ氏の主張からも感じ取られることである。

これに対しタン氏は、2つ以上の価値観に基づく複数のAIシステムのような情報処理・意思決定支援システムが共同して、世界全体や国家・社会の運営・発展を支援するような形態を想像させるような情報技術社会のあり方を提示している。

このタン氏の提示した情報システムのあり方は、AI技術の進展が、単一の価値観によるAIシステムによって地球社会全体が主導される社会の実現に必然的につながるものではないことを示している。複数の価値観が共存するようなAI社会といったような方向性もあることに気づかされ、蒙を啓かれた思いである。

複数の価値観を内包した一つの世界AIシステムの実現

このタン氏の発想であれば、価値観の多様性を内包した単一AIシステムが地球社会全体やその下部構造となる国家・地域社会を支援するようになることも可能となる。

ハラリ氏が恐れるような、単一の価値観によるAIシステムが人々と社会をAIシステムの望む価値観に知らぬ間に染めてしまう、といった事態もこれにより避けることができる。価値観の多様性を維持することができ、社会的意思決定での人々の主体性も確保できる。

その実現は、技術的にはシステム構成をどのようにしていくかというだけの問題といってよいので、それほど困難だとは思われないが、システムをつくりだし受入れていく社会の側には難題があるといえるだろう。

資本主義経済の貨幣による価値基準一元化と多様性のある価値観の並立

その難題とは、資本主義経済が大きく進展、拡大し世界中の社会を覆い尽くしつつある現在の地球社会の発展はこれまでのところ、貨幣という単一の価値基準でより多くの、最終的にはすべての価値を測ろうとする方向性にあるという点だ。これにより、人々の生活の場で価値観の多様性がそこなわれていき、地球社会にとって唯一の望ましい価値があるような感覚を人々がもってしまいかねないからである。

たとえば発展途上国の地方村落部では、これまでに資本主義経済の基幹となる貨幣経済の浸透がとても進んでしまっている。これにより住民たちは、自給自足的の全生活に占める割合が低下し、貨幣取引に依存する生活部分が大きくなってしまっている。これには生活圏の自然環境がもつ生産力と当該社会の活用技術に対して不釣り合いに過大な人口増加が進むことにより、貨幣経済の浸透と相まって、東南アジア等でかつては大勢を占めていた、「自然環境の生産力と調和していればその状態を維持し発展をしない社会を大切にする」という価値観の大きな衰退を招いている。

また先進国社会では近年、地球温暖化などの自然環境・天然資源の容量・総量との兼合いもあって、資本主義経済社会についての行き詰まり感もあるが、基本的には経済成長優先で格差拡大の進行に配慮をしない新自由主義経済による経済政策が主流となっている。

最近ではSDGsやESG(環境・社会・ガバナンス)投資の振興、マルクス主義の見直し等により、格差是正や多様な価値観を包含していく経済社会を実現するための活動もそれなりに提唱・実践されてはいる。しかし、新自由主義の考え方が各国政府と大企業だけでなく、一般の人々の考え方にも強い影響力をふるっている。

地球社会全般としては、価値観の多様性・格差への配慮を矮小化し、技術革新による対応で地球温暖化などの環境問題、エネルギーや資源面での制約を解決・解消することにより、情報化社会での新しい価値の創造などを通じ、やみくもに経済成長を続けようとする流れが趨勢であるといってよいだろう。SDGsやESG投資については、この流れを変えるというよりも、その中で都合よく利用される存在になってしまうのではないかという懸念も払拭できない。

このような経済社会のあり方では、価値観の多様性を内包した単一AIシステムの実現はあまり期待できない。

価値観の多様性を包含する経済社会の実現には新しい資本主義が必要

ここから導き出されるのは、新自由主義にかわる「格差是正と価値観の多様性を重視した経済社会」の実現が、いわゆるAIシステムによる世界支配といったようなディストピア状況の回避には不可欠であろうという点である。

価値観の多様性を内包したAIシステムの実現には、政治システムのあり方を含め多様な価値観を擁する社会の実現が前提となるのである。市場原理主義による価値観の偏向をますます強めている新自由主義経済の欠点を是正していくためには、社会的価値観と政治・経済システムの修正、あるいは転換が不可欠となる。したがって社会と政治の変革無しには、多様な価値観を包含したAIシステムの出現は期待できないといってよい。

社会と政治の変革には、社会の中での「貨幣による価値測定の社会における位置づけの適正化」と「貨幣による価値測定にそぐわないものの明確化」、「価値観の多様性を包摂した社会への合意形成」など、解決すべき課題は多い。

SDGsやESG投資などによる貢献のほか、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって顕現し、よりいっそう問題視されるようになった格差の広がりへの対応が、適切な社会変革につながることを期待したい。

AIシステムはいくら広範囲にわたる優れたものであっても、人間社会のツールであり、ツール自体が目的をもつことはないと信じたい。目的をもったように見えたとしても、それは人の集団としての社会がもっている目的が投影されたものと考えるべきであり、目的は一つとは限らない。

蛇足ではあるが、ディストピアを実現するAIシステムは、ディストピアをめざす社会の中で誕生するのである。AIシステム発展のあり方は、社会の現し身とみてよい。


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