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お定時、仕事辞めたってよ。


ずいぶんと流行に乗り遅れた感じがしますが、退職エントリってやつです。9割のフェイクと1割の嘘で構成されていますので悪しからず。

新卒から7年勤めた会社を辞めました。

非常に野趣あふれる社風でしたが、それが嫌で辞めたわけではありません。むしろこの会社だからこそ、凡庸な自分でも輝けたと感謝しています。平均以上の給与をいただき、好きな時期にバカンスを取り、好きな時間に出社させてもらいました。

ブラック企業でバシッと復讐して辞めたりました!みたいなスッキリ勧善懲悪話ではないのでご注意を。


1.土方営業時代 入社〜 2年目 

入社~って目次つけといて悪いけど、まず入社前の話をしますね。

私は努力が苦手で、運と勘の良さでなんとなくうまく生きてきた恥ずかしい人間です。そして鶏口牛後を体現する人間でもあります。

勉強もバイトもしたくなくて確実に主席で入れる地元国立大を選び、企業研究もOB訪問もインターンもせずに、確実に入れるレベルの低い会社を選びました。

レベルの低い会社、なんていうとずいぶん不遜に思われるでしょうね。でも2013年に行われた最終面接で、2050年にこの業界はどうなっていると思いますか?と問われ私以外の4人が全員「50年後は〜」と話し始めるようなレベルです。おそらく全員が日本語を母語とする大卒予定者でした。真実味があるでしょう。

このような会社なので、私は大した努力もなくそこそこ成績が出せる営業マンでした。毎日3時間くらいお昼寝をしているのに、成績優秀者として毎月の営業報酬を貰う日々。一見天国のようですが、その頃は本気で会社を辞めたかったんですよね。

だって5人に1人がお風呂に入ってなくてホームレスの匂いがしたり、
月イチくらいで私の営業車のドアにスペルマがぶっかけられていたり、
毎年複数人、暴行事件で逮捕されたり横領で懲戒されたり、
アル中のおじさん同僚から毎晩のように真夜中に電話がかかってきて、ころすぞって大絶叫の留守電が入ったり、
ちょっとしんどいじゃないですか。

でも会社を辞めるのに転職活動するような努力も才能もない人間なので、もう少し治安の良い部署に異動させて貰えないかな~と考えました。ここでゴルフが効いてきます。

若いおなごがゴルフをしていると社内のあらゆるコンペに呼ばれて偉い人と組ませてもらえますからね。そこで取締役に、本社も経験したいな…と言った2ヶ月後、突然の期中異動で秘書となったのでした。

2.秘書時代 3〜5年目

前段であのように言いましたが、別に取締役の鶴の一声で秘書になった訳ではありません。たまたま秘書をやっていた方が産休に入るということで、後任も当然若いおなごではならぬ、と探していた所に私が都合よく現れたのです。

2050年と50年後の違いがわかるスーパーエリートなわけですから、それはもう秘書にぴったりの人材であろうというわけです。

秘書時代は本当に幸福でした。少なくとも私のデスクにある私物が無くなったり、スペルマが付着している事は一度もありませんでした。

会長も社長も、この人が本当の父ならどれほど幸せだろうと思う程、愛情深く接してくださいました。彼らの人格の素晴らしさ、豊かな知識、品性を今も心から敬愛しています。

会長と恋バナしながら2人で1升瓶を空けた夜、社長とのレコードバー巡り、本当に尊い思い出です。彼らにまた一緒に仕事をしましょうと送り出してもらえたことが、これからの人生においても強い支えになるでしょう。

さて私の職場環境が大幅に改善されたそのころ、時を同じくして会社の方針にも大きな変化がありました。流行りのアファーマティブアクション、女性活躍推進です。女性の採用比率が5%〜10%だったのを50%に増やし、3年以内に女性管理職を少なくとも1人作ろうという目標ができました。

まあ3年たったいまも、女性管理職は1人もいませんけど。

というわけで、年3回の面談で「とにかく金を稼がせてください。多少の無賃労働は厭いません」と繰り返し伝えていた私は、女性管理職育成コースに乗り、花形部門への異動が決まったのでした。

3.キラキラ営業時代 6年目


ここは花形営業部門だ。忙しいし、たくさん勉強しなきゃいけないぞ!みんな残業してて定時には帰れない!厳しいぞ!でもそれが楽しいんだ!

と言われ、ビビりながら様子を伺っていた私ですが、8割と8%の違いが瞬時に分かるという天才ぶりを発揮したことにより、期待の大型新人として無事迎え入れられることに。

ちなみにみんなが残業していたのは、100シートくらいあるエクセルの全てのシートで、A1マスに合わせるという作業を手作業でしていたからでした。マクロで1秒で出来るようにしたら、私は神になりました。異世界転生モノみたいだね。

私の役職は、当時としては女性社員の中で1番稼げるというポジションで、ここが女性管理職への登竜門だと言われている部署でした。ところが、ある程度の経験を積んだ20半ば〜30半ばの女性を集めていると、配属後2〜3年、早ければ1年もしないうちに妊娠して産休に入ってしまうんですよね。

育休から復帰したと思ったら、後釜で来た人が妊娠して産休に入るという空前のベビーブーム。このポジションにいた女性たちは2人のオールドミスを除いて最低1人、半数は3人の子持ちです。女性の賃金を上げれば安心してたくさん子供が産めるというのは間違いなさそうです。少子化解決!素晴らしい。

とはいえ1年で人が入れ替わり立ち替わりする部署が管理職への登竜門など夢のまた夢。第一そんなことより当の女性にとっては、産めるうちに産みたいのが人情というもの。仕方ありません。

そんなわけでお国のために子供を産んでくれた方が復帰するというので、私はさらにチャレンジングなところへ異動することになりました。

4.7年目〜退職まで


花形営業部で高速仕事術()を披露しそこそこの成績を残した私は、ベテラン男性しか就けないと言われていたポジションに押し上げてもらいました。なんと華々しい経歴。ここでも1Q2Q連続成績トップで駆け抜け、有り難いことに海外赴任の話も声をかけて頂きました。

それでも流れるように退職を決めて転職に至ったのは、家族の存在以外にありません。主人の仕事は私よりずっと専門性が高く、それ故に勤務地は限定されてくるもの。それならば潰しの効く私が転職するのが、2人にとってベストな選択肢だったわけです。

退職を伝えると、君はすごく上手くいってる。どうして辞めるのか。全くポジションが貰えない男性同期や、燻ってる中年男性を見ろ。彼らに比べたら不満はないだろう。

色んな人に聞かれました。その通りです。でも上手くいってるから辞めるんだよな。

同じ年齢や等級の中でも、女性を優先して仕事を仕込んでいく。必然若い段階でそれなりのポジションについて、色んな経験をして、たくさん給料をもらえるようになる。貯蓄もあるしそのキャリアを引っ提げていけば、キャリアアップのための転職ができる。当たり前の話です。

男性同期を差し置いて育成されておいて、配偶者を理由に辞めるなんて、とんだ不義理者だと言われても仕方ありません。よき労働者じゃなくてごめん。わたしは家族のよき構成員になることを選んで、退職したのです。

5.まとめ


退職するにあたって、自分のキャリアを棚卸ししてみたら、同期男性や少し上の男性を踏み台にして高い高い下駄をはいてきたのだ、と改めて実感して、なんとも言えない罪悪感に駆られてしまいました。

私の同期の男性は4期下の女性よりかなり低い賃金で働いていますからね。年齢問わずやった仕事に見合った給与が与えられる実力主義の会社、といえば聞こえはよさそうですが、そのポストに就くための経緯は、実力では図られていないわけですから。

私に優先的に回されたポストを、会社の近くに家を買って所帯を持っている先輩男性や、地元で働く看護師の彼女がいる同期男性に譲っていたら、彼らは順調にキャリアを積み、会社は定年まで働く社員を確保できたかもしれませんね。

それでも私が抜けて空いた穴を埋めるのは、私の同期男性ではありません。もう少し年次の低い女性です。女性管理職を作らなくては世間から怒られますから。

私の代わりにポストにつく女性たちも、私と同じように、いつか出産のために抜ける、このまま今のパートナーと連れ添えば会社を辞めることになる、と分かっていながら、それでも抜ける前になるべく等級を上げて、少しでも多くの育児休業手当が欲しい、次の職探しのネタになるキャリアが欲しいと、同期男性を踏み台にしていくんでしょう。

それでもこの流れは止まらないのです。

まあ綺麗事言ったところで、私のような凡人は、自分の手の届く範囲しか幸せにはできないですからね。とりあえず感謝だけしておきます。おかげさまでキャリアアップした上に自由な働き方を手に入れて、主人と一緒に暮らすことができます。私は大事な家族を幸せにすることしかできない。

ありがとう踏み台になってくれたみんな!
みんなもなんとかして頑張ってくれ!

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